顧客経験とは何か
サービス・マネジメント/マーケティングにおいて、最も基本とされる概念に「顧客経験(Customer Experience)」がある。
これは、サービスの収益性は、顧客のロイヤルティ(紹介意向)が重要であり、そのロイヤルティ形成は、サービスのスペックではなく、顧客の認知が全てである。そのためには、個々の要素ではなく、顧客が感じるサービス全体を演出し、顧客を高揚させることが重要…といったサービス研究から導き出された帰結である。
日本でも顧客経験という言葉は広まりつつあるが、実際に、ちゃんと理解され、その向上に向けて取り組まれているのかと言うと…。
国内外の地域や事業者の人達と話していて感じるのは、海外の関係者は、顧客の経験を一連の流れとして見ているのに対し、国内関係者は個別要素の集合体として見ているなぁという事である。
これは、顧客経験という概念に対する関係者のコミットメントの違いでもある。
顧客経験のとらえ方
Wi-Fi設置の例
例えば、WI-Fiの整備。
国内だと「どこどこエリアにWi-Fiを整備して観光客の利便性を高めました」という話が出るが、海外だと「観光客が現地の写真や動画をSNSなどに情報発信しやすいように、Wi-Fiを設置しました」という話になる。
どちらも同じような事を言っているが、前者は「異国の地での通信環境支援」というスタンスであり、後者は「観光地における顧客経験の拡大(−>間接的に口コミ促進)」というスタンスになる。つまり、両者の視座も視野も大きく違う。
そのため、国内ではWi-Fiサービスの設置箇所数とかエリア面積が目標となるが、海外ではどれだけ楽しそうな画像や動画が発信(シェア)されたのかということが目標となる。自ずと、設置場所も異なってくる。
例えば、ニュージーランド・クイーンズタウンの名物アトラクション「ショットオーバージェット」では、乗り場近くのところ「だけ」に、無料のWi-Fiがある。これによって、観光客は自身のボート待ちの時に他のボートを、ボートに乗らない同行者は自分の子供や友人の姿を撮影し、すぐに、ネットに投稿できる。
これによって顧客は、ショットオーバージェットの経験を、より特別で、記憶に残るものに高める事が出来る。
このように「顧客経験」は、主たる経験だけでなく、それに付随する一連の体験・行動とも不可分な関係にある。
スキー場ゴンドラの例
もう一つ例を挙げよう。
以下は、コロラドのベイルスキー場のゴンドラである。
乗り場はロードヒーティングによって完全除雪され、スキーをやらない人でも気軽に利用出来ることはもちろんだが、より注目したいのは、ゴンドラそのもの「美しさ」である。今日的なデザインであることに加え、大きく開いた窓にも筐体、スキーラックにも大きな傷が一つもない。
これに対し、以下は、某国内スキー場のゴンドラ。
窓も筐体も傷だらけ。外の景色も俯瞰できないくらい。
程度の差はあるが、国内のゴンドラの多くは、こんな感じだ。
ゴンドラの窓の傷は、窓についた霜をスキーヤーがストックなどでゴリゴリ落とすことが原因。これは、ベイルでも同じ事だが、霜をつかせないために、ベイルでは以下の取り組みをしている。
- ゴンドラの格納基地をつくり、毎晩、営業後に格納し、気温低下による霜付きを抑える
- アクリル・パネルを2重化(いわゆるペア・ガラスの構造)することで断熱し、霜付きを抑える。
実は、コロラドではリフトやゴンドラを「格納」するという風習が無い。そのため、夏場でもリフトはかけっぱなしが基本である。にも関わらず、「クリアな窓」を実現するために、わざわざゴンドラを格納できる設備を新設している事になる。
これは、スキー場に入って、始めに搭乗する「ゴンドラ」が、顧客経験において重要な意味を持つことを認識しているためだろう。
他方、例示した国内スキー場は、マセラッティの広告があるように、海外からの富裕層も利用するスキー場である。しかしながら、こんな傷だらけのゴンドラでは、気分が高揚することは無く、スキー「リゾート」だと思って来訪した「富裕層」の人々は、「来年は、このスキー場は無いな」と思うだろう。マセラッティにとっては、むしろ、ブランド毀損に繋がるのではないかとも危惧される。
国内で、スキー場利用者に対する意識調査を行うと、現役スキーヤーの多くは、スキー場のサービスに対して期待をほとんど持っていない。滑るために「仕方なく」リフト券を購入し、索道を利用しているが、それが自身の経験を高めてくれるサービスであるとは認識していないのだ。
そういう状況だと、当然だが、リフト料金は「安ければ安い」方が良いし、レンタルや飲食に費用をかけようとも思わない。
顧客経験のデザイン
一方で、スキー場においてゴンドラを綺麗にすれば、顧客経験が一律で上がり、消費単価も上がるのかといえばそうではない。
ゴンドラが綺麗になるとか、しっかりとしたグルーミングがなされるといった事に、付加価値を感じ、かつ、それに見合う対価を支払える人でなければ、消費単価向上には繋がらないからだ。
「走るなら軽自動車で十分」と思っている人に、レクサスを「どうでしょう。良い車でしょ」と言っても無意味だと例えば、その意味は明確だろう。
つまり、顧客経験をロイヤルティや消費単価に繋げるには、顧客の取り組みが、適切な顧客層に適切に刺さる事が必要であり、一方的に成立する話ではない。言い方を変えれば、「消費単価が上がらない」という原因の多くは、「支払うことが出来る顧客層を呼び込めていない」事にある。
結局の所、主人公となる顧客像を明確にイメージし、その主人公の視座・視野・視点にたって、一連の経験を考えたり、デザインしたりすることに加え、その顧客層を呼び込んでくるマーケティング方策も重要となる。
例えば、ベイルでは、「顧客の生涯に残る経験づくり」をミッションに掲げ、職員の意識を顧客経験創造にフォーカスさせる事に加え、来訪者に対する意識調査や動態調査をヒアリング、アプリ、ソーシャルなど複数手法を走らせながら行っている。そうした地道かつ広範な取り組みによって、顧客像の明確化と、顧客経験の磨き上げを実現し、圧倒的な競争力を有するようになっている。
言い方を変えれば、地域での経験そのものではなく、その経験を通じて、顧客が何を達したいのかという所にまでさかのぼり、総力戦で対応しているのが米国リゾートだ。
これに対し、日本で多く取り組まれているのは「サイクル・ツーリズム」とか「メディカル・ツーリズム」といった○○観光である。形容詞観光と整理できるこれら活動は、特徴的な体験プログラムを主体とした観光振興策であるものの、その体験自体は、全体の顧客経験の中の1つでしかない。
特徴的な体験プログラムをつくるだけで、顧客経験の創造につながる訳ではないということを銘記しておきたい。