昨日に引き続き、大学の機能について考えてみたい。
http://www.resort-jp.com/ppBlog17/?UID=1248303378
こちらでは、大学のミッションが3つに整理されていて、その中でも、最も根源的なものは「研究」であることを示した。
そして、この「研究」は論文数という定量的なデータによって、評価されるということも述べた。
観光分野(ホスピタリティマネジメントを含む)の大学においても同様であり、米国内の各大学は、論文数が、その大学の社会的な評価の主体となり、それが、学生の確保や、各種運営資金の獲得(行政からの補助金や企業からの寄付金)に繋がり、大学という組織の運営を支えている。
さて、その論文であるが、基本的に米国の学術誌は「紙」かつ「英語」という媒体である。つまり、英語の書物である。紙媒体である以上、その流通には地理的な制約が生じるし、いかに英語が国際語と言われようと、言語の壁は歴然と存在している。すなわち、アメリカでの研究はアメリカを対象とした物。広げても、イギリスやオーストラリアといった英語圏のものと考えても良かった。
特に、観光は、サービス財であり、その地域、事業者への依存度が高い分野である。国際的に同じ土俵(規格、ルール)で研究を行わなくても、さほど、問題はなかったかもしれない。
しかしながら、それを大きく変える事態が出現する。
1つは、インターネットの普及と、論文の電子的流通である。これについては、本ブログでも以前、記述したが、グーグルスカラーと組み合わせることで、全世界の論文にアクセスできる時代となった。普遍的な整理がなされた知見は、誰にとっても使い勝手がよい情報であるため、構造的で秀逸な論文は全世界に広まるようになった。つまり、知見移転が爆発的に増大しうる状態になったのである。これは、観光分野に限らず、広範な研究領域共通の事象である。
もう1つ、観光分野において顕著に生じたのは、アジア圏の研究者の出現である。香港、韓国を中心に多くの研究者が、この英語での論文発表に参入してきたのである。これは、立地などの点で、少々、条件のわるい大学が、90年代に、これらの国々からの留学生を積極的に受け入れた事が契機となったらしいが、結果、観光分野(ホスピタリティマネジメントを含む)に多くの韓国人、中国人の博士、ファカルティが誕生した。さらに、こうしたモデルを母国に持ち帰った人々が、母国にて、「論文の出せる」大学を創造したことにより、アジア圏から多くの研究論文が発表されるようになった。すなわち、知見移転だけでなく、アジアからの知見の創造も実現されたのである。
もともと、欧米を網羅していた「研究」システムが、これによって、アジアにも広がり、ほぼ、全世界を網羅することとなったのである。
実際、私が昨日、参照した「Journal of Hospitality & Tourism Research http://jht.sagepub.com/ 」では、9本の論文(うち一本は研究ノート)が掲載されているが、その内の半分は、韓国、香港の研究者による物である。
英語での研究論文が、アメリカだけのものではなく、国際的な位置づけとなっていることの証左と言えるだろう。
さらに、発表されている内容をみていくと、国に関わりなく汎用的に活用できる知見は数多いことがわかる。一方で、一昨日のブログで示したように、国際間で何が異なっているのかに注目した論文も少なくない。つまり、普遍的な部分とそうでない部分について、国際的な規模で研究が行われているのである。
例えば、前述したジャーナルに掲載されている「Defining the Hospitality Discipline: a Discussion of Pedagogical and Research Implications 」では、日本でも議論百出のホスピタリティ産業の定義づけに関する論文である。これは、定量的なアプローチの論文ではないが、同産業の定義づけ、分類について、これまで、アメリカやイギリスなどで議論されてきた内容を整理しつつ、新たな整理軸を提示している。この中では、観光産業とホスピタリティ産業の違いについても触れられており、ツーリズムやホスピタリティがどのような概念で用いられているのかについても把握できる。
こうした論文は、我が国においても、とても重要な示唆を与えてくれるだろう。
逆に、こうした議論、整理が行われていることを知らないまま、それらの概念について独自の検討を行うことは、非常に非効率である。いわゆる「車輪の再発明」だからだ。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8A%E8%BC%AA%E3%81%AE%E5%86%8D%E7%99%BA%E6%98%8E
日本でも、多くの観光研究が行われていることは、間違いない。ただ、残念ながら、こうした海外での既往研究のレビューは不十分であるのが実情だ。さらに、日本の観光研究が国内の一部にとどまってしまっているために、海外からすっぽりと日本の存在感がなくなってしまっている。
非常に残念と思う。宝はここにあるのに。

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