先日、仕事で琉球大学を訪れる機会があった。
同大学は、那覇市街の郊外に位置しており、自動車が主たる交通機関となっている。
よって、駐車場には、学生の自動車があふれかえることとなる。
大学の駐車場に、学生の自動車という光景は、私のが出身大学(筑波大学)でも同様であり、それ自体はさほど驚くことでもなかったのだが、なぜか違和感を感じた。なかなか、その違和感の原因は自分自身わからなかったが、ふと気がついた。
自動車のほぼ全てが「軽自動車」なのだ。
軽自動車は、自動車として、非常に優れた製品であろう。学生が日常の足として利用するには、最適な道具でもあろう。そう考えれば、軽自動車があふれることは当然の帰結でもある。
ただ、それは、自動車を「日常の足」、コモデティとして捉えた場合である。自動車というのは、もっと、違う価値をもっていたのではないだろうか?
コモデティ(日用品)の対義語は嗜好品であるが、両者では、製品サービスの選択において大きな違いがある。例えば、コモデティでは減点主義、嗜好品では加点主義となる。
言い方を変えれば、コモデティでは、あらかじめその製品サービスの機能や役割を決めてしまい、それ以上の価値を喪失してしまう。自動車で言えば、コモデティ化してしまった故に、かつての自動車が持っていた他の様々な価値が見えなくなってしまったのではないか。
自動車で起きたのと、同様のことが、旅行でも起きているように感じている。例えば、宿泊施設。かつての宿泊施設は、「泊まる」という機能、役割の他に、いろいろな価値を提供していたように思う。しかしながら、宿泊機能に特化した、バジェット型のホテルがここまで全国に展開したことで、安価で安心、安全に「泊まる」こと自体は、付加価値をもたない、コモデティ化してしまったように思う。
今、旅行は、どのような「夢」を売ることが出来るのだろうか。