サービス価格を巡る話題
観光の仕事をしていてよく遭遇するのは「価格」に関する記事。
「日経ビジネス オンライン」に2017年11月06日に掲載された記事。
「財界さっぽろ」の2017年11月号に掲載された記事。
そして、2018年5月12日に北海道新聞ネット版に掲載された記事。
「定価」の呪縛
いずれの記事も「価格」が変化することの意義(レベニュー・マネジメント)は指摘しつつ「繁忙期だからと言って高額にするのは良くない」というトーンが醸し出されている。
実際、私も京都のアパホテルに「やられた」経験がある(※公務員時代だったので自腹対応)ので、レベニュー・マネジメントとはいえ、異常に高額となるのは納得いかない部分はある。
ただ、コンサルタントの立場から言えば、低い生産性を高めて行くのにレベニュー・マネジメントの取り組みは欠かせず、より積極的に活用すべき取り組みである。
もともと、なにをもって「高すぎる」と感じるのかといえば、より安価な時を知っているからだろう。
通常の平日なら1万円以下で泊まれるホテルが、特定期間の休前日に3万円となると、同じ宿泊サービスを提供しているのに、その価格は納得いかない、高すぎる、足元を見ている…という話になるからだ。
この背景には、本来、モノやサービスの価格には適切な「定価」があり、それを下回ることはOKだが、上回るのは「ぼったくり」だという意識がある。
ただ、この「定価」というものはなんだろうか?
「定価」とは、固定的に設定される価格であり、一般に考えれば、原材料などの価格に、人件費、それに適切な利潤を乗せて設定されるものとなる。
つまり、定価の背景には、各種費用が固定的に設定できるという発想に基づいている。
これは、極めて製造業的な発想である。
製造業では、販売されるモノは、事前に生産されている。さらに、売れ残っても、棚卸資産として計上できる(在庫が出来る)。つまり、生産された時点で経済的な価値を有しているからだ。
しかも、その生産に用いられる経営資源(ヒト・モノ・カネ・情報)も、事前に固定的に価格を設定することが可能であり、資産として計上できる。
こうした構造であれば、価格を固定する「定価」という概念はなじみやすい。
これに対して、サービスは、販売(消費)と生産が同時に起きる。つまり、販売される(消費される)ことで始めて経済的な価値が発生する。
単位時間あたりの生産量には限界があることを考えれば、「提供時間」は経営資源の一つと考える事が出来る。
つまり、サービスの経済価値の決定には、投入されるヒト・モノ・カネ・情報だけでなく、それが提供される(生産される)時間帯という要素も含まれるということだ。
そもそも価格というのは、需要曲線、供給曲線の交差点によって価格が決定されるという古典的な経済学を考えれば、供給量を上回る需要があれば、価格は上昇することになる。
結果、「提供時間」の価格は、需給バランスで大きく変化することになり、それを組み込んだサービスの価格も変化する事になる。
多くの人が、そのサービスを享受したいと考える時間帯であれば、その時間の希少性が故にサービスの価格は上がり、誰も感心を持たない時間帯であれば、サービス価格は下がる訳だ。
需給バランスが時間軸の中で変化する限り、サービスには固定的な価格としての「定価」は存在せず、「時価」が一般的なのだ。
冒頭で掲げた事例は、こうした繁忙期と閑散期に対応し、事業者が価格を変えて対応した事例と言える。
収益最大化に向けた取り組み
ここで派生的に出てくる課題は、供給者側に「需要曲線」は見えないと言うことだ。
製品であれば、製造後に売上を見ながら生産量の調整が可能であるが、サービスは生産と消費が同時だから、そうは行かない。
そのため、高すぎたのではないか(需要の喪失)、安すぎたのではないか(機会の喪失)が常につきまとうことになる。
また、ホスピタリティ産業は基本的に装置産業としての性格をもっており、高い固定費が発生する。これに対し、顧客の受け入れに伴って発生する変動費は少なく、基本的には受入量の限界まで顧客を受け入れる事が収益の最大化に繋がる。
受入量を増やすには、価格を下げる事が有効であるが、それは「機会の喪失」を誘発し、単なる安売りとなってしまう。かといって、強気の価格設定では、販売量は減少し、最悪、損益分岐点を超える事が出来なくなってしまう。
需要曲線が見えない中で、持っている施設の価値を最大限に活かし、収益を最大化していく取り組みとして生まれたのが、同じサービスを異なる価格で販売することで、2つの喪失を最小限に留めようという試みである。
この考え方に、繁忙期、閑散期といった需要曲線の違いを加え、きめ細かい価格設定を行い通年での収益拡大を図っていくのが「イールド・マネジメント」の基本である。
フェアな仕組みが必要
このイールドマネジメントは、前述した「繁閑期と繁忙期で価格が違う」という事に留まらず、同じ日に、同じサービスを受けるにも関わらず、価格が異なることになる。
現在でも海外に行けば、客の服装や態度によって価格が変わるモノやサービスは少なくない。
が、こうした行為は「ぼったくり」と称される行為であり、これを良しとする観光客は少ないだろう。
一方で、こうした仕組みは航空運賃や外資系ホテルでは、一般的な仕組みとして、広く受け入れられるようになっている。
この違いは何か。
今日のイールドマネジメントでは、あらかじめ取引条件が提示されており、その条件を満たせば誰でも購買できるということが大きな違いである。
例えば、早い時期から予約をし、かつ、予約変更不可、キャンセル時には多額の手数料…といった条件を是とすれば安価に購入できる。他方、直前予約で、かつ、予約変更も可能…といった条件でとなれば高価格となる。
端的に言えば、早くから、かつ、制限された条件で購入したほど、安価に利用出来るというのが暗黙のルールとなっている。これは、子供の運動会に、早くから並んで席取りする…という行動と基本的な変わりはない。
さらに、ここで気がつくのは、サービス提供の時間だけでなく、その予約・決済にも「時間」という概念が盛り込まれていることだ。今日の時点で、明日の予約だけでなく、10日後、20日後、30日後といった未来について展望し、条件と価格を設定していくことが求められるのである。
こうした条件と価格との関係は、とても、人間が算出できるモノではなく、確率統計的に、サービス提供時に想定される需給バランスから導き出されるものである。すなわち、イールドマネジメントを実践するには、細かい予約データと対比する収益データの蓄積と分析が重要な鍵となっている。
三越の前身である「越後屋」は、商品(反物)に「定価」を定め、それまで常識であった「人に寄って価格を変える」という商習慣を変えることで成功したと言われる。
残念ながら、イールドマネジメント領域については、海外事業者が先行していることは否めない。サービス経済の時代に対応した「越後屋」の登場を期待したい。
そのためには、事業者だけでなく、消費者(顧客)の側も、サービスの価格は「時間」によって左右されるものなのだということに対する理解を高めていくことが求められるのではないだろうか。