定価の無い世界
生産が追いつかず新車の納期が1年以上となっている。そのため、中古価格が上がり、走行距離の少ない中古車は新車価格の数倍の価格がついている。あるディーラーは、転売しないように誓約書も書かせているが、守られていない。
ある体験プログラム提供の宿泊施設。おそらく、一生のうちで「最も狭い」客室に泊まることになるけど、基本2泊3日の行程で、料金設定は約7万円から。
紅葉が人気のある地方都市のビジネスホテル。紅葉シーズンには、宿泊料が2−3倍に跳ね上がり、規定額のある出張族からは不満の声があがるが、施設は、その値段でも8割以上の稼働となる。
これらの事象は、既にハードウェアのスペックが、モノやサービスの価格を規定するものではないということを示しています。
自動車の事例は、その自動車を「より高い値段でも欲しい」人が居るから転売市場が成り立つわけだし、2番目の事例は、それだけ体験プログラムに価値があることになる。3番目の事例は、紅葉を見たい!という人には3万円でも、その地に泊まる価値があるけど、ただ単に宿泊する場所を求めているだけの人にとっては高すぎるという話になるからです。
従来のモノの価格設定は供給側が設定していましたが、現在の人々は、供給側との関係性も踏まえながら、自身にとっての価値がどうかということから価格を考えています。つまり、今の価格は、供給側と需要側の共同作業、共創によって設定されるものであり、需給、双方で共創がうまくいけば、価格は大きく上げることが出来るし、それができなければ価格は抑えられてしまう構造に変わっています。
付加価値を取りにいけない事業者
私は、日本経済が低迷している大きな原因が、この新しい「価格設定」に追随できていないことにあると思っています。本来であれば、顧客に評価されるものであれば「原価」を超える価格設定できるのに、それが十分になされておらず、全体として価格競争に陥りやすい構造にあるからです。
なぜなら、事業者側が需給を見て、価格を上げるということに対する反感を持つ人々が少なくないからです。端的に言えば「足元を見たボッタクリ」と思う人が多いということです。
例えば、1番目の自動車の例。ディーラーがダイナミック・プライシングを導入し、より高く支払う人に、早く納車すると発表したら、どういう反応が出るでしょうか。おそらく、否定的な意見があふれることになるでしょう。
ただ、価格を固定にしていたら、すべての人が納車を待つことになり、かつ、そこにいわゆる「転売ヤー」も絡んでくることで、さらに納車が遅れることになり、中古市場ではプレミアがついた値段で車両が流通することになります。対して、ダイナミック・プライシングとなると「高くても欲しい」人から、順次、納車されていきます。一方で、転売ヤーや、投資的な目的での人達は、高額では旨味が無いので手を引いていきます。結果、需給関係は、かなりシンプルなものに変わっていくでしょう。関係者全員がフラストレーションを感じる定価制度よりも、ダイナミック・プライシングにしたほうが、全体的な幸福度は高まるでしょう。
また、GoToトラベルが動いた時、多くの施設は、需要が増えることを見越し、割引を勘案しながらベースとなる価格を上げてきましたが、そのことを「便乗値上げだ!」と批判する人も多くいました。
そもそも、宿泊施設が日単位で提供できる客室数は限定されているのですから、需要が増えるのであれば、価格を上げて需給バランスを取ることは当然の価格設定です。さらに、GoToトラベルでの割引があれば、顧客の支出可能額は上振れしているわけですから、それを踏まえて価格を上げることも普通の対応でしょう。しかも、強烈な割引でしたから、少々、値段を上げても顧客が実際に負担する金額は、従前よりも低いというケースが多くありました。実際、それを顧客が納得したために、2020年の秋に、観光需要が大ブレークしたわけで、市場は成立しています。
長らく続いたデフレ構造や、「定価がある」と考える人々の意識を考えると、価格を上げていくというのは、難しい選択となります。ただ、その領域に踏み込まなければ、サービス業、ホスピタリティ産業の付加価値を高めていくことは困難でしょう。結局、高単価を取るには、サービスに対する需給関係ではなく、高い設備、設えが必要という話から逃げられなくなるからです。
USJの取り組み
個人的に、面白いなと思っているのは大阪のUSJが用意している、多様なエクスプレス・パス。
USJは、基本、1日券などのパークチケットがあれば入場できます。このパークチケットも、需要予測に基づくダイナミック・プライシングが導入されていますが、これとは別に、並ばないでアトラクションに入れるエクスプレス・パスを販売しています。このエクスプレス・パスは、対象施設数、対象施設によって、細かく別れていますが、概ね1アトラクション≒3000円程度の価格設定になっています。
パークチケットは1日券で8000円前後ですから、エクスプレス・パスの価格はかなりのものです。人気アトラクションを網羅しようと思うと、パークチケットの倍額くらいになります。
パークチケットでもすべての施設に入ることはできますから、並ぶ時間を許容できるならパークチケットのみでOKです。が、人気アトラクションは1時間単位で待ち時間が発生しますし、混んでいるときには時間切れということもあるでしょう。それらを回避する方策が、パークチケット以上の費用を払ってエクスプレス・パスを購入するという手段となっているのです。
このパスの評価について、講義を持っている大阪のビジネススクールで聞いてみると、結構、不評。なんか、ずるいみたいな(笑)。ビジネススクールの学生でも、そういう感覚なんだなと思ったのですが、大阪に観光に来る人を視座におくと見える世界が変わります。
例えば、東京から大阪に観光に来てUSJに立ち寄る場合、おそらくはUSJに取れるのは1日。場合によっては半日。しかも、かなりの確率で土日。東京ー大阪の旅費と時間をかけてきたのに、まともにUSJを堪能できないということにもなりかねません。しかも、次に大阪に来るのは、2年後か、5年後かわからない。そういう状況に置かれた場合、このエクスプレス・パスは絶大な効果をあげます。
これって、金で時間を買うわけです。パークチケットのみの人に比して、2倍、3倍の費用を払うことで、単位時間で楽しめるアトラクションの数も2倍、3倍となるわけです。「時間」は、すべての人にとって有限な資源ですが、東京から大阪に観光に来たような人にとっては、更に、大阪滞在時間は限定されており、貴重な時間となります。その時間を、費用を出せば「買う」ことができるのが、エクスプレス・パスです。もちろん、施設側は、売上を増やすことができる(特に繁忙期)というメリットがあります。
さらに、USJが面白いなと思うのは、2〜3万円で年間パスを販売していること。1日券が8000円ですから、概ね3〜4日/年いくなら、年間パスの方が安い計算です。地元に住んでいて、USJが好き!という人は、おそらく、これを購入することになるでしょう。この年間パスを持っている人にとって、事実上、パークでの時間は無制限ですから、人気アトラクションでも空いている時に乗れば良いわけで、エクスプレス・パスのような仕組みは不要となります。施設側としては、パークチケットの売上は限定されますが、もともと、「よほどのファン」でなければ年に4日以上来ることは無かったであろうと考えれば機会損失は少ないでしょう(どこが分岐点になるかは分析が必要)。むしろ、年間パスがあれば、他の施設に浮気することも無いし、来訪すれば飲食、物販の消費が発生するし、いろいろな魅力を見つけてSNS発信してくれるし、友達を連れて来てくれることもあるわけで、プラス要因ばかり。
このUSJの取り組みは、まさしく、需給双方の共創によって費用が決定される事例でしょう。
携帯電話料金で起きたこと
私は「必要と思う人には、対価を頂いた上で便宜を図る」というのが、サービス経済社会における価格設定において、とても重要な概念だと思っています。日本の場合は、なんとなく「対価なしに便宜を図ることが素晴らしい」という雰囲気になっていますが、結局、その「対価」は、便宜を図られていない人も含めて全体で負担しているという事実に気づくべきでしょう。
例えば、携帯電話各社が、第2ブランドを作って、基本料金を大幅に下げましたが、なぜ、あれができたのかと言えば、対面での対応窓口を止めたからです。高齢者など、リテラシーの低い人たち向けにショップや電話相談窓口などを設けていたわけですが、この費用が甚大だったということです。
まぁ、考えてみれば当然ですよね。仮に、ショップに4名のスタッフが居たら、その人件費だけで1日、5〜10万円くらいかかってしまいます。これに、事務所経費を入れたら、20万円以上。しかも、リテラシーの低い人は、そもそもパケットも多く消費しないでしょうから、その人件費を相談者の通話料から穴埋めすることは不可能です。結果、ショップや相談窓口を使わないけど、ヘビーユーザーという人達から得る料金収入を充てることになります。そうした歪な構造が、高い通話料となっていたわけです。
携帯電話会社のサービスは、通話・パケット提供だけでなく、操作方法などの相談も含まれると考えるべきであり、それらの「相談」については、有料にするというのがあるべき姿となっていくでしょう。結局、相談窓口などを使わない人達は、使わないで済むように自分たちで情報収集を行い、実践しているわけですから。
顧客との関係性構築
無料で対応していたものを有料化したり、止めたりすると、様々な批判が出てきます。が、その批判をしている人達は、本当に「顧客」なのかということを確認すべきでしょう。「共創」というのは、顧客側も一方的に要求する存在ではないからです。標準以上の要求をするのであれば、それに見合う対価を払うというのが、本来の関係性でしょう。
公共サービスのように、需給双方が選択的ではない場合を除き、本来は、需要側も供給側も取引の相手先を選ぶことができます。多くの場合、需要側が取引相手を選択することになりますが、その取引が、相性の良いものとなるか否かによって、付加価値形成のありようが変わってくることになります。
選ばれる立場となりやすい供給側において、ミスマッチを防ぐ(低減させる)ために求められるのは、ブランディングを徹底するということです。自分たちが、どうういう価値観で、どういったサービス(経験)を提供しようと思っているのかということを、強く発信することが重要となるからです。
洒落たフランス料理店に、宴会目的の人は行きませんし、Wのようなとんがったホテルに団塊世代は泊まらないということです。
価格設定の行き違いというのは、結局のところ、ブランディングをどのように行うのかということなのだと思います。