オーランド146日目 〜偏在する世界
にて、外国人宿泊比率には、都道府県によって、大きな違いがあることを示した。
このデータを元に、仮に、日本への外国人観光客が、現状の倍(1,500万人)クラスとなった場合を想定してみよう。
ただし、人数の増大と泊数は、必ずしも固定ではないが、ここでは、固定的なものとしてあつかう。
また、日本人の宿泊需要は変化しないものとする。
現在、もっとも、宿泊比率が高い東京は現状20%が外国人だが、外国人観光客が倍増すると、比率は30%に増大する。(パイ自体が増大するため、単純に比率は倍にはならない)
30%という数値は、かなりのものだが、東京は、在住している外国人も多いことに加え、宿泊施設の数も多く、かつ、その中でも「偏在」が起きるであろうから、あまり、見かけ上の変化は起きないかもしれない。外資系を中心としたホテルや、外国人対応に秀でている宿泊施設が賑わうという感じだろうか。
むしろ、こうしたインパクトが大きいのは、地方部ではないだろうか。
北海道や京都、熊本、長崎といった府県は、現状で(観光系の宿泊施設において)約10%程度の外国人宿泊比率であるが、これらの地域の観光地を訪れると、「とても外国人が多いなぁ」という印象をうける。これが、宿泊比率が15%レベルにまで増大するというのは、数値以上のインパクトがあるのではないだろうか。というのは、おそらく、その比率アップに連動して、個人客へのシフトも同時に起こるであろうと想像できるからだ。
現在は、団体客向けのレストランやバス、旅館に収まっている彼らが、日本人観光客と同様に、隠れ家のようなレストランを訪れ、レンタカーで走り回り、旅館をネット予約して使うのが当たり前になっていくわけである。
これによる影響を想像できるだろうか。
日本にも、突然、個人外国人客が多量に来てしまった事例がある。北海道のニセコだ。ここは、本当に数年で、とても日本の山間部の町とは思えないくらい国際化が進んだ。私は、外国人の中高年夫婦が、ラーメン屋でサッポロラーメンをすすっている姿を見たときには、くらくらしたものだ。
ただ、このような国際化は、地域が、外国人の観光客だけでなく、事業者も受け入れて、協働体制を作っていった結果でもある。これは、北海道という、開拓地であったことも、好条件であったのだろう。
でも、外国人観光客が増大していくということは、ニセコのような事象が、多くの観光地においても生じることを意味している。
仮に、客の比率と、事業者・就業者の比率が連動するとして、かつ、観光産業が地域の基盤になっているような地域では、3%とか5%の住民が外国人ということだって出てくるわけだ。これは、学校のクラスに1人は、外国人が居る計算になる。
言語を学ぶだけでなく。外国人観光客を受け入れるということは、彼らと一緒に生活していくくらいの心構えが必要なのではないだろうか。
ここオーランドは、アメリカ全体ではマイノリティの人たちの比率が高く、多民族国家のアメリカの中でも、少々、特殊なところである。さらに、ディズニーを中心に、海外からの観光客も少なくない。それも、ヨーロッパ、南米、そして、アジアとそれこそ、全世界からの集客だ。
そうしたオーランドはどうなっているかといえば。それは、それは、不思議なくらい、多様な人たちがいることが「普通」になっている社会である。それでも、アメリカである。
外国人観光客を受け入れる「国際化」とは、こういうことなのではないだろうか。
日本の観光地も、こうした将来像をイメージとして構築し、幅広い住民を含めた意識共有を行っていくことが必要なのではないだろうか。

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