いわゆる「観光公害」は、古くて新しい問題。
これまでは、どちらかといえば自然地域で問題となっていましたが、近年の特徴は、都市部でも問題となって来ていることがあります。都市部でも顕在化してきた背景には、シェアリング・エコノミーで観光と生活との境が更にシームレスになったことや、文化の異なる(東アジア系の)旅客が急増したことがあるのでは?と思います。
ただ、観光を経済振興手段と考えると、単価が高いAND/OR人数が多いセグメントを狙うのは合理的判断。さらに、観光はサービスが持つ特異性である同時性、消滅性を持つため、地域の物理的な空間への来訪が必要となります。それも、特定の時間にです。
そして、「単価が高い」人が沢山来れば、地域との経済格差が際立ち、物価上昇につながるし、人数が沢山来れば混雑や騒音などの問題を引き起こす事になります。
もう一つ。観光の特性として、観光客数は、いわゆるパレート分布します。つまり、デスティネーションは偏在するのです。
例えば、100の地域に計100万人が来ているとすると、平均は1万人/地域ですが、実際には、20程度の地域に80万人くらいきていて、残りの80程度の地域にはあわせても20万人くらいしか来ないということが起きます。
仮に、観光客数が200万人になっても、この比率は大きくは変わりません。
かつて、特定の地域に大量の人々が訪れる「マス・ツーリズム」は、大量送客型の旅行会社やキャリアなどが生み出すとされましたが、FITの時代となり、各種の形容詞観光が生まれ、ネットで多様な情報を得られるようになっても、基本的には変わっていないわけです。
人々は、「人気」の所に行きたいと思うし、事業者はそうした需要に寄り添って投資を行うという事なのでしょう。
つまり、観光を経済振興手段に使い、一定の成果を得ようとすると混雑や騒音、物価上昇は、必然的に生じてくると言えます。だからこそ、欧州でも問題が生じている訳ですが、だから観光はダメなんだではなく、それを乗り越える知恵出しが必要でしょう。
個人的には、そのためには「経済振興」ということに、しっかりと軸足を置き、いろいろな意志決定を、そこから行う事が重要ではないかと思っています。
観光客が来ることと経済振興は、必ずしも連動しません。
観光を手段に、ちゃんとした経済振興を行うには、観光事業から税収と(良質な)雇用が生まれる必要があります。
このことは、東京や海外に本社を持つ事業者ではなく、地域内に本社を持ち、地方自治体に納税する事業者の方が好ましいということですし、域外からの季節雇用者ではなく、地域に住民票を置き、地域コミュニティの一員である人々が観光事業に参加できるようにすべきだということです。
仮に、こういう制約(地元企業優先、地元住民優先)を付けると、当然、受け入れのキャパシティは限定され、その増加スピードも低下します。これは歯がゆいことかもしれませんが、成長速度を抑えることが急成長に伴う各種の問題を回避することになるでしょう。さらに、そうやって培われた事業者群は、地場産業としての観光産業を形成することも期待できます。
これは一例ですが、単に観光客数や観光消費額を目標にするのではなく、経済効果、それも、持続的な地域振興からの視点から、物事を考えて行くようにすれば、自ずと行動方針は決まるように思います。オーバーキャパシティってのは、対応コストを考えれば、回避すべきことなので。
実のところ、この辺の議論が発散するのは、観光振興の目的が、地域内の人によっても異なるという事が大きいでしょうね。
観光には交流が重要で経済効果なんて関係無いという人や、観光を看板に支援してもらおう/一商売しようという人、政策的な流れなので機械的に対応している人などなど、観光振興には多様な人が関わっているのが実状なので。
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