先日、久しぶりに「オンシーズン」の富良野美瑛地域(以下、富良野)に行ってきた。
この時期の富良野は、雄大な自然景観が売りであり、その象徴的な存在は「花」となっている。
もともと、富良野は1976年の国鉄のカレンダーでファーム富田が紹介され、翌年の1977年には前田真三が「麦秋鮮烈」を発表したことによって農村景観への注目が高まっていたところに、1981年にTV放映が始まった「北の国から」によって、「夏の観光地」としての地位を確立している。
鮮やかで、色とりどりな色彩は、人々を惹き付け、その景色をみたいという来訪動機を掻き立てるものである。富良野の事例が示すように、その誘客力は絶大で、数十年に渡り、幅広い人達を惹きつけている。
これは、観光集客において、五感の中でも視覚が大きな意味を持っていることを示している。
ただ、一方で、視覚情報による刺激は移ろいやすい。
「わぁ、綺麗だなぁ」という刺激的な感動は、持って数分。すぐに人の脳は「飽きて」しまう。観光客は、10分ほど立ち寄って、また、次の場所へと移動してしまう。
つまり、「花」などは、誘客における「つかみ」にはなるが、それだけでは「見て終わり」となってしまうということだ。これでは、経済的な恩恵も、文化交流的な恩恵も、うけることは難しい。
「つかみ」だけでは不十分
このことは「つかみ」だけでは、観光振興の目的を達することはできないということを示している。
観光を地域の振興につなげていくためには、観光客を来訪させることは必要条件でしかなく、消費や文化交流といった「やりとり」が生じる仕組み、タッチポイントの設定が別途、必要である。
仮に経済効果に目的を設定するのであれば、スタッフ1人・時間あたりで3,000円の消費が発生するタッチポイントが必要となる。なぜなら、スタッフの時給を1,000円とすれば、その人件費を生み出すには3,000円くらいの売上が必要となるからだ。
これは低くないハードルである。
が、観光客の来訪を、地域の振興につなげていくためには、必須の取り組みであり、仕組みである。観光を地域の血肉に変えていくための消化器官と呼んでも良いだろう。
そして、観光振興の取り組みとは、この消化器官に栄養を送り込むための取り組みだということだ。
しかしながら、現実的には、この消化器官を持たないのに、ともかく、観光客を集めようとしている地域が多くないだろうか。確かに、何かを食べなければ、何も始まらないのは事実である。が、食べたからと言って、それに対応する消化器官がなければ、それが栄養となり、血肉に変わることは無いことも、また、事実である。
中長期的な体質改善
「つかみ」は、単に、観光需要を取り込むだけでしかない。
確かに、それは重要な取り組みであるが、より本質的に重要なのは、観光を地域振興に転換できる消化器官を地域が持つことにある。
さらに、この消化器官は、観光なら何でも血肉に変えられるわけでもない。
団体客向けに整えられた消化器官は、個人客を十分に消化できないし、買い物需要に特化した消化器官は、コト消費に対応できないからだ。
国内の多くの地域は、そもそも、観光に対応した消化器官を有していない。また、いわゆる「観光地」であっても、現在の個人/インバウンド需要に対応した消化器官を有している地域は限定されているのが現実だ。沖縄県ですら、観光消費を県民生産の向上に繋げられていないからだ。
つまり、地域がなすべきことは、観光に対応した消化器官を育てることだ。
これは、一朝一夕でできることではなく、中長期的な時間軸で取り組んでいくことが求められる。
観光振興というと、いかに観光客を惹きつけるかということに注目が集まりがちであるが、それは地域振興における必要条件でしかなく、本質的に必要なことはサービス経済社会に対応した構造を持つことであるということを意識したい。