オーランドに来て、考えてみたら4ヶ月が終了していました。1年の1/3。私の滞在期間からすれば、60%位を消化しました。
さて、こうやってアメリカに住んでいると、いろいろと日米の常識ギャップというか、価値観の違いに遭遇します。このところは、そうしたアメリカンスタイルに慣れてしまって、「ゴミを分別しない」とか「駐車場に頭からつっこむ」とか「担当者によって言うことが違う」といった事に、あまり違和感を感じなくなっています。
まぁ、簡単に言うと、アメリカは、基本的にゆるゆる。楽しようと思えば、果てしなく、楽が出来るし、ずるもできる。他人に、直接的に危害を与えるようなことがなければ、誰も気にしない。でも、そうやっていくと、果てしなく、ずぶずぶと沈んでいくことに。電動カートに乗らないと、テーマパークを回る事すら出来ない「巨体」の人たちを見ていると、そういうことを実感します。
なので、自由なアメリカでは、日本以上に精神的な規律が求められます。自己責任ってこういうことなのね。ということを実感するわけです。
これは、消費者の立場ではなく、事業者の立場でも同様。どんなものにしなければならないという規制は低いが、それが、評価されるかどうかは、顧客の意識次第。人気を集められなかった事業者は、あっという間に消えてしまいます。
そんなアメリカに居て、びっくりした記事が以下の読売新聞。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090930-OYT1T00027.htm?from=main5
ーーー引用ーーー
低額カット店に洗髪義務付け、「意味あるの」反論も…群馬
低料金で髪のカットのみをする理・美容店に対し、群馬県は、洗髪設備の設置を義務づけることを決めた。
新規出店の店が対象で、関連条例の今年度中の改正を目指し、施行は来年秋ごろになりそうだ。県衛生食品課は義務化の理由を「公衆衛生の向上を重視し、総合的に判断した」と説明している。義務化の是非を議論していた県の検討委員会は5月、「緊急を要して義務化する必要はないとの意見が大半」と提言していた。
この議論は、個人営業の店が主体の県理容生活衛生同業組合と県美容業生活衛生同業組合が、カット専門の理・美容店に対して洗髪設備の設置義務化を求める請願を県議会に提出し、昨年3月に採択されたのが発端だ。
「洗髪しないのは不衛生」と訴えていた県理容生活衛生同業組合の吉野信一理事長は「我々は清潔さが身上の商売であり、安堵(あんど)している」として県の判断を歓迎。一方、県内に11店舗を展開するカット専門チェーンは「洗髪するかしないかは利用者の判断。義務化に意味があるのか」と冷ややかだ。
県はこれまで、衛生面の実態調査や県民アンケートを実施、さらに有識者ら5人の検討委を設置して議論してきた。実態調査によると、洗髪設備の有無で衛生状態に差が出ることはなかった。アンケートでも、設備がないことを「特に問題ない」「快適ではないが、不衛生とは思わない」との回答は合わせて6割を超えた。これらを踏まえ、検討委は「義務化の合理的理由は見いだせない」と結論づけていた。検討委の委員長を務めた大河原真美・高崎経済大教授は「県の判断に反映されたのかは疑問で、違和感がある」と話す。
県の昨年末の調査では、洗髪設備がない理・美容店は、全6827店のうち47店。また、全国では17道県が設備設置を条例で義務付けているが、17府県は、働きかけはあったものの条例化は見送っているという。
(2009年9月30日03時08分 読売新聞)
ーーー引用終わりーーー
いやぁ。ここまで意識というのは異なるのだなぁと。アンケートや実態調査で定量的に洗髪の有無と衛生状態に関係が無い事が示されているにも関わらず、こういう意志決定が導き出されるというのは、なんとも。
多分、アメリカでこういう判断を行政が行ったら、総叩きにあうんじゃないですかねぇ。そもそも、アメリカの床屋は、洗髪なんてありませんが。
でも、このことは、従来、競合が生じないくらいローカルな市場であったところでも、競合が生じるようになってきたことを示しているのかもしれませんね。競争を抑制したい側の視点にたてば、それは、単なるエゴではなく、地域の経済システムは、一つのエコシステムを作っていますから、その一部が欠けてしまうと全体に影響が行くという論理も解ります。(実証したいところですが)
でも、この流れは、オイルショック以降、70年代から30年以上にわたって広がってきたモノであることも認識しておかないといけないでしょうね。本当に、地域経済の事を考えるなら、もっと大局的な取り組み方があると思うのですが。

Share