コロナ禍の中で、観光業界で話題になった用語に「ワーケーション」があります。

出張に休暇をつけて「自由な時間」をつくる「ブリージャー」、自身の休暇中に一部業務も行う「ワーケーション」。厳密には、その中身は違うけど、まぁ、総じて「ワーケーション」で良いように思います。

ワークとバケーションを接続した用語で、一応、海外発祥の言葉ではあるけど、事実上、和製英語化しています。

コロナ禍で、宿泊施設の稼働が下がる中、1週間や1ヶ月という長期滞在プランを安価に提供する施設が複数出てきました。多くは収入を得るための苦肉の手段ではありますが、将来的なサービス・アパートメント形態を想定していたり、老朽化した施設を単純に安売りするのではなく付加価値をつけていこうという手段であったりと、供給側の対応は様々です。

背景には、コロナ禍によってテレワークが進んだという背景もあります。

数度の緊急事態宣言を経て、テレワーク化された職場(業種)と、そうでない職場は大きく別れてきていますが、それでも、コロナ禍以前に比してテレワークは大きく拡がりました。さらに、Zoomなどを使ったオンライン会議も一般化され、テレワーク者と出勤者が混在しても、チームプレーや打ち合わせが出来るような環境も整ってきました。

IT系企業などでは、都心部の賃貸床を縮小させてきている企業も出てきており、一部、業種においてはテレワーク、リモートワークは不可逆的な動きとなっていくと思われます。

こうした就労の時間や場所について、自由度を増した人々が出てきたことで、彼らを旅行需要における有力なセグメントとしていこうというのが、ワーケーションの取り組みと言えるでしょう。

ただ、ワーケーション市場が顕在化したのか?というと、微妙な所。
もちろん、コロナ禍が続いているということもありますが、(今すぐの実施は難しいけど)憧れの活動として注目されているわけでもない。実際、グーグルトレンドで「ワーケーション」は、検索量が少なすぎて、そのボリュームが表示されないレベルです。

モバイル通信環境の革新

テレワーク、リモートワークは普及している一方で、ワーケーションには繋がっていない理由を考察するには、通信技術と就労、生活スタイルとの関係について整理することが必要でしょう。

2010年頃、公衆Wi-Fiを含むWi-Fi環境が整いはじめ、さらに4G(LTE)が実用化されていくことで、オフィスや会議場、ホテル客室といった「室内」でなくてもネットに繋ぎ、各種作業を実施できるモバイル環境が整っていきました。これを受け欧米でも「出先でワイヤレスに作業する」というスタイルが提案されたであろうことは想像に難くなく、その中で、生まれた言葉がWorkationであったと考えられます。

通信環境の変化は日本でも同様に生じましたが、同時期、日本では、ノマドワーカーという概念が提示されます。ただ、このノマドワーカーも和製英語に近く、英語圏ではDigital nomadsと通称されます。

日本のノマドワーカーは、なんとなく「スタバでMac開いている人」というイメージですが、本来のDigital nomadsは、通信環境へのリテラシーを武器に、遊牧民のように場所を移動させながら生計を立てる人々であり、「今の自分が住みたい場所」に住み、働く(=食い扶持を稼ぐ)ための手段(武器)として通信環境リテラシーを活用する人々となります。バリ島のウブドなんかに、コワーキング施設ができているのは、こういう人々の需要を受けたため。つまり、Digital nomadsには、Workation的な要素、すなわち、「現在の自分にとって快適な場所で、労働時間を含めて時間を過ごす」が含まれています。

一方の、国内の「ノマドワーカー」は、ITに強いフリーランスという趣で、作業場所も国内外のリゾートといった地域というより、都市部のカフェのような施設。大都市に居ながら、固定的なオフィスを持たずに就労する人々という捉えられ方が一般的。Digital nomadsが持つ「生活の場所を変える」という要素は薄い。もちろん、一部には地方居住と組み合わせた人々も居て、それをメッセージとして示していました(=それ自体をマネタイズ)が、それが大きなウネリを呼ぶことはなく、特異な事例という水準に留まっているのが実情です。

それだけ、日本は東京を中心とした経済ネットワークが強く、また、企業に長期雇用される給与所得者(サラリーマン)が多く、かつ、彼らが社会の要になっているいうことなのだと思いますが、何よりも、「働く場所」としてだけでなく「住む場所」としても大都市(東京)が志向されているということなのでしょう。

実際、欧米では、コンパクトに都市機能がまとまり、かつ、周辺でレジャーも楽しめるような地方都市へのミレニアル世代(やZ世代)の人口移動が顕在化してきていますが、日本では、大都市への人口移動が止まっていません。ちょっと前は、政令指定都市は地方部での人口防波堤になっていましたが、現在では、そうした政令指定都市ですら人口減少となり、東京の一人勝ち状態が、むしろ強まっています。そして、その人口移動(流出)の主体は、20代前半の若者たちです。これは就学や就労が目的ですが、卒業後も多くが首都圏に残ることを考えれば、若者にとって東京は、「住みたい場所」であると考えるのが自然です。

また、テレワークが「公式」に認められたのはコロナ禍であったとしても、一ヶ月単位の変形労働制や裁量労働制の普及など労働条件の自由度は増してきています。が、年休取得率の平均値は上がってこないし、宿泊観光旅行の実施率や平均泊数も高まってこない。

国内の宿泊観光旅行市場は、ある意味、非常に強固な傾向線を保っている市場なのです。

要は、通信環境が発達し、就労場所の制限が緩和されても、それがそのまま地方部の居住や(長期)滞在需要に向かうわけじゃない。需要が顕在化するには、そこに住みたい、滞在したいと思ってもらうことが必要条件であり、通信環境の改善や技術的なブレークスルーは十分条件に過ぎません。

こう考えれば「ワーケーション」という概念が出てきたから、いきなり、人々が観光リゾート地において長期滞在するようにはならない…というのは自明でしょう。

連泊滞在する人たちは居る

一方で、コロナ禍以前から連泊する人々は居ます。

2016年から2019年の国内での宿泊観光旅行データ(出典:公益財団法人日本交通公社)によれば、1回の旅行時の宿泊数の分布は以下の通り。

1泊と2泊の旅行が全体の旅行の約8割を占めます。3泊以上の旅行は、全体の2割しかありません。ほとんどの人は、1泊ないしは2泊の旅行しかしていないということになります。

いわゆる「パレート分布」が、ここにも…。

ワーケーション概念が出てきた際、1泊、2泊の旅行が延泊されるのではないかと期待が関係者に拡がりましたが、私は、むしろ、ワーケーション的な時間の使い方が有効に作用するのは、既に3泊以上の旅行を経験している人たちではないかと考えています。

3泊でも、とても「長期滞在」と呼べる長さではないですが、3泊4日以上という旅程は土日に祝日がついた日数よりも長くなる(=一般的に年休などを組み合わせる)旅行となります。つまり、「休みがあったから」ではなく、旅行のために積極的に時間を捻出した結果が3泊4日以上の旅行となります。もちろん、それだけの旅行を実施できる経済力も有していることになります。

旅行は、経験財ですから、既に旅先での複数日という時間を経験している人のほうが、ワーケーションを具体的に想起しやすいでしょうし、更に泊数を増やしたいというモチベーションも高いでしょう。

また、その需要を受ける側となる宿泊施設にとっても泊数が増えることは大きな意味をもっています。次図は、述べ泊数に対するシェアを旅行時の泊数別に簡易的(旅行同行者数を考慮せず)に試算したものですが、泊数の視点からみると、2泊以下は6割弱にまで下がり、3泊以上が4割以上となります。

さらに、3泊以上の宿泊需要は、高確率で平日の宿泊需要となります。これは、施設にとって稼働率格差を低減することに繋がります。

つまり、旅行シェアとしては少ないものの、3泊以上の旅行を増やす(泊数増)ことができれば、旅行市場には、大きなインパクトを及ぼすことになります。

3泊以上の旅行をする人々

2016年から2019年の旅行者データを元にすると、3泊以上の旅行実施者の特徴は以下の通り(オッズ比で示しています)。

  • 世帯年収800万円以上だと1.20倍
  • 会社役員、自営業、自由業、学生だと1.34倍
  • 海外旅行に毎年行っている人だと1.61倍
  • 2回目以上のリピート地域だと1.51倍

複数日滞在できるだけの経済力があり、比較的、自由に時間をやりくりでき、かつ、旅行がライフスタイルに組み込まれているような人々が、長く滞在する旅行を実施していることがわかります。

ここから浮かび上がる顧客像は、ワーケーションで想起される顧客像と重なる部分が多いでしょう。

また、来訪回数が多い人ほど、泊数が多くなる傾向から、地域が旅行先として本質的に選ばれる(そこに行きたい、滞在したい)ことが大前提であることもわかります。

一方で、ワーケーションは、この内の「時間」に対する自由度を高めるだけですから、ワーケーションだけをきっかけに3泊、4泊するようになるか?と言えば難しい…というのも見えてきます。ましてや、コワーキング施設を作ったら人が来る…という話でないことも。

2つのセグメント

こう見てくると、テレワーク解禁によって拡がり得る観光市場セグメントは、おそらく2つ。

1つは、Digital nomadsの流れを組むもの。これは、モバイル通信環境の進化を武器に、顧客側が「理想郷」を求めて移動していくもの。欧米では、顕在化しており、リゾート地で顕著に見られる流れになっていますが、(私が知る限り)日本では軽井沢など一部地域に留まっています。

もう1つは、既存の3泊以上の旅行実施者。彼らは、旅行に対する高い意識と経験を有しており、彼らにテレワークという手段が加わることで、より自由な旅行をデザインしていくだろうと期待できます。

リゾート地でテレワークする…という外形的な行動は異なりますが、前者は時限的にせよ移住に近い動きであり、後者はいわゆるバケーション需要となります。が、いずれも、根源的に重要なことは、その地域に「滞在したい」「時間を過ごしたい」という想いとなります。

また、いずれのセグメントも、市場から見れば「ニッチ」であるということも認識しておくことが必要でしょう。

日本社会においてDigital nomads的な生き方は、社会的認知も実践者も乏しいですし、3泊以上の旅行を実施できる人々も限定されるからです。

これらを理解し、ニッチャー戦略、または、リーダー戦略としてワーケーション対応は進めていく必要があります。

ワーケーションが持つ意味

コロナ禍を経て、ポスト・コロナへと向かっていく中で、観光需要も様々な変化をしていくことになるだろう。

その一つとして、私は観光がVR(仮想現実)からAR(拡張現実)の世界へ拡がっていくと考えている。日常とは全く異なる非日常(=VR)としての観光にとどまらず、自身の日常生活の延長線上にありライフスタイルに組み込まれた異日常(=AR)に拡張されていくのではないか?という仮設である。
※非日常の観光が無くなるわけではない

ワーケーションという旅行先において、自由時間と就労時間が入り交じる滞在スタイルは、まさに、AR実現の鍵となる発想であり手段となります。

おそらく、数年たてば「ワーケーション」という言葉自体が消え去り、長期滞在需要を獲得できた地域では「普通」に、テレワークが行われていることでしょう。場合によっては、そこに集まったテレワーカー達が、一つのコミュニティをつくり、新しい文化を創造しているかもしれません。

なぜなら、一部の顧客ではあるものの、彼らの行動、ライフスタイルが、そのように変化していくことになるからです。

ワーケーションは、それで全てが解決するような魔法の手段ではありませんが、ポスト・コロナにおける成熟観光地における顧客行動の1つとして、適切にデザインしていくことが重要であると思います。

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