Discussion of Destination Branding.

オーランド172日目 〜日米の「人材育成」の違い

今日は、東海岸の方に出かける予定であったのだが、朝から激しい頭痛に襲われ断念。
午前中は、養生していました。
午後からは、米が無くなってしまったこともあり、ちょっとした買い物に出て、洗濯をしてといった事をして過ごした。
さて、今から100日以上前になるが「オーランド64日目 〜大学の機能を考える」という記事を投稿した。
http://www.resort-jp.com/ppBlog17/?mode=show&date=20090730
また、120日目には「オーランド120日目 〜ステークホルダーから考える人材育成」という記事を投稿している。
http://www.resort-jp.com/ppBlog17/?UID=1253820103
これらで指摘しているように、日本と米国では、産業界のあり方、産業界と大学との関係、大学の社会における位置づけなど、様々な要素が異なるため、大学のカリキュラム内容だけを取り出して、両者を比較してもあまり議論が深まらない事になる。
ただ、そもそも、「なぜ、日本で、観光分野における人材育成」が注目されるようになったのだろうか。
地域づくりにせよ、企業活動にせよ、何事も何かしらの行動を行うには資源が必要となる。具体的には、人材、資金、設備などである。これに知恵とか情報、技術などが加わる場合もあるが、そうしたものも、広義に考えれば「人材」と捉える事が出来るだろう。
すなわち、これらの資源の制約の中でのみ「活動」は行えるのであって、「活動」だけが独立して存在している訳ではない。
その中で、「資金」については、現在の日本に余剰は無い事は明らかだろう。民であれ、官であれ、現在の日本には「良いと思うものにポンと資金を提供し、結果については強く求めない」パトロンは存在していない。
また、「設備」については、地域の場合には、地域が持つインフラや、歴史、文化、景観といったもの。企業であれば、建物や施設群が該当する。地域系については、国内のみならず国際的に見ても様々な潜在性があることは各所で指摘されているし、交通インフラや治安の良さなど大きなアドバンテージと成っている部分も少なくない。一方で、企業系については、国内の観光適地と考えられるような所は、概ね開発済みであり、温泉や景観、食文化など(これらは、単に存在するだけでは観光客が楽しめる魅力とはならない)が、企業によって、楽しめる魅力に加工された状態になっている。しかしながら、新規投資が滞り、90年代に行った投資で食いつないでおり、需要の変化に対応し切れれていない部分があることは否定できないだろう。新規投資をしたくても、慢性的な「資金」不足に陥っているため、それもままならない。
このように、資金と設備は、それぞれの理由で先の見えない状態にある。その中で、「人材」については、まだまだ改善の余地が大きいと考えられている。というよりも、前述した理由によって、他に選択肢が無い。
ここで言う人材とは、資金と設備制約(と一般の労働力としての人材)を目的のために最適化できる人材である。
なお、観光振興における「人材」の重要性は、例えば、観光カリスマに見られるように、以前から指摘されている。本来は、こうした指摘と、前述したような「資源制約」からの流れは、同じ頂を共有するものなのだが、実際には、カリスマ系の議論では、「べき論」「思想論」が主体となり、資源制約への意識が低くなる事が少なくない。極端な言い方をすれば、資源制約などを超越して、地域や企業を発展させるようなスーパーマンを志向しているとも言える。
まずは、ここで、人によって「人材」についてのイメージに違いがあることを認識しておくべきだろう。
なお、米国の場合、(観光領域であっても)経営学の影響を強く受けているために、「資源制約」型の人材像が設定されている。
次に、対象領域の違いである。
米国では当たり前に使われていて、日本では誤用しかされていない言葉に「ホスピタリティ」がある。
「おもてなし」とアジア文化
http://www.resort-jp.com/ppBlog17/?UID=1257477668
に投稿したように、ホスピタリティという言葉は、米国における観光交流集客産業を総称する言葉である。
米国では、観光振興といえば、ホスピタリティ(産業)が想起されるが、日本ではツーリズムが想起されやすい。そのため、人材についても、米国の場合、この分野における人材育成といえば、ホスピタリティ産業の人材が対象となるが、日本の場合、ツーリズム、すなわち「地域」の人材が対象となりやすい。
この辺は、価値観とか、社会観などが絡んでくるので、一概にどちらが正しいとか正しくないという事ではないのだが、両者が大きく異なることは事実である。さらに言えば、人材育成の場、すなわち大学では、日本を除く、欧米、アジアでは、ホスピタリティ産業が主体となっている。
なぜ、ツーリズムが対象にならないのか。というのは日本の感覚からすると理解しにくい部分があろう。私自身もそう思っていたが、こちらでの現状を見て、感じたことは以下である。

  1. 必要とされる人材の「量」の問題。ツーリズム分野の人材は、端的に言えば、ディスティネーションの数だけ居れば必要十分である。仮に日本のディスティネーションの数は100程度と考えれば、100人。そのスタッフと考えても日本全体で200〜300人も居れば十分である。この規模は、私立大学の学部定員から考えたら極小レベルである。一方で、ホスピタリティ産業は、ホテル、レストラン、テーマパークなど、その総量はディスティネーション数の比ではない。
  2. 学問領域の問題。欧米においてツーリズムはツーリズム分野として独自の発展がなされてきたが、他分野、例えば、経済学(例:経済波及効果)、経営学(例:戦略立案)、心理学(例:モチベーション)など他分野で「確かめられた」知見を、応用適用することが進んでいる。そして、こうした応用適用の場合、直接「ツーリズム」が対象になるわけではなく、「ホスピタリティ」を媒介して適用される事が多い。つまり、他分野での研究成果が、まずはホスピタリティ産業にて適用され、それがさらにツーリズム分野へと転換してきている事が多いのである。これは、定量的、科学的に研究を行おうとすると、変数が多すぎるツーリズムよりも、ホスピタリティ領域の方が第一段階としては好適だという背景もあろう(実のところ、ツーリズム領域では、未だに、非定量研究は少なくない)。このように考えれば、ちゃんとツーリズムを研究するには、まずは、ホスピタリティを理解することが必要となる。つまり、基礎となるのはホスピタリティ研究になるのである。

こうした事情により、米国の大学は、ホスピタリティを明確に基本的存在として規定し、ツーリズムは応用領域、または、ホスピタリティ研究の中の一領域として規定しているのである。そして、他の国々においても同様の対応をとっているのである。
こうしたシンプルな理屈を上回る理屈は作り出せない。
にも関わらず、日本では、ツーリズムが基本となっており、ホスピタリティはその概念すら希薄な状態である。
理屈ではない部分だけに、変わるのは難しいでしょうねぇ。さて。

Share