観光振興の2つの目的」で述べたように、同じ観光の振興を考えていても、その目的や想定する手段、ゴールイメージは異なっていることが少なくない。

なぜ、こういう事が起こるのかというと、人によって、物事のとらえ方が異なり、会話していても、実は、異なるものを見ているためである。

我々は、良く「視点」という言葉を使う。視点は、見ているものを示すが「同じ視点」であっても、人によって見えているものが異なってくる可能性がある。

例えば、「沢山の来訪者が来ているお祭り」を考えてみよう。観光客相手に商売している人は「とっても嬉しい」が、警察など安全管理をする人からみれば「来すぎたら困る」ということになる。つまり、立場によって、同じ現象のとらえ方は違う。

この立場は「視座」、見ている現象は「視点」となる。

さらに、同じ視座で、同じ視点であっても、とらえ方が変わることがある。

例えば、前述の商売人でも、短期的な売上にしか関心がなければ「ともかく、売りつけてやろう」と思うだろうが、お祭りに来る人達との持続的な関係性というところまで考える人であれば「お祭りを契機に、街を好きになってもらおう」という発想になるかもしれない。
警察などの安全管理でも、お祭りを単なる警備対象として見れば、ともかく事故や事件の無いようにと厳しく管理しようとするだろうが、大量の一般市民と警備担当者との接点の場として見れば、(DJポリスのように)警備活動の広報に使おうという発想が出てくるかもしれない。

こうしたものの見方、とらえ方は「視野」と表現出来る。

人には、それぞれ「立場」があるので、視座はなかなか変えられない。
そして、視野は、得てして固定的だ。
結果、同じものを見ている(視点)のに、全く異なる認識が出てくることになり、意見対立へと繋がっていくことになる。

これに対応するには、どうするのか。

よく言われるように「自分は変えられるが、人は変えられない」ということを考えれば、対応策は一つ。自分の視野を出来るだけ広げることだ。

例えば、商工業者の人達が見ている視野を理解するには、資金繰りや労務管理、後継者問題など経営上の課題について一定の知識を持つ事が必要だろう。また、行政の人達と話すには、公務員制度とはどういうもので、どういうガバナンスになっているのかということも重要となろう。

我々が常識と思っているものが、実は、自分の経験と、自分の社会観によるバイアスがかかったものであり、他の人には、他の人なりの視座・視野・視点があるのだと思うようにすると、いろいろなことが見えてくるようになる。

こうした考えは、何も私のオリジナルではない。例えば、一時期流行った「七つの習慣」。
この中の第5の習慣として「理解してから理解される」という項目があり、そこでは「聞く力」を5つの段階に分けている。

ここで指摘されているのは、相手の視座に立ち、相手の視野や視点がどのようになっているのかということを考えながら、対応していくことが重要だということだ。

なかなかうまくいかないなぁという時は、「相手には相手の立場がある」ということを思い出すと、次善策も立てやすい。

なお、この「理解してから理解される」は、第5の習慣であり、これまでに4つの習慣が指摘されている。はじめの3つは、個人として主体的かつ戦略的に動くようにするということで、第4の習慣はWin-Winを考えるとして、他者との関わり、パートナーシップが述べられている。

このことは、他者と連携する、パートナーシップを築くには、相手に寄り添う前に、まずは、個としての主体性、自立性が重要だということである。つまり、自分の視座、視野、視点をちゃんと持つということですね。

 

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