こちらで生活して3ヶ月余り。何度か触れてきているが、基本的に、米国のサービス窓口スタッフの質は「低い」。
飲食物販店の店員の「おもてなし」度も全般的に低い。
さらに、免許センターのような公的機関だって、担当者によって対応が異なるし、銀行も対応はあまり「信頼」できるものじゃない。
このように、通常施設のフロントラインのスタッフを、日米で比較すれば、確実に日本の方が上である。
ただ、興味深いのは、レストランでもホテルでも単価の高い所になると、一気に、接遇力は向上する事だ。
例えば、日本でも多く取り上げられているように、リッツカールトンの接遇力は、日本の旅館などのそれとは異質なものである。
また、海外旅行を多くする人たちが「やはり、海外の方がサービス水準が高い」というように論評することが、よくある。これは、ファストフードなどで感じることはあり得ない。こういう発言をする人は、いわゆる「高級=高額なサービス」を享受した人と考えて良いだろう。
これに対し、日本は、ファストフードでも高級レストランでも、バジェット型ホテルでもシティホテルでも、個々人の接遇力自体はさほど変わらないように感じる。もちろん、価格があがれば、接遇力はそれなりにあがっていくが、その上がり方は緩やかで、むしろ、その価格価値は、顧客1人あたりのスタッフ数が多くなるとか、部屋が広くなるとか、高級な食材を使うといった部分が強い傾向にあると感じる。
平均値は高いが分散は小さい日本人と、平均値は低いが分散は大きい米国人と表現すればよいだろうか。
また、米国では、価格帯が上がっていくと、「体験」の内容も指数的に向上していく印象も強い。
人材だけでなく、施設、設備、ロケーションなども同時に向上し、それらが相乗効果を上げていく感じだ。
この辺の一体感の出し方、演出手法は、さすがだと思うことが多い。
ところで、CS研究をしていると、「価値」という言葉が随所に出てくる。こちらでの価値の定義は、「質VSその質を得るためのコスト」である。端的に言えば、価格(や時間、労力)に見合う質であるかどうかということだ。
この考え方は、前述のように、価格帯が上がると体験内容が指数的に向上する米国では非常にわかりやすい感覚だ。
しかしながら、「サービス価値」と日本で言われた場合、「価格」は変数になっているだろうか。顧客は、自身の価値観を価格とリンクさせてもっているのだろうか。
個人的には、デフレ経済に突入してしまったということもあろうが、日本では、価格のみが強調されるようになり、サービスの質に対する適正価格というのが顧客も、事業者も解らなくなってきているような気がする。
それが、経営の難しさの一因となっているのかもしれない。

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