うーん。
いろいろと思うところはあるが。ネーミングは、いささか自虐的じゃないですかね。
名称検討時に、商品企画の方向と共に、ぐるぐる議論がまわって、「逆転の発想」となったのかもしれないが。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1009/27/news087.html
現在の売れるIT製品って、技術でも、コンテンツでもなく、それらが一体となりつつ、かつ、インターフェースがつくり出す「わくわく感」のような(エモーショナル)感覚なのではないでしょうかね。
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/column/gyokai/20100928_396398.html
では、記者発表の詳細が載っている。
「ガラパゴス化という言葉を、当社では否定的には捉えていない。そして、世界の標準技術をベースに、日本ならではのきめ細かなノウハウと高いテクノロジーを融合させることで、世界で通用するモノの象徴として、日本語のガラバゴスから、アルファベット表記のGALAPAGOSへと塗り替えていく意気込みを込めている」
「ダーウィンは、“生き残る種は、最も強いものでもなければ、最も知的なものでもない。最も変化に適応できる種である”という言葉を残したが、この言葉はガラパゴス島での生態の進化をヒントに得たともいわれている。GALAPAGOSという言葉は、世界の流れとはかけ離れた孤島という意味ではなく、変化に敏感に対応していく『進化』の象徴として捉えている」
この記事をみて感じるのは、「自分たちの製品、技術に対する自負心」が強いなぁというもの。
もちろん、そうしたプライドを持つことは重要だと思うが、そもそも、ガラパゴス化と呼ばれるようになった背景を、ある意味、無視しているし、否定している。
ガラパゴス化の象徴的なガラケーであっても、3Gは世界標準であるし、日本に最適化された機能構成ともなっている。
標準であることは、海外でも普通に使えることからも解るだろう。
が、そうした最適化された構成が、日本でしか対応できないものになってしまったという事だ。
つまり、変化に敏感に進化しすぎてしまったの進化の末路だ。
ある特定地域の環境にだけ対応できるように強烈に進化するものと、そうした特殊機能は持たないものの汎用的な対応力を持つもので、どちらがより広い領土を獲得できるのかといえば、自明だと思うが。
と、私から見ると戦略レベルから違うのでは?と思うが、ただ、唯一、これはあるかなと思ったのは、電子教科書としての利用。
ICTの世界は、基本的に、物理的な国、国境が存在しないため、国という概念で、製品やコンテンツを囲い込むことは難しい。競争力のある製品やコンテンツは、すぐに海を越えて攻めてくるからだ。しかしながら、学校教育は、国という地勢に強く結びついている。そのため、「攻めてこられることはない」。一度、確保してしまえば、かなり強い橋頭堡となる。縦書きや、ルビといった機能も、日本語の基礎を教える学校教育においては、非常に重要な機能であり、意義も高い。
とはいえ、昨今の経済状況では、国が電子教科書用に多額の予算を組むことは考えにくい。
経産省あたりと組んで、国家戦略的に行うのであれば、可能性はあるか?