価値は顧客が決める

私は、本ブログで、製造業社会からサービス経済社会への転換を主張しております。
観光を振興するというのは、観光をサービス経済社会発想で捉えられるかにかかっていると考えているからです。

モノとサービス(コト)の経済面における決定的な違いは何か?といえば、それは、事業者側が値付けするのがモノであり、需要側が値付けするのがサービスであるということになります。

もちろん、モノでもサービスでも、プライスタグをつけるのは事業者です。顧客が勝手に値段を決めているわけではありません。

が、モノというのは、基本的に、原材料や輸送代、人件費といった原価を積み上げ、それに「適正利潤」を上乗せすることで、価格が決まります。これにならい「製造業社会」時代には、サービスも、原価を積み上げ、適正利潤を加えた価格設定が行われていました。

例えば、私の本業であるコンサルティング業務では、経験年数などから定まる「人件費単価」があり、業務にかかる日数を算出した上で、それに合わせて発生する本社費用(管理費と呼ばれる)と、利益(技術料とも呼ばれる)を一定の比率で外掛けし、別途、旅費や資料費などの直接費も加えることで価格が設定されます。

モノでもサービスでも、どれだけの工数をかけるかを決定するのは事業者であり、そこから価格が決定されてきました。

一方、サービス経済社会では、価格は顧客、需要者が感じる効用、価値によって決定されます。

現代社会は、慢性的な供給過剰状態にあり、顧客側が高い選択権を持っており、顧客は自分にとって意味のあるものに対しては支出意欲を高めるものの、意味を見いだせないものについては、徹底的に節約しようとします。その結果、同種のモノやサービスでも大きな価格差が生じるようになっています。

例えば、ファッションに興味の無い人によって、髪を切るというのは、単なる義務的作業でしかありませんが、気にする人にとっては、何事にも代えがたい、失敗が許されない行為となります。そのため、1200円のQBカットがある一方で、20000円を超えるような著名美容院も存在します。これは、原価の問題ではなく「散髪してもらう」というサービスに対し、1200円しか経済価値を感じない人と、自分が満足できる散髪であれば、10000円でも20000円でも支払いたいと感じる人がいるためです。

3つの価値

こうした構造は、価値を、機能的価値と情緒的価値という風に整理することで、わかりやすくなります。

機能的価値とは、そのモノやサービスを通じて直接的、実利的に得られる価値となります。美容院で言えば「髪を整える」ということが、その価値となります。一方、情緒的価値は、そのサービス利用を通じて得られる精神的な高揚感、充足感といったものになります。例えば、美容院で言えば、そこで髪を整えてもらうことで、自分自身のファッションセンスが高まるように感じたり、容姿が良くなると感じることで元気になれたり、自分に自信を持てたりといった効用が価値となります。

すなわち、情緒的価値とは、そのサービスそのものから生じる価値ではなく、事業者と需要者との相互作用によって生じる価値となります。

さらに、情緒的価値の上位には「自己表現的価値」というものもあります。そのサービスを利用することが、自分自身の価値観やライフスタイルを社会に示すような価値となります。いわゆるハイブランドのモノやサービスは、こうした価値を持っています。例えば、著名な美容院で言えば、その美容院に行っている、特定の美容師に整髪してもらっているということは、「私は自分の美容をとても重視している」ということを示すことにもなります。

基本的に、機能的価値+情緒的価値+自己表現的価値と、価値が重なることで、顧客にとっての特別性が高まり、モノやサービスの価値は高まり、価格が上がります。逆に、機能的価値しかないものについては、コモディティとなり、買い叩かれることになります。

となれば、これらを盛り込めば良いと考えることになりますが、モノやサービスに、どこまでの価値を求めるのかということは、顧客の嗜好、性格などによって大きく異なります。事業者側が一方的に、それらを詰め込んだとしても、それを顧客が望まなければ、取引は成立しません。

「顧客が価格を決める」とは、こういうことです。

また、機能的価値を中心に提供するとしても、価格を高めることは可能です。例えば、ビジネスホテルは、機能的価値のみで構成されるサービスと位置づけられますが、一部のホテルは、ダイナミック・プライシングを導入することで、収益を高めています。

ダイナミック・プライシングは、予約日や宿泊日によって宿泊料金を変更するものです。例えば、早い段階での予約であれば、安価に提供し、直前予約であれば高めに提供するという仕組みとなっています。この場合、同じ日に同じ施設の同タイプのホテルに宿泊しても、人によって価格が異なるということになります。

(前述の美容院と異なり)完全に内容が同じサービスであるにも関わらず価格が異なることが出来る理由は、需要者にとっての必要性が異なるためです。需要者は、ともかく「宿泊」したいわけですが、例えば、一ヶ月後の宿泊先を探す場合と、明日、急な出張が入り宿泊しなければならない場合では、宿泊施設確保の緊急性は大きく異なります。一ヶ月後の宿泊先選択では、複数の宿泊施設を比較して安いところを探そうとしますが、宿泊先が見つからず野宿するわけにもいきませんから、少々の価格差は気にせず、確実に確保できる施設を手配することになるでしょう。

これも「顧客が価格を決める」事例の一つです。

期待を誘導するブランド

一般的に、コストをしっかりとかけたものの方が、そうでないものよりも品質は高い。「真面目」な事業者は、よいサービスにしようとコストをかけようとするし、世間や評論家も、そうした姿勢を称賛します。しかしながら、実際の購買活動においては、そうした「創造プロセス」ではなく、そのサービスを享受することが、自分に取って、どういう意味があるのかという一点によって価値、価格が決まるということになります。

機能的価値しか求めていない顧客に付加的なサービスを提供しても、その対価を得ることは出来ないし、情緒的価値を求めている顧客により添えなければ、本来得られるはずだった付加価値を取りこぼすことになります。

それが、サービス経済社会における価値形成だということです。

これを逆手に取ると、価格設定によって、顧客の意識を誘導することも可能となります。

例えば、「高いワイン」と言われて飲むと、効用が高まるという研究は、その好例です。

「高いワイン」を飲むというのは、顧客にとって、ワインそのものを楽しむという機能的価値にとどまらず、「高いワインを嗜んでいる時間/私」という情緒的価値/自己表現的価値を伴うことになります。この場合、「高い」ということが意味を持つのです。

こうした顧客の心理を理解すると、ブランドと言う形で、顧客の期待とサービス内容、価格設定のバランスを合致させることが出来るようになります。

これをうまく活用しているのは、外資系のホテル・チェーン。膨大なホテルに対し、複数のブランドを設定し、顧客が自身の必要性なり、求める価値に応じたブランドを選べるようにしています。機能的価値のみを訴求する場合には、バジョット型のブランド、記念日旅行のように情緒的価値までを欲する場合にはアッパーミドル以上のブランドという具合です。

このように顧客に選ばせるようにすることで、供給側でのサービス仕様と、そこに対応する価格設定のバランスを適切なものとすることが出来ます。この場合、顧客に「適切に選んでもらう」ことが重要となりますが、それを実現するのがブランドということになるわけです。

国内でも某Hリゾートが、(立ち上げ当初には無かった)ブランドを各施設に付加し、同じグループであっても、そこで体験できる内容を明示的に切り分け、それをしつこいくらい社会に提示することで、顧客へ、それぞれのポジションを刷り込みを図っているのは、その好例でしょう。

経験はゲシュタルトである

サービス経済社会において、ブランドはとても重要な概念となりますが、ブランドはロゴやキャッチフレーズで作られるものではなく、それを購入することで得られる経験に対する適切な期待によって形成されます。

モノであれば、そのモノを所有したり利用したりという経験となりますし、サービスであれば、そのサービスを享受することから得られる経験となります。

ここで留意が必要なのは、経験というのは総体的なものであり、個々の部分を積み上げたものではないということです。

例えば、宿泊サービスは、ロビー、客室、食事、スタッフといった様々な要素で構成されていますが、顧客は、これらを、それぞれ要素別に採点し、その合計点で総合評価をしているわけではありません。

サービスを構成する様々な要素が渾然一体となって、顧客の経験を作り出します。つまり、「経験」とは、そこでの体験全ての集合体であり、部分や要素に切り出すことは出来ないものとなっています。

こういう「これ以上分解したら、元の特質を維持することが出来ない」状態をゲシュタルトと呼びます。

例えば、ディズニーランドの魅力を語る際、シンデレラ城とかカリブの海賊といった施設に分解しても意味がありません。パーク全体の空間、景観、音楽、アトラクションの構成、スタッフの対応などなどが揃って、初めて、ディズニーランドでの経験となるからです。カリブの海賊だけを、どこかにコピーしても、ディズニーランドにはなりえません。

全体ではなく部分を見る。言ってみれば、気を見て森を見ずというのは、製造業的な発想であり、我々がよくやってしまう過ちです。バブル期のリゾート施設などは、その好例でしょう。総合リゾートとして、ホテル、ゴルフ場、スキー場、テーマパークなどを一体で造ったものの、そこで、総体としてどういう「経験」ができるのかというデザインがなかったため、相乗効果をあげることが出来ず、多額の投資がストックにならず消え去ってしまいました。

顧客に適切な期待をもたせる、地域/施設がブランドを持つということは、地域/施設自身が顧客にどういった「経験」を提供するのかという意思を持ち、それにそって、個々の要素をつなぎ合わせ、不可分の状態にしていくことが求められるのです。

言ってみれば、オーケストラみたいな状態を作り出すのが、経験創造だと言えるでしょう。

付加価値は特別な「経験」が創る

サービス経済社会においては、コスト(工数)をかけたから、真面目に取り組んだから評価されるというものではありません。

同じサービスであっても、明示的に、そのサービスを選択した人は、満足度が高くなるということは各所で指摘されていることが示すように、全ては、顧客の認知にかかっており、その認知とは、そこで出来るだろう(それを買ったら出来るだろう)という経験に対する期待に誘導される形で形成されます。

観光で「しっかりと稼ぐ」には、消費単価の向上、富裕層の呼び込みが重要と言われますが、これは、やや因果関係を無視した論理展開です。今来ている顧客には可処分所得の壁がありますし、富裕層であっても、自分の嗜好に合わなければお金は使いません。消費額を増やそうと、むやみにコストをかけても、それが認知されなければ、また、顧客の価値観に合わなければ意味を持ちません。

一方で、そこでできる「経験」がしっかりと伝わっていれば、その「経験」を好ましいと思う人が集まってきます。そうした人々にとって、その「経験」は特別なものですから、価格を超えた価値があり、自ずと消費額も高くなります。

差別化された特別な「経験」を持つことが出来なければ、顧客から識別されず、買い叩かれることになります。

サービス経済社会では、投入物によって価値が決まるのではなく、どれだけ顧客の嗜好にそった「ワクワクする」経験を創り出すことが出来るかによって価値が決まるということを意識しておきましょう。

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