観光政策の現場での「あるある」の一つとして、観光客数を狙うのか、単価アップを狙うのか、または、観光客数✖︎単価となる総消費額アップを狙うのか、という話になると単価アップ、または総消費額アップを狙おうとなりながら、結果、観光客数しかフォーカスされないということがある。
以前、示したことがあるが、訪日客はその顕著な例である。訪日客数は増大傾向にあるが、その内実は、過半数が年収500万円以下である。これでは、消費単価が伸びないのは当然と言える。
もちろん、人数が増えれば、単価が低くても総消費額は増えることになるが、観光はサービスであるため、受け入れ容量には限界がある。その限られた容量を、低い単価で埋めてしまえば、本来得られるかもしれなかった収益を失うことになる。
また、施設や設備の受け入れ容量とは別に、対応する人件費の問題もある。
ザクッといって売上高の3割から4割くらいが人件費となるが、客数が多ければ、それだけ対応する人数も必要となる。例えば、100万円の売り上げから40万円の人件費が生まれるとしよう。1人の従業員が5名に対応できるとすれば、10万円✖︎10人の顧客であれば、2名で対応可能。一方、1万円✖︎100人の顧客であれば、20名が必要となる。結果、1人あたり人件費(≒給与所得)は前者なら20万円だが、後者だと2万円となってしまう。仮に、後者のケースで、1人の従業員が20名に対応できたとしても、8万円にしかならない。
つまり、仮に、ハード的には受け入れ可能であっても、低い単価であれば、労働生産性(≒1人あたりの給与額)が低下することになるということだ。
人手不足が顕在化する中で、労働生産性を高められないというのは、ある種、致命的である。限られた「人手」という経営資源を、確保することが難しいからだ。
まぁ、こんなことは「わかっている」話でもある。だからこそ、観光客数から消費額へという話が(私も含め)各所で主張されるわけだ。
にも関わらず、観光客数という量への傾倒が止まらないのは、市場構造を見るとわかる。
以下は、OurWorldInData.orgがまとめた2003年から2013年にかけての世界的な所得分布推移である。日本では「格差社会」の到来が指摘されることが多いが、世界的に見ると、全体的に所得のかさ上げがなされてきていることがわかる。
ここで、日本の訪日客の過半数を占める$5,000(≒500万円)ラインに注目して見ると、2003年では世界人口の15%程度でしかなかったが、2013年になると25%程度と大幅に拡大している。これは、実に10年間で1.7倍、毎年6.5%の成長である。
この暴力的とも言える市場拡大の前には、単価云々という議論は消し飛んでしまう。年収500万円ラインをターゲットとしている事業者からすれば、無理してアップグレードを狙わなくても、毎年、人数が7%近く伸びていくのだから。
その余波が、前述した「人手不足」という話に繋がっていくわけだが、個々の企業の立場からすれば、それよりも、まずは「売り上げ」となることは自然である。
ただ、よりアッパー層である$10,000以上も1.5倍程度の増大をしている。この領域が、いわゆる「ラグジュアリー市場」と言われるところであり、もともと単価の高いセグメントでも量的拡大が起きていることがわかる。
かつて、日本は、安くて高品質な自動車や家電製品を作り、世界での評価を高め、経済の基礎を作った。しかしながら、その背景には膨大な人口が都市部へ移動して労働力を提供し、その労働力が内需となり販売量を支えたという事実がある。そして、その自動車や家電製品も、今や、国際的な競争力を低下させつつある。普及帯は新興国に追い上げられ、ラグジュアリー市場については伝統的なブランド企業に勝てないためである。
他方、イタリアの自動車メーカーは、日本車のような「台数」は狙うべくもないが、その代わりに世界中の「車好き」が注目する車を作り続けている。当然、新興国において「リッチ」になった富裕層も憧れる存在である。
高度成長の夢をもう一度と、大量生産を目指していくのか、イタリアのような存在を目指すのか。市場が伸びている現在だからこそ、考えていくことが必要なのではないだろうか。