2022年10月。4年弱ぶりにハワイに行ってきた。

私が、最後にハワイに来訪したのは、2019年1月。

その後、1年で世界はCOVID-19に襲来され、国際交流は閉鎖され、ハワイも厳しいロックダウン措置が取られるようになるのだが、その当時のハワイ観光は絶好調。人数も単価も増える状況にあり、向かうところ敵なしと言える状況にあった。

ハワイ観光の推移を振り返ると、ハワイ観光は、20世紀を通じて、右肩上がりで成長してきたが、世紀末の90年代、TALC(ツーリズム・エリア・ライフ・サイクル)で言う「停滞期(Stagnation)」に遭遇した。これは、戦後、ハワイ観光の成長を支えていた日本からのインバウンド需要(日本にとってはアウトバウンド)が失速したことが主因であった。しかしながら、ハワイは、日本市場の失速を埋めるべく、米国本土やカナダ市場の獲得に乗り出し、2000年代には見事、「回生期(Rejubvenation)」へと転化に成功した。さらに、その後の、同時多発テロやリーマンショックを乗り越え、2010年代には再び「成長期(Development)」へと繋がっていった。

※TALCについては、以下のリンクを参照ください。

その「劇的な成功」「再生」の導出において、宿泊税を財源とし(行政などから)独立的かつ(ハワイ全体を見た)包括的な観光地マーケティング、ブランディングを展開したHTA(ハワイ・ツーリズム・オーソリティ)の果たした貢献は大きい。

HTAの発足は1998年。まだ、世間的にDMOという概念は広がっていない時代である。むしろ、HTAそのものが、後のDMO議論の発端になったと位置づけることもできるだろう。

私を含め、その成功の秘訣を知ろうと、多くの視察がハワイに対して行われ、日本国内においても「成功事例」として広く関係者に知られ、DMOのロールモデルとなっていた。私自身、2019年のハワイ視察においても、その圧倒的な競争力に頭がクラクラしたことを覚えている。

顕在化していた衝突

しかしながら、2019年当時のハワイ観光を、コミュニティを視座として見ると状況は大きく違ってくる。

当時のハワイ観光は、いわゆる「オーバーツーリズム」問題が顕在化していたからだ。

観光客でごった返すダイヤモンドヘッド山頂(2018年12月 筆者撮影)

21世紀に入ってからの、ハワイ観光の成功は、ワイキキビーチとダイヤモンド・ヘッド、フラといった観光資源にとどまらず、ロコという言葉に代表されるように、ハワイの人々が楽しんでいる時間や場所が注目されるようになったことが大きい。実際、ハワイは、いわゆるリゾート地域を離れても「うっとり」するほど美しい景色や、必ずしもスマートではないが味わいのある飲食店、エキストリームな体験が出来るトレイルなどなどが、広域に展開されている。

これらは、ハワイの人々が、大切にしてきた生活の中で育てられ、保全されてきたものであり、以前から「ソコにあった」のだが、観光客意識の変化、SNSなどでの情報共有、そして、HTAによるブランディング活動によって、ハワイ観光、ハワイでの「経験」の核を形成するようになった。

観光において「その地域ならではのシグネチャーな経験」がブランディングになるということを実証したのもハワイということになるが、これが、地域に大きなハレーションをもたらすことにもなった。

従来、観光客が訪れる場所ではなかった地域や時間に、大量の観光客があふれるようになったからだ。

それによって、駐車場は溢れ、路上駐車が増え、集落内を半裸の男女が行き交い、騒ぐ。さらに、地域にとって文化的に神聖な場所や、危険性の高い場所にも我が物顔でズカズカと踏み込んでいく。

観光客個人としては、「悪気」はなく、単にハワイ観光を楽しんでいるだけに過ぎないが、それは静かな生活を送っていた多くの人々にとって苦痛でしかない。

さらに、観光経済の構造的な問題も露呈した。ハワイ州では、観光収入(=消費額)に合わせて、宿泊飲食部門の生産額を増やしてきている。これは、日本では京都市も沖縄県も実現できていないことであり、さすがハワイと言えるものだ。

沖縄県、ハワイ州の資料より筆者作成

しかしながら、そこで働く人々の給与水準は低位に留まっており、産業別に見た労働生産性は相対的に低かった。

ホスピタリティ産業は、その事業の展開に大量の労働力を必要とする労働集約型産業という側面を持つ。しかしながら、かつての製造業のように、労働力そのものが価値創造に直結しているものでもない。ホスピタリティ産業の経営は知識集約型の側面が強まってきており、付加価値創造の核は、企画や財務を担う少数の知識労働者や投資する資本家に移ってきているからだ。

そのため、創造された付加価値(生産額)の配分は、それをふくらませた知識労働者や資本家に偏ることになる。

結果、事業展開に当たり、多くの労働者を必要とする一方で、一部の知識や資本を持った人に大きく利益分配が偏るという構造は、低賃金労働者を大量に生み出すことになる。

実際、ハワイ・ワイキキでは、私が来訪する直前の2018年秋、一部のホテルにおいて大規模なストライキが2ヶ月近く展開された。これは、現場のスタッフが時給アップを要求したものであり、彼らのスローガンは「一つの仕事で、ちゃんと生活できるような賃金にしてほしい」というものであった。

ただ、これは、ハワイが、というより、ホスピタリティ産業全体、もっといえば、現在動いている幅広い産業で生じている問題であり、日本でも、労働分配率の低下などで知られるようになっている。会社や資本家が搾取しているというよりは、社会全体が知識経済に向かっていることで生じている現象だと言えるだろう。

ハワイによって、この流れがより深刻となったのは、当時のハワイ(現在でもそうだけど)は、インフレ状態にあったためだろう。高い競争力を持つハワイ観光は、価格競争力も高く、宿泊費や飲食費はどんどん高騰していた。こうした消費性向が、リゾート不動産、更にはエアービーアンドビーなどの民泊によって一般住宅にまで及んでいくことで、ハワイ全体の物価が上昇していた。

「持っている人」にとって、これは好ましい経済循環であったが、「持たざる人」にとっては絶望的な状況に映るだろう。観光がモノやサービスの価格を釣り上げる一方で、自分への恩恵は乏しい。長くハワイに住んでいて、自分は普通に暮らしているだけなのに、なんで、苦労することになるだと。

こうしたフラストレーションが、地域コミュニティに蔓延していた時に、COVID-19が襲来する。観光への不信感が広がっていたところに、COVID-19への恐怖感が加わることで、ハワイ州はロックダウンへと突き進むことになる。

日本でも当時、ロックダウン議論は多くなされたが、そもそも、日本政府は戒厳令権限を持たないため、ロックダウンすることは出来ない。他方、米国では行政にそれだけの強権が与えられているため、世論に推されれば、その権限を最大限展開するというのは、当然の成り行きだったろう。

鎖国をしたハワイ州では、観光客がゼロになっただけでなく、観光産業労働者の多くがレイオフされ、州外に出ていくことになる。これは観光関係者にとっては「悪夢」だったが、島内に残った人々にとっては、異なる世界が広がることになる。島内での行動制限が解除されていくに連れ、観光のないハワイを体験することになったからだ。喧騒が消え、低密度な社会となり、自然が生き生きと再生していく姿を実体験した人々は、改めてハワイの素晴らしさを感じると共に、観光についての疑問を強めることになった。

パンデミック前から提唱されたレスポンシブル・ツーリズム

もともと、HTAは、コロナ禍前のオーバーツーリズム問題も認識しており、その対応のため、レスポンシブル・ツーリズム(以下、RPT)という概念を提示していた。これは、同時期に同様のオーバーツーリズムに直面していた欧州が提示し始めていたサステナブル・ツーリズム(以下、ST)に近い概念だが、物理的に人数や行動範囲を限定することで対抗するのではなく、ターゲッティングによって負荷を減らそうという考えは、マーケティング/ブランディングのセオリーに沿ったものであった。

ただ、RPTは、現実的に展開するのが難しい。

一般論として、高単価を負担できる人々は高学歴であり、負っている社会的責任度合いも高い。さらに、旅行経験も高いためアロ・セントリック(allocentric)であることが多い。そのため、ターゲットを富裕層、高単価に振ることで、地域への恩恵は大きいが、負荷は低いという方向に、一定程度の誘導は出来ると考えられる。これが、RPTの肝になる部分(要は量より質)なのだが、ここに矛盾が生じる。高単価客を誘致できるということは、それだけ地域は高い競争力、魅力を持っており「どうしても行きたい」という顧客が市場に溢れているからだ。こういう需要>供給の状態となれば、その溢れた需要の「おこぼれ」を目当てとした事業者が参入することになる。おこぼれ目当ての事業者からしてみれば、価格を少し下げるだけで、入れ食い状態になるのだから、楽な話だし、顧客からしても「安く楽しめてよかった」となり、さらに競争力を増していくことになる。

結果的に、地域は、(おこぼれ需要目当ての)民泊を制限するとか、人気施設・地域の入場制限をかけるとか、無料だった公共サービス(駐車場など)を有料化するといった「行動制限」をかけることになる。これはハワイでも取られた取り組みであるが、京都市やバルセロナなどでも取られた戦略である。

人数が多いのが問題なのだから、そこにキャップをかけて、問題を改善しようという発想はST的なアプローチと言える。

ただ、こうしたST文脈の行動制限アプローチは、基本的に人々に「節制」を求めることになる。顧客となる観光客からしてみれば、自身の時間と高額な費用(前述のようにST系の取り組みが求められる地域は、一般的に競争力が高い分、価格水準も高い)負担をするのに「我慢しろ」と言われるわけで、納得行かない…という思いを持つケースは多いだろう。

別投稿で、私は、北欧がSTをブランディングに活用していることを指摘しているが、北欧は、そもそも「エシカルな北欧暮らし」がブランディング・メッセージになっており、かつ、何度も再帰的に訪れるリピーターによって市場が構成されている。なんとなく、北欧のイメージに憧れて訪れた観光客は、ドイツやフランスに比して脆弱な社会ストックや、高い物価に嫌気がさして、リピートしないだろう。矯正されなくても、環境やコミュニティに負荷の低い行動を自然と実施できる、それが楽しいと思える人々がリピーターとなっている。つまり、もともと、北欧の主要顧客は「責任を果たすことが好きな人々」という、かなりニッチャーな人々であり、既にRSTが実現できている(少なくても、その実現に近い)状態にあった。

一方で、ハワイではRPTを掲げていたものの、実態としては、なかなか進んでこなかった。

今になって振り返れば、観光対象が、地域の文化や自然に拡がっていく過程の中で、RPTの要素をもっと埋め込み、顧客のセグメンテーションを際立たせていくべきだったのだろうが、実際には多くの人々にとって「新しい体験」「魅力的な経験」「特別な経験」として消費されるものにとどまってしまった。

インスタグラムなどのSNSが、こうした消費を助長したという側面もあるだろう。

そのため、COVID-19ブロック中は、「静かなハワイ」が現出されていたものの、ブロックを解除した際、リベンジ消費とばかりに、米国本土より、多くの人々が来訪し、従前の状況が再来することになってしまった。

明確に立ち入りが禁止されているにも関わらず侵入する観光客(2022年10月21日 筆者撮影)

「成功」が引き起こした衝突

これは、「ハワイの楽しさ」が、コロナ禍での断絶があったにも関わらず、強烈かつシンプルに人々の心に刺さっていたためであり、これまでのブランディングの成功の結果であり、パンデミックからの回復、復興という点で言えば、喜ばしいことである。

しかしながら、ハワイ社会と観光との関係がデリケートな状態になっている状況において、一気に観光客が押し寄せる事態となったことは、コミュニティの観光に対する態度を硬化させることになってしまった。

HTAでは、これを受け、思い切った方向に舵を切ることになる。それが、マーケティング/ブランディングからマネジメント、プロモーションからエディケーションという行動タスク、立ち位置の変化である。

この動きは、パンデミック前から取り組まれていたものでもある。

2016年頃からHTAは、RPTとして、地域の文化や自然を遵守すべきというメッセージを出してきていた。ただ、当時は、並行して「ごほうびハワイ」のような誘客メッセージも発信していた。ある意味、ブレーキとあくせるを同時に踏んでいた状態にあったと言える。

しかしながら、エンデミック後においては、市場に対するメッセージを「マラマハワイ」に統一。「マラマ」とはハワイ語で「思いやりの心」を意味し、RPTを展開するフレーズとなる。

ただ、「責任ある観光」と言われてしまうと、自身の行動に自信があっても鼻白む人は多いだろう。

RPTは、あくまでも地域側で運用すべき概念であり、顧客へのメッセージとしては否定的な印象が強すぎるからだ。

共創を打ち出す「新しい観光」

そこで、エンデミックにおいて、「マラマハワイ」を展開するに当たり、HTAが新しくかかげたのが「再生型観光(リジェネラティブ・ツーリズム/以下、RGT)」という概念の提示である。

「思いやりの心を持ってハワイを楽しもう」「ハワイの文化や自然の再生を一緒にやっていこう」というメッセージは、具体的かつ前向きな行動が伝わるものとなる。特に、もともとハワイに対して好意的な感情をもっていた人々には「ストン」と落ちるものとなる。

この「転換」が、素晴らしいと思うのは、マラマハワイで作り出そうとしている経験価値は、付加価値増大に有効とされる共創価値に繋がるものであるからだ。

ここで理解を深めるため「観光」へのアプローチが大きく2つあるということを示しておきたい。

それは、経営学アプローチと社会学アピローチである。

HTAが得意としているブランディング手法は、サービス・ブランディング、ホスピタリティ・ブランディング手法をベースに観光地(デスティネーション)に展開したものであり、知識体系的には経営学の流れを組む。

対して、STは社会学をベースとする観光系の知識体系から生まれた概念である。

社会学は、社会全体を俯瞰するため、社会で生じている問題の所在や、その原因といったものを示すことは得意だが、関係主体が多いため具体的な解決策を示すのが難しいという構造を持つ。対して、経営学は主体が経営者(事業者)であり、その主体が取るべき行動を示すことに秀でている。経営学にとって社会構造は「与件」であって、それを良化させようとか、問題視することはない。

STは、その構造上、社会学アプローチを主として概念化される取り組みである。このアプローチは、問題の構造を示すのは得意だが、関連主体が拡散、複数となるために、その解決策は導出しにくい。結果、問題を引き起こす原因でもある「観光客」を否定的に捉えやすくなる。人数制限するというのは、その端的な帰結である。

一方で、RPTは、人が来ること自体が問題なのではなく、客層に問題があると考える。「客が来る」ことを否定することは、事業そのものの否定になってしまうために経営学的な発想ではありえない。オーバーツーリズム問題を経営学的な視点で捉えれば、それは「客層」の問題となり、であれば、自身がもつブランディング能力をもって、客層の誘導ができれば問題解決できるのでは?とHTAは考えたのだろうと思う。

この経営学アプローチで提唱されているものに「サービス・ドミナント・ロジック」がある。

このサービス・ドミナント・ロジックでは、モノやサービスの仕様ではなく、その所有や利用を通じた経験から価値が創造されるとされる。この価値創造には3種類があるとされるが、その中でも、特に価値が拡がるとされるものが「共創価値」となる。これは、需要者と供給者が同じマインドとベクトルを持つことができれば、付加価値が大幅に高まり、強いブランド力を創造できるというものである。

先端的な企業は、この共創価値を自身の経営戦略に取り込みつつあるが、例えば、パタゴニアは、これをうまく利用している企業の代表例だろう。

マラマハワイは「再生」というキーワードを設定したことで、観光客と地域、観光事業者が共創できる仕組みへと昇華された。さらに、「一緒に再生を目指す」というコンセプトの提示によって、RPTを「ハワイ再生の現場」に参加するための一種のメンバーシップであるという整理も可能となった。これは、RGTがRPTも再定義することになったと言えるだろう。

共創価値を生み出していくRGTを打ち出すことで、ハワイに根ざしたSTを実現していこうという「マラマハワイ」は、サービス・ブランディングに通じていたHTAだからこそ打ち出すことができた概念とプロジェクトであると、私は考えている。

「マラマハワイ」という壮大な社会実験の行く末を見守りたい。

成果につながっていくか

ただ、懸念材料もある。

人々の意識や行動を変えていくには、相応の年月が必要であり、反復的にメッセージを発信していくことが必要となる。また、ホスピタリティ事業者の協力も不可欠である。

実際、30年前に提唱されたSTは、社会的な支持を得ることはできず、一度、舞台から消えている。

当然、「マラマハワイ」の成功も約束されているわけではない。

ただ、エンデミックのハワイにおいて、単なる観光の再興ではなく、「マラマハワイ」が必要とされた背景を考えれば、これが軌道に乗らなければ、さらなる混乱が生じかねない。

HTAは、社会全体を巻き込みながら、マラマハワイの浸透に向け、地道な取り組みを数年に渡って継続していくことが必要だろう。

しかしながら、HTAは、かつてのように自立的な組織ではなくなっている。

HTA創設時は、宿泊税を増税し、その増税分がHTA予算となっていた。これによって、HTAは、自身の活動の成果が自身の事業拡大に繋がるというシンプルな財務構造を有していた。しかしながら、観光振興が進むと(=宿泊税が増大すると)HTAの予算にはキャップがかけられ定額とされてしまった。これだけでも、(私は完全な部外者だけど)「それはないでしょう」と思っていたのだが、今回は、さらに悪化し、HTAはあらかじめ設定される独自予算を喪失し、毎年度、州政府に事業申請を行い資金調達することになってしまった。

毎年度、事業申請を行うという形式は、日本の多くの観光協会/DMOと同様である。日本のDMOがロールモデルとしていたHTAが、グルっと回って日本の状況に酷似する財務体制となってしまったことは、個人的に喪失感が大きい。

RGTの展開は、普通のブランディングよりも難易度が高ことを考えれば、ハワイが、本気でRGTを展開するというのであれば、HTAに、自立的かつ潤沢な財源を与えることで、戦略的かつ強力な事業展開を支援すべきではないだろうか。もちろん、自由な財源と引き換えに、明確な目標値(KGI)、KPIの設定とモニタリングによって成果を確認するなど、ガバナンスの強化を行うという条件はつくだろうが、本気で目指すのであれば、そうすればよいだけの話だろう。

困難なタスクに取り組む組織の手足を縛るような展開となっていることは残念だ。

もう一つ、マラマハワイにおいて気になるのは、ホスピタリティ産業と協働できるのか、事業的な持続性を確保できるのかという点である。

STをブランディング手法にて展開するのがRGTだとしても、その内実は、需要規模を抑えこむものとなる。単価についても、サービス価格の上昇は社会全体の物価上昇に繋がるから、どこかで抑制が求められるようになるだろう。つまり、中長期的に事業者は、人数と単価、双方に制約をうけることになっていく。これは、企業の経営戦略、特に米国系企業のそれとは本質的に相容れない。

特に、実人数と売上が比例する傾向が高い航空会社への影響は大きいだろう。

企業においては、限られた経営資源をどこに傾斜配分するのかという判断を常に行っている状況にある。相対的に見て、ハワイが、投資対効果が劣後するとなれば、他地域への投資を判断することにもなるだろう。日本の90年代後半以降を事例に上げるまでもなく、継続的な投資を行い、一度失速した経済の再生は困難である。特に、パンデミックによって大きなダメージを受けている中で、その再興に必要な資本が十分に投資されてないとなれば、かなり厳しい状況におかれることになるのではないか。

困難を乗り越えて

…..と、否定的なことを指摘し始めたら、いくらでも言える。

ハワイが、HTAが、行おうとしていることは、前人未到の領域であり、それは、「観光」を再定義する可能性すら秘めていると私は考えている。

ここに至る道筋において、関係者の人たちの尽力は想像もつかない。異論が噴出する中で、それを乗り越え「マラマハワイ」という共創価値創造に繋がるコンセプトを提示してきたことは、ハワイの厚みを感じる事実であるし、深い敬意を示したい。

今後、多くの困難が生じるとは思うが、観光の研究者として、その推移をモニタリングし、そこから紡ぎ出される知見を継続的に整理していきたい。

インプリケーション

最後に、今回のハワイ視察を経て、オーバーツーリズム的な「破綻」へと繋がるフロー(ステップ)の試案を提示しておきたい。

詳細については、別途、行いたいと思うが、ハワイが直面しているのはステップ5−7。京都市やニセコ・倶知安は4−6、沖縄県は3−5あたりか。実は、ほとんどの地域は2−3レベルだし、もっと言えば1(局所的な話であり、地域としての問題にはなっていない)レベルであることも多い。

実際には、直線的ではなく、輻輳するのだと思うが、現時点の論点提示として共有しておきたい。

オーバーツーリズム回避に向けたステップ試案(2022年10月30日バージョン)
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