Discussion of Destination Branding.

「おもてなし」とアジア文化

今日、ネットサーフィンをしていたら、ある記事に遭遇した。
「“おもてなし”の心は生き残れるか 日本旅館の閉館続く」というものだ。
まぁ、記事の内容をとやかく言うつもりはないが、こうした場面で、よく使われるのが「おもてなし」という言葉だ。
欧米で使われている「ホスピタリティ」を「おもてなし」として活用している場合も多い。が、それは間違いだ。
ホスピタリティという言葉は、従来の宿泊産業(ロッジング・インダストリー)では、くくれなく無くなったために、新たな産業群を示す用語として使われるようになったものだからだ。その語源を考えたところで、実のところ、意味は無い。言葉から実態が生まれたわけではなく、実態から言葉が生まれたためである。
さて、前述の記事のように、「おもてなし」が重要ということは、日本の各所で指摘される事項であるが、実のところ、欧米のCS研究、ロイヤリティ研究において「おもてなし」、端的に言えば、従業員の接遇が取り上げられることは少ない。もちろん、従業員満足と顧客満足が相関関係にあるといった研究はあるが、こちらで、論文を読んでいると、従業員満足が直接的に従業員の「おもてなし」を向上させることで、顧客満足を増大させるというよりは、従業員満足の向上が、「職場への定着率」を高め、それが、従業員の経験値増大につながり、教育費負担の軽減、ミスの削減などに繋がっていくという文脈で語られる場合が多いことに気づく。
すなわち、欧米のホスピタリティ研究では、実のところ「おもてなし」というのは、研究テーマにすらなっていないのである。
このことは、欧米のホスピタリティ産業において、「おもてなし」というものについて、ほとんど関心を持たれていないということである。
なぜ、ここまでの意識の違いが出てくるのだろうか?
ここで、注目されるのは、欧米人とアジア人での、サービスを評価する際の意識の違いである。この違いを扱った研究論文はいくつか出ているが、そこで共通しているのは、「欧米人は、low-context communicationを好み、アジア人は、high-context communicationを好む」ということだ。
Low-Context とは、簡単に言えば、表に出た事象を重視し、その背景とか裏側の事情、経緯を軽視する傾向の事で、一方のHigh-Contextは、表に出た物だけでない様々な背景を含めて考える傾向を示す。
こうした傾向、文化の違いは、例えば、「レストランでオーダーミスがあり、違う商品が来てしまった」という場合に、その対応に差が出てくる。欧米人の場合には、そうしたミスは、オーダーを取った人間の問題として認識するのに対し、アジア人の場合には、「お店が混んでいたから」「音がうるさくてオーダーが聞き取りにくかったから」「厨房の人が間違えたのかも知れない」などと、様々な原因を想起し、その人個人ではなく、そのレストラン全体にその原因を帰結させる傾向となる。そのため、同じミスが会った場合、対欧米人の場合には、オーダーを取った個人が謝罪することが効果的であり、対アジア人の場合には、その上司(マネージャーや店長)が謝罪することが効果的となる。仮に、この逆の対応を取ると、顧客の怒りに油を注ぐことにもなりかねない。
なお、こうしたLow-Contextの傾向は、欧米人の中でも、米国人は特に激しいという指摘がある。米国人といっても、実際には、他民族であるから、米国の人、人種と考えるよりは、米国社会の文化をして考えた方が良いだろう。
さて、こうした整理をしてくると、「おもてなし」というのが、アジア、日本において、重視しがちな理由が見えてくるのではないだろうか。
high-context communicationを好むアジア人、日本人は、サービスを外形的なものだけでなく、「気遣い」「思いやり」といった目に見えない部分にまで広げて考える傾向にある。それが「おもてなし」重視にも繋がるのであろう。
ただ、問題は、実際の現場において、顧客が、「おもてなし」を評価しているのかどうかということだ。
確かに、アジア、日本の文化として、high-context communicationの傾向はあるのだと思う。
しかしながら、一方で、こうしたhigh-context communicationに経済的な価値を、どこまで感じているだろうか?
例えば、マクドナルドに代表されるファーストフードの「おもてなし」は、かつて、「マニュアル的」と非難の対象にもなったが、現在、こうしたファーストフードの「おもてなし」を、そういった文脈で非難することはほとんど無くなっているのではないだろうか。
また、全国にチェーン展開する「東横イン」は、そのコンセプトを「駅前旅館の鉄筋版」としている。駅前旅館は、それこそ、商人宿として全国に立地してたものであるが、その多くは、個人経営であり、宿の主人と顧客との関係はhigh-context communicationの塊であったろう。それが、モダンな建物形状、設備を持つ一方で、スタッフは最小限でかつマニュアル化されているlow-context communicationに切り替えた「東横イン」モデルによって、全国的に取って代わられることになった。
そう。「裏側に思いをはせる」ではなく「表に出ていて見えるものを評価する」というように意識は変わってきているのではないか?
もちろん、依然として「裏側に思いをはせる」という意識は顕在だろう。high-context communicationでは、従業員と顧客とのコミュニケーションが大きな位置づけとなるが、JTBFの調査でも、「スタッフ対応」は多くの観光地において共通項となる因子であることからもそれは確認できる。しかしながら、スキー場調査の結果でいえば、スタッフ対応は、Must-Be因子(評価が下がると、大きく満足度を低下させる。が、評価が上がっても、満足度はさほど増大しない)であり、「普通であれば、それで十分」というものである。
このことは、一定程度以下に、「おもてなし」レベルが下がらないように、システムとして対応してしまえば、「おもてなし」という価値基準を無意味(プラス要素にもならないが、マイナス要素にもならない)とすることができることを示している。前述のマクドナルドや東横インは、まさしく、その好例だろう。
一方で、一泊、40,000円するような旅館やホテルに宿泊する日本人は、宿の設備だけでなく、従業員の「おもてなし」にも対価を支払っているという意識が強いだろう。(例え、その「おもてなし」が目に見えないものであったとして) 
実際、ザ・ペニンシュラ東京の総支配人「マルコム・トンプソン氏」は、その著書の中で、パークハイアット時代に「新聞がドアに対して水平ではなく、奇妙な角度で投入された」事に対して、クレームが来たことを述べています。これなどは、「新聞の置かれ方」に、その背景の行動原理まで考えてしまうhigh-context communicationな日本人ならではと言えるだろう。(実際、その新聞は、新米のベルマンが雑に投げ入れていたものとのこと)
しかしながら、こうした事例においても、「なぜ、その日本人は、そうしたクレームをつけることができたのだろう」と言うことを考えて行くと、その本人が、日頃からhigh-context communicationの中で、生活してきているから「気がついた」のだろうという推論にたどり着く。
では、ひるがえって。現在の日本人で、そうしたhigh-context communicationにどっぷり使っている人が、「多数派」と言えるだろうか。
high-context communicationが成立するには、「暗黙の了解」「共通の社会常識」といったものが、サーバーにもクライアントにも必要だが、価値観の多様化といった言葉に代表されるように、そうしたものは崩壊方向にあると言って良いだろう。
こうした中で、high-context communicationに重きを置き、かつ、その価値に「対価」を支払う人は、ごく一部の人たち、または、限定された「時と場合」であるだろう。
実のところ、リッツカールトンのように「おもてなし」を売りにしているホテルが外資系で存在するように、low-context communicationが主体の欧米であっても、high-context communicationを求める人は存在する。でも、それは、「人や時そして場合」によるものであり、一般解ではない。この点は、日本でも、欧米でも変わらないと認識して良いのでは無いか。
この他、例えば、引っ越しや葬祭といったサービス業は、以前は、価格とその内容が外形的に見えない「high-context communication」が求められるものだったが、現在では、それらが外形的に整理された「low-context communication」へと転換が進み、転換できなかった事業者は淘汰される方向にある。
このように考えて行けば、アジア、日本においては、依然としてhigh-context communicationへの意識への配慮は必要だとしても、まずは、low-context communicationにおいて、きっちりと成果を示すことが必要だと言うことが言えるだろう。
供給側がいかに「おもてなし」が重要だと思っても、それが定量的に示せるものでなければ、low-context communicationに徹して、servicescapeを徹底すべきだろう(servicescape/サービススケープについては、後日、整理する)。なぜなら、顧客はそれらの価値を認識できないから、対価を支払わないし、「よかれと思ってやったことが不興を買う」ように、かえって、不信感を招くことにもなる事もあるからだ。「おもてなし」向上に投入するリソースがあれば、low-context communicationの向上にリソースを投入すべきだろう。
繰り返しになるが、定量化できない「おもてなし」が価値に反映されるのは、ある特定の「顧客」と「時と場合」の組み合わせが招く、レアケースと考えるべきであって、一般化すべきではない。このことを再度、指摘しておきたい。

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