以前、「コモディティは夢を売ることが出来るか」というタイトルにて、琉球大学の駐車場が軽自動車だらけであったことを投稿した。
http://www.resort-jp.com/ppBlog17/?UID=1226197747
これは、山口大学の学生と話していても同様で、車というものに対して、なんの関心も持っていなかった。
私の学生時代は、自動車は、嗜好品の最たるものであったし、実際、足としてガンガンに利用する道具でもあったので、「良い」ものが欲しいと思ったし、そのためのバイトも行った。確かに、現在の軽自動車は、私が当時、バイトして購入した車に匹敵するくらいのパフォーマンスを有しているものもある。とはいえ、所詮は、軽自動車。とても、「面白い」道具とは思えない。
ただ、これは、私のように、自動車を趣味の道具、嗜好品として考えるから生じるギャップであり、学生は、そういう意識、評価軸にはないのだと思う。それこそ、ウォルマートで売っているような日用品の一つ、自転車のように考えているのだろう。壊れず、そこそこ安全で、かつ、そこそこの動力性能があれば、あとは価格だけが評価軸となるような。
これは、まさしく、価値観の変化なのだろう。自動車メーカーは、今でも、頑張って、自動車を日用品ではなく、嗜好品にしようとしているが、ホテルと同様に、日用品になっていってしまうのだろう。
ここで、見方を変えてみよう。軽自動車は、もちろん、私の学生時代にも存在していた。ただ、その当時は、基本的に排気量や大きさ、馬力が車の価値を規定する評価軸であっために、最下層に位置づけられていた。しかしながら、排気量をはじめとする既存の価値観、評価軸が意味を喪失していくことによって、軽自動車は、主役に躍り出ることとなったと考えられる。
昨日、「オーランド146日目 〜偏在する世界」で示したように、世の中の注目は偏在し、注目されない「その他」が幅広い尻尾をつくることになる。しかしながら、こうした尻尾は、既存の価値観、評価軸で考えるから尻尾なのであって、未来永劫、尻尾で有り続けるわけではないことを、「軽自動車」にみることが出来るのではないだろうか。
もちろん、全ての「尻尾」が、独立した頭になるわけではない。それだけの素質を持ち、改善を進めていくことはもちろん、時代の趨勢も必要だろう。軽自動車が、日本でしか普及していない事からも、そのことは明らかだ。(輸出の取り組みは行っている)
実際、ここ米国の大学では、私の学生時代と同様に、古い車から最新のスポーツカー、ラグジュアリーカー、ピックアップまで、様々な車が並んでおり、非常に個性的だ。ただ、その中には「プリウス」も存在するように、アメリカの学生ですら「エコ」を意識するようになっている。
このことを考えれば、現在、「頭」にある組織、企業は、「尻尾」から将来の頭になるような素材を取り込んでくることが必要だし、「尻尾」にいる組織、企業は今の「頭」を模倣するのではなく、新たな頭を目指し、足下を固めていくことが必要だろう。
これは、自身の固定観念(例:車とは嗜好品)にとらわれず、顧客がどう思っているのか、考えているのかを前提に物事を考えて行く必要を示していると言えよう。いわゆる、「顧客志向」だ。
また、もう一つのことも言えるだろう。それは、基本的に、商品やサービスは、歳月と共に、日用品化していくということだ。企業は、それを、様々な手段で食い止め、嗜好品にとどめようとするが、それは、企業だけの取り組みは不可能で、景気や世の中の傾向に依存する部分が大きい。日用品化していくことを前提に、コスト体質などを見直していくことが必要だろう。
時間軸というものを考える必要性を感じる。

Share