医療は専門分野外なので、整理を避けてきましたが、私のスタンスを理解いただいた方が、他の私のコロナ関連投稿での視座がわかりやすいと思いますので、整理しておきます。

まず、共有しておきたいのは「新型コロナは世界中から絶滅することはない」と私は考えているということです。

そもそも、新型コロナ以前から、コロナ・ウィルスは存在しています。ウィルスは一種の微生物とされ、人類が撲滅に成功した唯一のウィルスは天然痘のみとされます。

我々は、感染者が居なくなれば、ウィルスも無くなるように感じていますが、ウィルスは、そう簡単に消え去るものではありません。人間の体内はもちろん、他の動物の体内でも生きられるので、そこで、息を潜めて、感染のチャンス(彼らからすれば勢力増大のチャンス)を狙っています。

実際、今回の「コロナ」。新型コロナと呼ばれるように、その原型は、風邪を引き起こすウィルスであり、過去のSARSやMARSの延長線上にあります。

風邪がなくならないように、SARSやMARSもウィルスは、今でも地球上には残っています。が、現在、ほとんど気にされていないのは、感染を「抑え込め(containment)」ることに成功したためです。なぜ、抑え込めたのかというのは、本稿では述べませんが、人類にとって幸運が重なったためと言えます。

今回の「新型コロナ」は、既に世界中に拡散してしまいましたから、封じ込めでは抑え込めません。仮に、人類の体内から消えても、既に、人間以外の動物の体内に相当量、保全されていると考えられるからです。

さらに、場合によっては、頻繁にその型を変えて(亜種を作り出して)、人類に挑んできます。その顕著な例は、インフルエンザです。インフルエンザは、夏の間、寒冷地の湖沼にじっと潜んでいて、毎年、亜種となりながら、渡り鳥によって伝播するとされています。

それでも、我々が(これまで)生活できてきたのは、ワクチンや治療薬が出来ていたからです。

一定程度、社会で抗体をもった人々が出てくると、それがブロッカーとなり、感染拡大が抑制されます。これが、「集団免疫」です。
本来、抗体は、個々人が、当該のウィルスに感染し、自らの体力で打ち勝つことで得られますが、ワクチンは、同様のプロセスを安全に行うことで、抗体保有者を増やす効果があります。

さらに、有効な治療薬があれば、仮に、感染しても重症化することを抑えることが出来ます。

例えば、インフルエンザのワクチンは、罹患率を下げ、仮に罹患しても症状を緩和するとされていますし、罹患した場合でもタミフルやイレンザによって治療することが出来ます。

それでも、国内では1万人、全世界で25万人が毎年亡くなっているとされます

このようにウィルスが強力であれば、ワクチンなどがあっても対抗できない人は出てきます。

さらに、感染者数が増えれば、医療にかける負担が大きくなります。これが限界値を超えれば、医療崩壊となり、本来なら医療サービスで救えるはずだった命を失うことになります。

新型コロナに至っては、ワクチンも治療薬もない状態ですから、ともかく、我々には、ワクチンや治療薬が開発されるまで、感染を一定レベル以下に抑えて、じっと待ち続けるしかありません。そして、ワクチンや治療薬が出来て、一定の対処ができるようになった時が「終息」のタイミングとなります。撲滅が「終息」ではなく、共存できる状態になる、ワクチンや治療薬によって罹患による重症化が社会的に許容できる範囲に恒常的にとどまるようになるのが「終息」です。

しかし、その終息に必要なワクチンや治療薬開発には、年単位の時間がかかる「かも」とされています。

コロナとの戦いが「長期戦」というのは、そういう意味です。

ここで問題となるのが「どの水準で抑え込むのか」ということです。

ここまでの説明で分かるように、例えば、仮に全世界が一ヶ月や二ヶ月、ロックダウンしたとしても、新型コロナ・ウィルスは全滅することはありません。ロックダウン中は抑え込めても、解除したら、どこか(=他の動物)に潜んでいたウィルスが、再度、攻撃を仕掛けてくるからです。

つまり、非常に強力で魅力的にも見えるロックダウンは、医療崩壊への対応策とはなりえても、基礎的な感染拡大を抑止したり、コロナを撲滅したりするものではないということです。強力な行動抑制を短期間集中で行ったら、基本的な事態が、恒久的に改善されるわけではないのです。

2020年4月7日、政府は緊急事態宣言を出し、首都圏などでの準ロックダウンの方針を示しました。その中でも、安倍首相は「2週間後には感染者の増加をピークアウト」とは言っていますが、これは文字通り、感染の山を超えるだけで、感染がなくなるわけではありません。

「今、我慢したら大丈夫。道は開ける」ではないのです。

その「我慢」は、ワクチンや治療薬ができるまで続くことになります。

一方で、医療機関の容量を超えて感染者が出てきたら、指数的に死亡者が増えますから、感染爆発を抑えることは「絶対的に」必要です。

その意味で、私は「今は、医療崩壊を防ぐために、感染拡大を抑えるべく、行動自粛すべきだ」という論に、全く異論はありません。

が、その自粛レベルをどこに設定するのかは議論と検証が必要だろうと思っています。継続することの出来ないレベルの「我慢」は、その「我慢」による副作用も、タガが外れた時の反動も大きいからです。

この点に示唆を与えてくれるのが、山中教授のサイトで掲載されている以下の図です。

この図が示しているように感染症対策と経済対策は、トレードオフの関係にあります。

ただ、死者数と経済価値では、相対比較のしようがありませんから、私は、完全失業率と自殺者数との関係(1%悪化すると3000人弱、自殺者が増える)から自殺者数を敢えて試算し、相対比較できるようにしています。

これによると、秋から回復基調にのるという楽観的なシナリオでも、喪失する市場規模は7.8兆円。失業者は95万人〜280万人。ここから推計される自殺者数は2,000人〜12,000人となっています。

2020年4月7日現在の、日本でのコロナによる死者は92名。海外でも、2,000名を超えるのはベルギーや中国、イランなど、ごく一部です。これは、疾病に比して、経済危機は、大変危険な存在であることを示しています。

ただ,自殺者は、経済対策によって救うことも出来ます。ウィルスは、どんなに金を積んでも慶されませんが、景気は対策のしようがあるからです。

しかしながら、その経済対策にも限度があります。

政府は、事業規模108兆円という最大級の経済対策を展開予定ですが、実際の財政措置は39兆円であり、さらに執行段階における事務費も引かれることを考えれば、決して、万全といえるものではないでしょう。

つまり、完全ロックダウンまで行かなくても、過度な自粛が進めば、経済苦による自殺者という「目に見えない」被害者が多く発生することになります。

コロナによる死亡者のみに注目するなら、強固な隔離政策を展開することが有効ですが、それを、ワクチン開発する時まで持続したら、病死者より自殺者の方が遥かに多く発生することになるということです。

医療機関の対応能力に収まる水準までの感染を社会的に許容しながら、経済への悪影響も抑えられるだけ抑えていく。

言い換えれば、病死者も自殺者も出すことにはなるが、それが社会的に最小に収まっていく状態を作り出す。これが、コロナ禍の「収束」状態、人類とコロナの均衡状態なのだと思っています。

究極の選択というか、悪魔の選択というか。やるせない気持ちになりますが、このバランスをどう取っていくのかが、我々に課せられている大きな選択だと思います。

我々としては、自分たちで出来る自粛を積み重ね、習慣化していくことが重要と考えます。3月中旬の「ゆるみ」が医療サービスの限界を超えるところまで、感染者を増やすことに繋がったわけですから。

感染症対策は徹底しつつ、一定の自由は確保する。

どちらにしても「負け戦」ですがね。

Share