地方創生の手段として観光が注目され、日本版DMOが政策となるのに合わせ、国内においてにわかに話題に上ってきた概念が、観光地マーケティングである。
観光地マーケティングは、欧米では2000年代には広まり、それがDMOの概念化に繋がったが、日本では、15年ほど遅れたことになる。
ここ数年、各地でDMO創設が相次ぎ、CMO(チーフ・マーケティング・オフィサー=マーケティングの筆頭責任者)が指名され、観光地マーケティングは、各所で語られるようになったが、欧米のような実践が出来ているかと問われれば、微妙…だろう。
「マーケティング」と言いつつ、ゆるキャラに走ってみたり、手に取る人も少ないパンフレットを作り続けたり…。マーケティング分析の基本とされるSTP(セグメンテーション、ターゲッティング、ポジショニング)が、ごっそり抜けおちていたり、逆にSTPはなされていても実践につながっていなかったり、実践できていても成果指標を取得しておらず事業と成果の突き合わせができなかったり…。
観光地マーケティングへの関心は高まりながら、なぜ、実践できないのか。
その原因は「人材」に求められることが多い。
実際、「マーケティング」を学んだという人は、ごくわずかだろう。さらに、マーケティングはもともと製造業で発達した概念であり、サービス・マーケティングを学べるところは限定される。観光地マーケティングについては、いわんや、である。
そのため、各地で観光地マーケティングをテーマとしたセミナーが作られ、一部の大学では専用プログラムも作られるようになっている。また、マーケティングの経験と知識を持った人を公募し、担当者に充てるという取り組みも出ている。
しかしながら、そうした取り組みが年単位で行われても、あまり、現状は変わらない。
例えば、WEBサイトやSNS、アプリを活用するデジタル・マーケティングは、議論の余地なく必要な取り組みだが、これが「ちゃんと」実践できているところは、極めて少ない。
なぜ、こうなるのか?という事を考えていて、一つ、思い当たったのは、日本と海外との意思決定システムの違いである。
マーケティングという概念は、実は、極めてトップダウン型である。
STPから競争戦略を立案、実践するには、地域の魅力云々だけでなく、投入可能な人員や予算といったことも合わせて検討する必要があるからだ。
例えば、現在、インバウンドが増えている。この成長市場の取り込みを行うべきだということは、多くの人は反対しないだろうが、それを実践するとなれば、多額の費用と人員を投入する必要がある。
一方で、地域が投入できる費用と人員には限りがあるから、例えば「日本人向けのパンフレット作製は止めよう」とか、「修学旅行誘致につけている人員をインバウンドに回そう」といった判断(経営資源の傾斜配分)が必要となる。こうした判断は、全体を俯瞰し、成果に対して責任と権限(予算と人事権)をもつ立場の人で無ければ下すことは出来ない。
これに対し、日本の多くのDMOは、ボトムアップ型の意思決定である。
DMOは、関係先(ステークホルダー)が多いため、いろいろな声があがりやすい。そうした「声」は、経営資源の制約については無関心で、やるべきことだけでなく、やった方がよいことも盛り込まれるため、全方位的なものとなりやすい。例えば「インバウンドも重要だが、引き続き修学旅行など団体客誘致も必要だ」とか「スマホ対応は重要だが、高齢者はスマホを使わないから、紙のパンフレットも用意しなければならない」などなどである。そうやって上がってきた要望に対して、理事クラスは強弱をつけるだけの情報や意思を持たないことが多いため、取捨選択することなく、多くの事業実施を総花的に認めることになりやすい。結果、人員や予算は分散され、マーケティングの基本である差別化や集中といった戦略にはつながらない。
こうした構造では、仮に、DMOの現場にマーケティング発想をもった職員がいたとしても、その職員の提案を重視し、人員や予算を傾斜配分することを認めてもらえる可能性は低い。
さらに言えば、職員が「優秀」な場合、逆に冷遇される可能性すらある。提案が「とんがった」ものとなれば、理事クラスには「稟議を通した責任」が発生するためである。
つまり、マーケティングを、ちゃんと実践するには、その担当者(CMO)に人員(人事権)や予算に関する権限を持たせることが重要だということだ。
それを担えるだけの人材育成も重要であるが、DMOという組織のガバナンスのあり方についても議論し、変革していかないと、観光地マーケティングの実践は難しいだろう。