こちらに来て41日目。予定滞在日数は、全部で200日余りですから、概ね20%が経過したことになります。
20%と思うと、早いのか、遅いのか。印象としては、思ったよりは早いという所ですね。
さて、その40日の中で、強く感じたのは、「知見」というのはこうやって積み重なっていくのだなぁと言うことです。
いわゆる「論文」を書いたことがある人であれば、解ると思いますが、論文というのは、「既往研究のレビュー」「自分なりの着眼点、問題意識」「客観性のある(主に定量的調査)検証」「課題整理」といったパートで構成されています。
これは、原さんの言葉を借りれば「誰かが積み上げた煉瓦の上に、自分が、一つ、また、煉瓦を積み上げていく」という事になります。
こうした形態は、それこそ、私が学生であった20年前から変わらないわけですが、大きく変わったことに、ネットの存在があります。
論文が、過去の既往研究のレビューから始まると言っても、以前であれば、現実問題として、参照できる論文数には限りがあり、参照できる範囲でしか煉瓦を積み上げることは出来なかったのです。端的に言えば、日本は日本、韓国は韓国、アメリカはアメリカという感じですね。
もちろん、アメリカの大学に留学するなり、現在の私のように研究員として出向く場合はありますから、そうした中で、相互のやりとりは生じていましたが、その場合でも、その期間、その大学での参照範囲に限定されますから、数十に及ぶ研究誌を網羅し、かつ、持続的にチェックしていくというのは、非常に困難です。
つまり、従来の煉瓦の積み上げは、各所にて、独自に積み上げられていた関係で、さほど大きなモノとはならなかったと言って良いでしょう。
これが、一変したのは、ネットの存在です。グーグルのサービスの一つ、グーグルスカラーを利用すると、世界中の論文をネットで検索できるようになったのです。執筆者でも、テーマのキーワードでも、なんでもOKです。
こうなると、紙媒体では世界のどこかで埋もれていたような論文にも、簡単にリーチができるようになります。
もともと、論文は前述したように、既往調査をレビューし、調査の目的を明確にし、その結果を端的にしめし、かつ、そこでやり残したことや課題を示して締めるという形態であり、部品化しやすい。コンピューターモジュールのようなものです。
それに自由自在にアクセスできるようになったわけです。
その結果は、どうなるでしょう。研究誌の違いはあるにせよ、皆が同じ場所に煉瓦をつみあげる用になったのです。これは、ものすごいことです。世界中の研究者が、それぞれに、煉瓦を積み上げていくわけですから。
こちらで、論文検索、参照を行っていると、モジュール化された知見が、複層的に積み上がり、大きな知見となっていることを痛烈に感じます。
この知見の持ち主は、個人ではないというあたりも注目すべきでしょう。UCFには、ピザム学部長という観光研究の生き字引のような人が居ますが、ネットによる論文サービスは、こうし属人に依存することなく、誰でもが、様々な既往研究を参照できる事を意味しているからです。(グーグルよりも、属人的なエクスパートの方が本当のところは優秀、的確という部分はありますけどね。)
私は、10年ほど前に、ナレッジマネジメントをかじりましたが、10年以上経って、その実践例を目の当たりにしている。そういう気分です。