このところ、キャリア3社から、ゾクゾクと新しいスマートフォンがリリースされている。
アンドロイドが、普及期に入ってきたことを示しているが、その動きを見ていると、一つ気がつくことがある。
それは、アンドロイドという国際的なOSを使っているのに、ローカルな形にカスタマイズされた製品ばかりだということだ。
私は、1年ほど前から、iPhoneを使っているが、iPhoneは、基本、1年に1モデルしかない。全世界で、1モデル。
これに対して、この半年余りの中で、国内キャリアからは、果たしていくつのスマホがリリースされているのだろうか。
私は、アンドロイドにあまり興味が無かったので、ちゃんとは調べていないが、国内で、当初注目されたモデルは、サムソンのスマホ「ギャラクシー」であったと思う。そして、このサムソンのスマホは、一部、ローカライズをしているようだが、基本は国際モデルだったはずだ。
それが、なぜ、アンドロイドなのに、日本でしか使えない(売れない)製品ばかりが、並ぶようになってしまったのだろうか。
別に赤外線やFericaがあってはいけないと言うことではない。が、そうした機能を集積した結果が「ガラパゴスケータイ」と揶揄される事象を生み出したのではなかったか?
にも関わらず、なぜ、新しい技術環境になっても、同じ、取組をしてしまうのだろうか。
日本市場は、多様化しているから? 確かにそれはあるだろう。
が、iPhoneやギャラクシーは、もっと広い世界で「売れる」商品を作っている。日本が多様化しているなら、世界規模で見たら、より多様な市場があるだろう。
結局、顧客のことが見えていないのではないか。そのため、細かいところしか見えなくなっているのではないか。
こうした「残念」なことは、実は、観光業界でも同様な気がする。が、それは、またの機会で。