私は社会人になって以来、その多くをコンサルタントを業として過ごしている。

ブリタニカによると、コンサルタントとは、以下のように定義されるらしい。

ある特定分野において専門的知識と経験を有し,顧客の持込む問題に対して相談に応じたり,助言を提供したりすることを職業とする人をいう。大別して経営コンサルタントと技術コンサルタントがあり,経営全般の問題あるいは技術に関しての相談,助言を行なっている。

ブリタニカ百科事典

公式の略歴には記載していないので、知っている人は少ないが、実は、私は、20代にITベンチャーの立ち上げに参画し、敢え無く敗退をしている。

2年近くかけて準備して立ち上げたものだったが、起業して、半年も立たず「失敗した」ことを実感した。
失敗した原因は、端的に言えば、あまりに「知らないことが多すぎた」ことだ。
当時は、インターネットが出始めの頃であり、ネット自体がフロンティアではあったものの、そこで事業を成立させるには、商品となるシステム開発に加え、ファイナンスはもちろん、労務管理、マーケティング、セールスといった基本的な経営手法が必要だった。

率直なところ、当時は「情熱さえあればなんとかなる」と思っていたし、「着眼点がユニークだから大丈夫」とも思っていた。当時、流行り始めていたベンチャーキャピタルから、資金調達できたことも、その「錯覚」を助長させた。

しかしながら、現実の社会は、そんなことだけで動くものではなく、起業した途端に、容赦ない時間軸に巻き込まれ、翻弄され、途中で資本の追加投資はあったものの、戦線を再構築することもできずに崩壊した。

この経験を通じて、私は、自分の未熟を痛感した。

その混乱の中で、拾ってくれたのが、今、私が所属している組織である。
そして、転職後、私は「コンサルタント」となった。

コンサルタントの役割

世の中を動かしているのは「実践者」である。
「実践者」がいなければ、何事も進まないし、動かない。

でも、その「実践者」が、情熱やユニークな着眼点を持っていたとしても、それが相対的に「勝てる戦略」であるかどうかは別の話だ。

理念として正しい意思決定が、競争戦略として正しい意思決定とは限らないからだ。

相対性の中で優劣が決まる世の中においては、多様な視座、多面的な視点から状況を把握した上で意思決定を行うことが求められる。でも、実践者にとっては、現場は1つ(N=1)であるため、なかなか、多面的に物事をみることは難しい。

また、世の中には数多くのセオリーがある。適切な戦略は、これらのセオリーに沿わせるか、敢えて、外すかといった取組の積み重ねで作られていく。しかしながら、これらのセオリーは、学ばなければ習得できない。

「現場を動かす」というリスクを負いながら、現場に入れば入るほど、難しくなっていくのが、この多様な事例と、セオリーの把握である。

私は、自身の経験をふまえ、コンサルタントとは、実践者に不足しがちな多様な事例と、各種セオリーについての知識と経験を持ち、それを実践者の状況に合わせて伝え、一緒に考え、合理的な意思決定を支援していくものだと思っている。

それが、現場を離れてしまった私の役目だとも思っている。

「名ばかりコンサルタント」を生み出す原因

一方で、行政系の事業が「金太郎飴」で「計画倒れ」となり、それに携わったコンサルは「名ばかりコンサルタント」と揶揄されることが多い。

現状を俯瞰すれば、行政系コンサルタントに対する、こうした批判は、その一端にいるものとして甘受せざる得ない部分もある。
観光による地域振興が、これだけ注目を集めながら、計画に基づいた観光地域づくりは、なかなか実践できていないし、現実問題として、補助金や交付金を原資とした委託事業にぶら下がったコンサルタント(事務所)も少なくないからだ。

ただ、敢えていえば「金太郎飴」や「計画倒れ」の責任は、コンサルタントだけに起因するものではない。

コンサルタントは実践者の「あわせ鏡」みたいな存在でもあるからだ。

コンサルタントは、当事者ではなく、実践者ではない。実際に、事業を動かすのはコンサルタントへの発注者、実践者だ。そのため、実践者が、情熱と感度を持った人であれば、コンサルタントも、その熱量に合わせた動きが求められる一方で、実践者の熱量が低いと、コンサルタントも動きようが無い。

ただ、これは行政担当者がダメだというわけではない。
行政系の事業には、構造的な課題があるからだ。

まず、切れ味のある計画を作りにくいということだ。
現在、地方自治体は「お金がない」から、何かしら新しい取り組みを行う際には、国などからの支援(交付金や補助金)を得ることが注力される。

とはいえ、国も無尽蔵に原資があるわけではないので、支援先は選ぶ必要がある。そこで、定番となっているのは「地域に、その支援を受け止め、広げていくことにつながる計画があるか」ということだ。

地域が計画的に進めている取組であれば、国からの支援も「活きる確率が高まる」と、国が考えることは合理的ではある。

これを、地域の立場からみれば、支援を受けるには、支援に対応する計画を用意しておくことが必要となる。

もともと、地域での「計画」は、一部からでも反対が生じるような構成、内容を取りにくい。それに加え、地域が用意する「計画」が、国からの支援を受ける要件となることを考えれば、その支援可能性の枠を狭める必要性は低い。

その結果、行政系の計画は、総花的なもので、抽象的なものになりやすい。

第2の理由は、計画実施の体制が内製できないことにある。
「計画」に基づき、国などからの支援が得られるようになると、事業が動き出すことになるが、事業を動かすには資金だけでなく、人材も必要となる。人材を抱えるには人件費が必要となるが、一般的な「支援」は外注先の人件費は対象となっても、組織内部の人件費は対象とならない。また、仮に内部の人件費も対象となる「支援」であっても、その支援期間は保証されるものではない。

結果、支援によって事業が動き出しても、行政(組織)側の人員を増員することは難しい。そのため、外の要員の力を借りるために、事業を外注することになる。しかも、この外部化は「支援」規模が大きくなればなるほど、進むことになる。
当然、計画の実行性において不確定度は高まることになる。

計画の策定においても、実施(外部化)においても、コンサルタントは絡んでくるため、コンサルタントの責任は免れないが、外部の人間(組織)であるコンサルタントに出来ることは限られていることも事実だろう。

コンサルタントが機能するためには

コンサルタントを「名ばかり」にしないためには、補助金や交付金に過度に依存した地域振興からコンサルタントも実践者(行政)も、脱却することが必要だろう。

「人の金」では、どうしてもその運用規律が甘くなるし、自地域で対応できる財務規模を超えてしまえば、外部に依存せざるえなくなり、持続性の確保は難しくなるからだ。

行政が主体であっても、自分たちでファイナンスできるものの範囲で、計画を組み立て、その計画を実施していく中でファイナンスを強化していくということを強化していくことが求められる。
かつてはこうしたファイナンスは困難だったが、現在なら、宿泊税や入湯税といった税方式もあるし、地域再生法にもとづいた負担金制度も登場している。また、PPP/PFIのように公共サービスと組み合わせることでバランスをとっていく手法も出てきている。

「名ばかり」と呼ばれないようにする…というか、コンサルタントの本来の役割である、成果への支援を行うには、そうした方向性に促していくことが、今後のコンサルタントの役割となっていくだろう。

さて、私自身、変化する状況についていけますかねぇ…。

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