観光サービスのバリューチェーン

かのマイケル・E・ポーターが提唱したものの一つに「バリューチェーン」というものがある。

これは、基本的に製造業を想定したものであり、観光に、そのまま適用することは出来ないが、個人的には、ホスピタリティ事業者ー地域(デスティネーション)ー旅行流通ー顧客の4階層で整理することができるのではないかと思っている。旅行流通は更に「交通ー旅行販売」の2つに区分することもできると思うが、とりあえずは、この4階層で話を進めたい。

企業内または取引相手との関係の中だけで価値連鎖、バリューチェーンを構築できる製造業と異なり、観光は、間接的な関係性しか持たない主体の繋がりによって、取引が成立する世界となっている。そのため、企業単体の取り組みだけでは価値連鎖を起こすことが出来ない。

さらに、企業が「販売」すれば終了の製造業に対し、観光(サービス)は、顧客との共創価値が重要となるから、バリューチェーンの一角に顧客も入ってくることになる。顧客は、通常の取引の更に外側に位置する存在であり、ポーターの言う「バリューチェーン」を構築することは容易ではない。

ただ、直接的な関係性(行動を矯正できる関係性)がなくても、チェーンの中で強者がいれば、各階層の主体は、自身の最適化のために、その強者にあわせた動きをとっていくことになる。この繋がりがうまく機能すれば、それだけ価値連鎖は大きくなり、付加価値は高まっていくことになる。

なぜ、こういう話をするのかというと、このフレームワークに、日米欧の観光を入れ込むと、いろいろ整理ができるのではないかと思うからである。

端的に言えば、日本は、いわゆる着地型での観光価値創造が弱い状況にあり、米国は国際的に競争力の高いホスピタリティ産業を持つ。欧州は、米国のような産業を持たないのは日本と同じだが、強力な地域管理力を持っている。

日本には、現在、米国系のホスピタリティ産業が黒船のように押し寄せていて、アップアップ状態にあり、コミュニティを維持しながら「美しい」リゾートを維持している欧州を羨ましく思う部分も多い。

なぜ、こうなってしまったのか?

観光活動の形成過程で生じた変化

一つの仮説を提示したい。

まず、日本の観光市場がどのように推移してきたのかについておさらいしておこう。

旅行市場規模の長期的傾向

日本の観光市場は、1960年代に急成長を遂げる。これは高度成長期と重なるが、その原動力となったのは、いわゆる団塊の世代の人々(1947−49年生まれ)が、地方部から都市部、特に東京に集まり、膨大な数の中産階級が生まれたことにある。

団塊の世代は、幼少期が戦後の混乱期と重なっており、子供の間に観光旅行を行っている人はほとんどいない。高度成長期の中で成人となり、サラリーと自由時間と、友人や家族を得ることで「観光」を始めることになった。彼らが当時作った需要の急成長は「レジャーブーム」と呼ばれることになる。

ついでに言えば、1980年代後半から90年代前半のバブル経済期に生じた「リゾートブーム」は、団塊の世代の人々が、アラフォーであった時代に重なる。要は、戦後2回の「ブーム」は、団塊の世代のライフステージに沿って展開されたことになる。

ここで思い出して欲しいのは、観光旅行の内容は所得と経験値によって形成されるということだ。レジャーブームによって火がついた国内観光であるが、当時の「顧客」は、前述のように、観光旅行の経験値はほぼゼロ。当然ながら、「マス・ツーリズム」しか展開のしようはなかった。

さらに、首都圏で需要が急増した結果、首都圏から片道2−3時間圏に膨大な観光開発需要が押し寄せることになる。当時は、高速道路も整備途上であり、モータリゼーションも途上であったが、それが故に、首都圏周辺で鉄道なり国道なりのアクセスが良い地域は、軒並み開発対象となった。現在、我々が見ている別荘地やスキー場といったものは(バブル期ではなく)、このレジャーブーム期、高度成長期に開発整備されたものがほとんだ。

が、これも考えてみればわかるが、その「供給」を行う事業者にも、経営ノウハウは存在しない。ただ、その地域を対象に顕在化していく需要があり、その波に乗ることで「儲かりそうだ」という雰囲気があるだけだ。中には、戦前から営んでいた温泉旅館もあっただろうが、需要規模が違いすぎる。週末ごとに、団体旅行が押し寄せてくる状態に対応できる経営ノウハウをもっていた事業者は、皆無に近い状態だっただろう。

そうした環境の中、日本において急激な拡大を見せたのが「旅行会社」である。

例えば、近畿日本ツーリストは1955年、株式会社日本交通公社は1963年から、日本旅行は1998年から、その名称で事業を行うようになっている(前進組織は、それ以前から存在している)。

顧客も事業者も、ほぼ経験値ゼロの中、需要が急激に高まり、それが首都圏周辺(地方都市周辺も含む)の特定地域に向かう状況を調整し、誘導できたのは(発地型の)旅行会社だったからだ。

顧客は、旅行会社に相談すれば、旅行先の選定から、旅行先での過ごし方まで支援してくれたし、地域の事業者も、(顧客とのチャンネルを持つ)旅行会社の指導に従い建物やサービスを規格化していけば、安定した集客が約束されるようになった。

観光旅行の「経験値ゼロ」社会において、観光市場を成立させるには、まことに効率的な仕組みであったと思う。

ただ、戦後に人口増となったのは米国も同様(ベビーブーマー)である。が、米国では日本のような発地型旅行会社は発達していない。これはなぜか。

ここは、憶測でしかないが、米国と日本の人口集中の違いと、中産階級の出現の仕方が影響しているのではないかと考えている。米国は多数の都市に人口が分散しており、日本のように首都圏への一極集中とはなっていないし、1980年代くらいまでの米国は所得格差や人種差別などに起因する社会的分断、階層化が大きかったからだ。

日本の場合、極端な話、首都圏を発地とし、首都圏から行ける旅行先を抑えてしまえば、それでほぼほぼ市場を抑えることができる。しかも、一部上場企業の役員でも地下鉄に乗って出勤するような社会であるから、一つの店舗で幅広い顧客に対応できる。受け入れる地域・事業者においても「東京からのお客さん」というワン・カテゴリーで対応できる。

しかしながら、米国では発地となる都市が分散しており、それに伴う旅行先も分散している。さらに、米国では早い段階からモータリゼーションが立ち上がり、航空便の普及も早かった。こうした状況ではODが、複雑な組み合わせとなってしまう。しかも、所得や人種などによって、利用する店舗も消費形態も、志向する旅行先、施設要望も大きく異なっている。

これでは、旅行会社の基本モデル(大量の需要を集め、それを武器にバイイングパワーを発揮し、特定の地域・施設に送客することで、マージンを得る)を展開することが難しかったと考えられる。

いずれにしても、米国では着地側での民間投資によるデスティネーション開発が志向されるようになる。

例えば、コロラド州にベイルスキー場が出来た(法人化された)のは1966年(開業は1962年)。WDW(ウォルト・ディズニー・ワールド)が出来たのは、1971年。日本のように都市近郊ではなく、施設を展開するのに適した素養をもつ場所が選ばれているのが特徴である。当然、「自然と」人が集まることはなく、集客にはそれだけの魅力が必要であり、それを創造できることが必須であった。

その後も、米国では、リゾート開発のノウハウを積み重ね、1977年にはコロラド州に完全新規の計画的ベースタウン、スノーマス・ビレッジを開設、1980年にはハワイ州で、最初の「マスターディべロッピング方式」とされるカアナパリ地区が開発され、ハイアット・リージェンシー・マウイを開業している。

皆が皆、成功したわけではないし、破綻したりオーナーチェンジしたりしたリゾートも少なくないが、冒頭で示したバリューチェーンで整理すれば、米国では「事業者」が主役であったと指摘できる。

他方、欧州はどうか。欧州は、もともと貴族階級の保養地という素地があり、かつ、世界でも早い時期に産業革命を経験したために、一般の人々(中産階級)の観光旅行という需要に世界で最も早くさらされた地域である。

欧州の特徴は、もともと、城壁都市が基本であったために、都市計画が抑制的で自律的であったということ。

限られた地域サイズの中で、高度に都市化はされているが、高さや色彩、意匠の制限がかかる都市はもちろん、地方部においても、大規模施設の建設は制限され、域外資本の参入ハードルが高い地域も少なくない。これは、観光開発でも同様であり、こうした状況では、米国のように民間投資主体で観光開発を行うことは難しく、必然的に「地域」が主役となっていった。

  • ただし、フランスは、バカンス法の制定に合わせて、国主導で米国的な面的開発に乗り出している。日本のリゾート法のモデルともなったラングドック・ルーション。トロワバレーの一つであり、最高級リゾートとされるクーシュベルも、その一つ。

民間投資ではなく、地域の魅力で勝負することになるため、むしろ地域間の競争は激しい。実際、欧州にいくと、都市も自然地域も「美しい」ところばかりだが、ブランド確立できている地域は、ごくわずかである。

こうやって見てみると、日本は流通、米国は事業者、欧州は地域が、それぞれ主役となり観光旅行のバリューチェーンを動かしてきたことがわかる。

これは、それぞれの環境に適したチェーン形成であったといえる。実際、1990年代の後半まで、大きな問題は生じていなかった。

ターニング・ポイントとなった情報革命

しかしながら、90年代後半から、状況が大きく変わり始める。

それは、情報革命によって、顧客の意識と行動が大きく変化したことに起因する。

ネットが普及してくると、それまで存在していた「情報の非対称性」が解消されていくことになる。この影響を最も強く受けたのが流通階層である。特に、旅行業が被った影響は大きい。顧客は、ネットを通じて生の情報を、様々な角度から得ることができるようになったからだ。旅行会社が主力製品であるパッケージツアーで対象としていたのは、自身での行程組み立てや手配などが難しい経験値が低いセグメントであるが、旅行回数が少ないということは、所得の低さと相関する。すなわち、旅行会社の顧客≒経験値が低い≒価格コンシャスな人となり、ネットの普及は、その事業の存在意義までも危うくする環境変化となった。

もちろん、情報社会化は、地域、事業者にも影響を及ぼすことになる。

それまでは、マスコミを抑えることで、旅行先を独占できていた(地域)、シンボルとなりえていた(事業者)も、ネットによって「隠れた地域」や「事業者」がアンベールされることで、競争相手が増えることになってしまうからだ。

ただ、これは競争が激化する(かも)という話であって、旅行流通のように、その存在そのものが置換される(OTAなど他の形態に置き換わる)という話ではない。むしろ、情報社会の到来は国境ハードルを下げることになるから、市場を拡げるチャンスともなる。要は、有効な競争戦略を打ち立てればよいということにしかならない。

で、実際、競争力強化が強烈に行われることになる。

1990年代後半に概念が出てきた「ホスピタリティ・マネジメント」は、その後10年も経たずに、学術分野でも実務分野でもメジャーな存在となり、これを使いこなす事業者の競争力を飛躍的に高めることになった。特に、所有と経営の分離による多店舗展開は、事業者の進出基準を根本から変えることになり、あっという間に世界中に米国(一部、欧州)のホテルブランドが展開されることになった。

対抗する欧州は、米国系資本の流入を抑えつつ、環境系への取り組みを早くから展開したり、地域文化、コミュニティ、小中規模事業者の保全と強化に取り組んだりすることで、地域ブランディングとマネジメントを強化し「著名な旅行先」というポジションを維持し続けた。米国で先行したホスピタリティ・マネジメントの要素を「地域」にうまく組み替えていることも特筆できる。

端的に言えば、米国であれば、観光客がどこに旅行しようと、彼らが宿泊滞在するホテルや、エクスカーションで利用するサービスは、その多くが付加価値創造できるだけの競争力を備えているし、欧州であれば、「滞在したい」と思うリゾートや都市は、その競争力に応じた価格設定がなされており、個人経営のロッジのようなところでも高単価となるということだ。

他方、日本ではどうか。

日本では、流通機能がネット、オンラインへとシフトしていく中で、地域と事業者が無造作に顧客にさらされる状況となった。本来であれば、旅行流通が変化する中で、地域や事業者は、欧米のような展開を図るべきであったが、日本の場合、景気後退(=市場縮小)と、情報化による構造変化が同時に生じてしまったため、問題の特定と処方箋の展開が遅れた(的外れだった)。

結果、新しいバリューチェーンが、現在でも、再構築できていない状態にある。そのため、国策として、インバウンド拡大に取り組み成功しても、バリューチェーンが機能していないため、付加価値が思ったように高まらない。

そのため、人気の高い地域でも安価な施設、サービスが多く存在する一方で、競争力の高い事業者(=価格決定権を持つ)は外資というのが、よく見られるパターンとなっている。

どちらかを選ぶのか?

日本において、観光振興によってちゃんと付加価値を確保していくのであれば、顧客の状況に合わせ、事業者か地域のいずれか、または、双方を強化する必要があるだろう。

ただ、事業者については、経営技術において25年のビハインドを抱えており、それに関連するファイナンス構造も段違いとなっている。ホスピタリティ・マネジメントに係る情報のほとんどは英語で提供されており、また、これを展開するには古典的な経営学領域にとどまらずIT(今ではDX)に関する知識や、近代的な金融工学、心理学なども必要とされる。現実的に、これらの経営技術をキャッチアップし、経営の現場で実践していくには5−10年の時間が必要となるだろう。

他方、地域についても、DMOは制度として導入されたものの、宿泊税など安定した独自財源を持つ組織は、ごくわずかであり、そこで就労ポストも確立されたものとはなっていない。さらに、仮にDMOが財務、人事面で強化されたとしても、日本の都市計画は欧州のそれと異なり、自律的な展開を行うことが極めて難しい。

いずれの道も、なかなかに厳しいが、このままでは、ポストコロナによって国内客、インバウンド客が回復したとしても、付加価値を高めることは出来ず、ザル経済となってしまう。

事業者および地域の競争力強化に向けた戦略をくみたて、腰を据えて実施していくことが必要だろう。

旅行流通からの再編の道

もう一つ、流通を再強化し、再編するという選択肢もある。

好例は、エアービーアンドビーである。

いろいろと物議を醸すことの多い同社であるが、住宅ストックを観光旅行につなぎ合わせ、新しい旅行需要、観光需要、滞在スタイルを創出したことは間違いない。

エアービーアンドビーは、ITも活用しながら、従来にはない顧客セグメントを発掘し、それを民泊という事業と組み合わせることで、バリューチェーンを形成し、世界を大きく変化させた。

こうした変化を、新たに創造していくことも可能だろう。

例えば、ホスピタリティ産業の付加価値は、オンとオフの差が激しいと低下する。設備や人員の稼働に偏りが出るからだ。特に設備は、ホスピタリティ事業において最大級の資産であり、この稼働が安定するか否かは、付加価値形成に大きく影響することになる。

もともと、旅行会社はオンシーズンに宿泊施設に部屋を出してもらう代わりに、オフシーズンに団体客を送客するといった稼働率の調整機能も備えていた。流通が、再び、バリューチェーンをリードするには、需要の平準化は一つの鍵となるだろう。

その一つとして、私が注目しているのはサブスクリプションモデルによる宿泊需要の創造である。特に、HafHは旅行流通の「常識」を崩す可能性をもったモデルと考えている。

https://www.hafh.com/

詳細は、本稿では割愛するがサブスクリプションによって、宿泊需要が増大し、かつ、それが平準化方向に向かうようになれば宿泊需要の基本構造が、大きく変わることになる。

ただ、エアービーアンドビーがそうであるように、この「座席」は、世界中でも1−3くらいしか存在しない。一度、寡占化されたら、挽回は出来ないということだ。

時間は、もうあまり残されていない。

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