WDWの全体象が見えてくると、あらためて、その壮大なスケール感に驚異を覚える。
一つの企業の取り組みだけで、こんなことが出来てしまう。もっといえば、もともとは、ウォルト・ディズニーという1人の男が持った夢から、こんなものが出来てしまうだと。
そこで、思う。
日本でも、手塚治虫や、宮崎駿といった漫画、アニメにおいて伝説的な人材が居るではないか。と。
その他にも、海外で人気を集めている日本のアニメ作品は少なくない。
では、日本で、第2のウォルト・ディズニーは生まれるのだろうか。
なぜ、手塚治虫は、手塚治虫ワールドを作れなかったのか。
その差は、漫画、アニメが「手段」なのか、「目的」なのかの違いなのでは無いだろうか。と考える。
ディズニーも手塚治虫も漫画、アニメが「好き」であったことに違いは無いだろう。
ただ、ディズニーには、「大人も子供も楽しめるものを作りたい」というのが目的であり、手塚治虫は、良い「漫画、アニメ」を作ることが目的であったように思う。
ウォルト・ディズニーについては、ハリウッドスタジオ内のアトラクション「ワンマンズ・ドリーム」でその人となりを把握する事が出来る。ここで、見るとわかるが、彼自身が、漫画、アニメを実際に作成していたのは、若いときの一時期に限られる。
Wikipediaによれば、彼がミッキーを自筆で書いていたのは、30代までのようだ。
30代には、すでにスタジオを組織化し、生産モデルを確立していたという事もあるが、彼にとって、漫画・アニメは、自分の自己表現および目的達成のための1つの手段に過ぎなかったということであろう。
そして、戦争を挟み、50代において、初代のディズニーランド。そして60代でディズニーワールドを開設する。(ただし、ウォルト自身は、ディズニーワールド開業前に死去している)
手塚治虫は、ディズニーよりも四半世紀後に生まれており、ディズニーの漫画やアニメが、手塚治虫の作品づくりにも大きく影響を及ぼしている。しかしながら、彼は晩年まで、漫画・アニメの制作に没頭し、ディズニーが行ったような事業としての横展開はほとんど行っていない。
実際、考えてみれば、ディズニー自身によるオリジナルキャラクターは、「ミッキーとその仲間たち」程度であり、その他は、白雪姫やピーターパン、シンデレラ、ピノキオといった童話のリメイクである。(ミッキーも、デザイン自体はウォルト・ディズニーではない)
端的な言い方をすれば、ディズニーは実業家であり、手塚治虫は芸術家であったということになる。
が、ディズニーランド、ディズニーワールドのマジックキングダム、エプコットの構想にはディズニーは精力的に関わっている。つまり、ウォルト・ディズニーは、漫画やアニメという2次元の世界だけでなく、3次元の空間にまで構想力を有していたことになる。特に、ディズニーワールドの空間的な大きさを考えれば、その構想力は、理詰めで考えられるようなものではなく、原作者ではなく、プロデューサー的であったとしても、芸術家的な能力を有していたことは間違いない。
すなわち、芸術家であり実業家であったのがウォルト・ディズニーであったと言えよう。
ここでも、「経営力」の違いが出ていることが興味深い。
ただ、法人としてのディズニーについては、その事業拡大において、強引なやり方を批判されたりもしている。また、自身の著作権には厳しい一方で、自身はライオンキングとジャングル大帝レオのようにグレーゾーンを犯したり、シンデレラのように過去の著作物の焼き直しで事業を行っていることについても、批判は少なくない。
これに対し、一生を職人として、芸術家として、捜索活動に取り組んだ手塚治虫は、日本人のメンタリティ的には、とてもしっくりくるのも事実である。
ただ、1927年に生まれたミッキーが、今でも、世界中で活躍するディズニー。
これに対し、過去の作品となってしまっている手塚キャラクター。
「良い物」を活かすには、「経営」も必要であることの証左といえるのではないか。
もっと論をすすめれば、日本に、オーランドのように人工的なディスティネーションが誕生しえない理由も同様なのではないか。
そんなことを思う日々である。

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