一つの社会観に基づいたしっかりとした主張だと思います。
ただ、冒頭の経済政策面については、結局は、自民党も立憲民主党も、経済の構造変化に気がついていない、または、見てないのだなぁと思います。
トリクルダウンは、多分、起きているのです。
ただ、それは個々人の収入アップではなく、雇用の場の創出という形です。それが、この閉塞感の原因でしょう。
生産性というのは、人と物の組み合わせで生まれます。
人だけで決まるものではありません。
工業社会の場合、最大の投資は「設備」です。
人件費より設備投資の方が桁違いに大きく、かつ固定費(減価償却)であるからです。
需要が増える(景気が良くなる)と、この設備が減価償却に見合う稼働をするようになります。稼働率があがると、1人あたりの稼働時間の増大(残業時間)で、対応できるので、個々人の給与は上がります。また、単位時間あたりの処理能力が高い人だと、さらに多くの生産に対応できるため、経験加算といった形で給与ベースがあがりやすくなります。言い方を変えれば、工場の稼働率と雇用者数は、さほどダイレクトにつながっておらず、需要が増えても雇用者数は増えません。
これに対し、サービス社会では、「人」が作り出す価値が、より重要となります。
端的に言えば、労働集約型社会だと言うことです。
この社会では、価値が「人が人に行うサービス」であるため、製造業のように「作り置き」などが出来ない一方で、需要が発生する時間は限定的です。例えば、昼食需要は12-13時に集中します。一定の下ごしらえは出来たとしても、基本は、その場でオーダーを取り調理をし、配膳し、片付け、精算する必要があり、その瞬間瞬間に人手が必要です。つまり、需要が増えても、労働時間の延長(単価アップ)では対応できません。効率化(経験加算)は一定の効果がありますが、根本的には人手を増やすしかありません。需要増大にあわせて人手が増えるので、1人あたりの給与は上がりにくくなります。
これが現在の人手不足です。
では、介護職などの給料を上げたらどうかという話ですが、ミクロ的には意味を持ちますが、マクロ的には微妙です。
まず、介護職などが人手不足なのは、前述したように、ともかく「人数」が必要だからです。1人が対応できる高齢者や子ども達の人数には限界があり(規定されており)、さらに、需要発生は時間的に固定的だからです。例えば、効率化のためにあなたは夜間に来てくださいとは言えません。
そのため、この業界は一貫して雇用者数が増えています。それでも足りないというのが実状なので、人件費が安価だからという理由「だけ」ではありません。
しかも、その多くを公的財源に依存する介護職などの人件費をあげると、その影響は宿泊・飲食、小売業など、他の「同様の人材を欲している」業種にも影響が及びます。
一時期、官による民業圧迫が話題になりましたが、それが業種を超えて影響する事になります。下手すると、地域の職場は公務員と、介護職などの準公務員しかいないなんて事になりかねません。
トリクルダウンは起きている。
ただし、それが「1人あたり」の収入増には結びついていない。
それは、経済構造の変化によるものだということを状況認識のスタートにしないと、建設的な議論は出来ないと思います。