耐震偽装の一連の状況推移を見ながら思うことがある。
それは、行政の役割とは?ということだ。
問題になっている建築確認というのは、建築主が建てたいという要求を出したものに対し、その可否を法律に基づいて下すに過ぎない。
個人的な見解で言えば、ここでの焦点は、容積率や用途が用途地域などにあっているかが主であり、構造云々ってのは、付加的な要件であろう。
なぜなら、「何のために」建築確認があるのかという視点で考えるからだ。ここでの主体を考えれば、建築主とその物件を取り巻く住民、そして、その住民の代弁者たる行政の3つの主体がある。建築主と利用者(物件購入者)という関係は、民民の関係であり、建築確認の位置づけから考えれば2次的なものだ。
そう考えると、行政は、建築主が住民の権利を侵害しないか否かを判断するのが主となろう。すなわち、建築主が勝手なことを行って、他人や環境に悪影響を及ぼす事を事前に防止するということだ。
そう考えれば、位置づけは単純になる。
一方、行政が、2次的な関係までふまえて対応すれば、大きな組織となるし、肥大化につながる。
単純化すればリスクが増えるから、個人は、保険などを組み立てる必要がある。
つまり、社会全体で見れば、コストは変わらない。税金として負担するか、個人所得から負担するかの違い。
さて。どちらがより効率的なのか。
大きな政府。小さな政府。という議論は単純ではないように思うが。

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