「格差」は、日本社会において大きな問題となっている。

「格差」を指摘する人々は少なくないが、その多くは「分配」について問題視したものであることが多い。

経済は、生産=分配=消費の3つの側面を持っている。

GDPが総量としての「生産」。それが、税や社会保障によって「分配」され、「消費」を介して「生産」へとのつながっていく。

この「分配」が問題だと言うのが、多くの主張であるが、より根本的な問題は「生産」そして「消費」にあるだろう。
なぜなら、「生産」が伸びない限り、分配の原資は増えないからだ。原資が限定(もしくは縮小)される中では、分配を工夫したところで「限界がある」ということは自明だろう。

で、その「生産」は「消費」とリンクしているから、消費が増えないと、生産は増えない。つまり、日本を覆う閉塞感は、「消費」が伸びないことにある。

消費が伸びない理由も、多種多様に指摘されるが、基本的にはデフレ経済だということだろう。つまり、物やサービスの価格が上がらない/下がっていくということだ。

この理由についても、いろいろと指摘されているが、マーケティング視点で考えれば、価格でしか差別化出来なかったということになる。
価格戦略は、マーケティングの3大戦略の一つではあり、多様なセグメントに有効な強力な取り組みだが、これに頼りすぎてしまったという側面は否定出来ないだろう。

価格決定のメカニズム

さて、ここからが本題。

「安売り」に向かってしまったのは、景気が失速していったことと無縁ではないが、それだけでなく、日本社会における価格設定に関する考え方にもあるように感じている。

価格設定は大きく2つの手法がある。
それは、原価積算方式と知覚価値方式である。

原材料費や作業日数などをもとに積算し価格を設定するのが前者。それらの内訳に関係なく、顧客が適切と思う金額によって価格が設定されるのが後者だ。

「下町ロケット」や「陸王」が人気を集めるように我々は、「汗水たらして」という話が好きだ。
この意識の背景には、物事の価値は、それを生み出す労力に比例するという考え方がある。すなわち、原価積算方式だ。

この考え方は、製造業社会においては、有効に機能した。製品の性能は、絶対的な数値として表されるし、その性能は、研究開発の結果としてもたらされるからだ。さらに、先行する企業は経験カーブによって、生産コストを低減させることができるから、価格競争力を高めることも可能だ。つまり、「良いもの」を利益を確保しながら「安く」提供することが可能であった。

しかしながら、サービス経済社会では、この法則は必ずしも成立しない。
サービスの性能(品質)は、数値では測定できず、個々人によって評価が異なるし、そのサービス・デザインも「努力」というよりも「構想力」に依存する。さらに、サービス提供にかかる費用は、サービス提供の構造や仕組みによって規定され、それは規模や経験によって低減し難いからだ。

こうした構造においては、原価積算方式で価格を設定すること自体が難しい。

すなわち、サービス経済社会では、基本的に価格は知覚価値方式で行うべきなのである。

ただ、ここで一つの疑問が出てくる。
「サービス」は、製造業社会においても存在していた。その時代、サービスの価格はどのように設定されていたのだろうかということだ。

それは、「価格ありき」で設定されていたと考えることが出来る。
例えば、同じ地域であればランチの価格は、ほぼほぼ同じ価格帯にある。散髪やマッサージなども同様だろう。これは、その地域の住民や就業者などの生活水準から価格が逆算されているためである。

サービス内容の原価積算でもなく、顧客の知覚価値でもなく、その場所で、そのサービスを提供しているという「与件」にて価格が設定され、そこに合わせてサービス・デザインをしてきたことになる。

つまり、事業者は、自身では価格決定権を持っていない。

自律的な価格設定

そのため、景気が失速し顧客の懐が寂しくなると、競合店も自施設も、皆、価格を下げていかなければならなくなる。それが、際限ない価格下落スパイラルへとつながっていったと考えれば、わかりやすい。

こうした中で、自律的に価格設定を行う事業者も出てきている。
例えば、一部の美容院は「カリスマ美容師」を擁することで、価格設定を高額に設定しているし、オーベルジュのように立地場所によらずに高単価設定を可能とする業態も出てきている。標準メニューで1,000円を超えるラーメン屋などもその一例だろう。

これら施設の共通点は、立地している場所の需要に対応しているのではなく、その施設が提供するサービスの利用を目的とした顧客を獲得しているということにある。

つまり、顧客が、そのサービスを明示的に認識し評価したことが、相対的に高いサービス価格を実現している。
これは「知覚価値方式」での価格設定である。

ただ、この「知覚価値方式」、必ずしも相対的に高額とはならない。顧客が知覚する価値に基づいて適切な価格が設定されるから、逆に安価になるリスクもあるからだ。

そもそも、サービスには形がなく、見ることが出来ないし、数値で仕様を知ることもできない。そういう状態で、購入前に知覚価値を高めるには、それを体験してみたいと強く思ってもらうしか無い。すなわち、期待値を高めることが、必要である。

信頼できる知人が推奨していた。サービス・デザインに強い物語を感じる。業界のアワードを獲得した…などなど。期待値を高める手段は複数あるが、いずれにしても、自らが顧客に提供できる価値に対する期待を高めていくことが重要となる。

そして、この期待値を戦略的に高めていく取り組みが「ブランディング」である。

ブランディングの取り組み

ホスピタリティ産業において、このブランディングを、積極的に展開したのは外資系のホテル・チェーンである。例えば、我々は「パーク・ハイアット」と聞けば、例え、そこに宿泊したことがなくても、最高クラスのホテルだと認識し、そこで提供されるであろう宿泊経験を想起することが出来る。

ただ、それは一朝一夕で実現できたものではない。
彼らは、いち早くブランディングの重要性に気が付き、20世紀後半より取り組み、その地位を確立してきた。そのためには、ホテル「所有」を止め、持てるリソースの大部分を、ホテル運営ノウハウの向上につぎ込むというビジネスモデルの転換まで行っている。

ブランディングが、効果的に機能すると、その価格は跳ね上がることになる。

例えば、美容院でいえば、2000円位から1万円超えまである。もちろん、高額な美容院はカットだけでなく、他のサービスが付帯する場合もあるし、施術時間も異なるが、単位時間あたりで5倍くらいの差がつくことになる。

ホテルも同様である。ノーブランドのホテルであれば一泊数千円から1万円半ば程度が限界であるのに対し、ブランディングされたホテルであれば、一泊10万円、20万円といった価格設定も可能となるし、コンドミニアムやバケーションレンタルなどへの横展開も可能となる。

さらに、ブランディングが進めば、同じ価格であれば、自施設が選好される確率が高まるから、稼働率、回転率もアップする。それによって、単価と人数の双方で収益を高めることが出来る。

もちろん、高価格の施設は設備などにも費用がかかっているから、価格差が、そのまま付加価値や労働生産性に直結するわけではないが、顧客がちゃんと認識し、期待を持ってくれることによる効果は大きいことがわかる。

重要なことは、美容院にしても、宿泊施設にしても、提供している「機能的な価値(仕様)」については、他の同業者と「ほぼほぼ同じ」ということである。価格差は「敢えて、ここを使ってみたい」という「情緒的な価値」によるものである。

さらに重要なのは、「機能的な価値」が同様であれば、さほど労働投入量は変わらないということだ。理髪サービスも宿泊サービスも、機能的な価値が同じであれば、そこに必要なスタッフ数も時間数も大きくは変わらない。

これをスタッフ、労働者の立場から言えば、同じように働いても、そこから生み出される価値が大きく変わるということを示している。

そもそも、原価積算方式の価格は、機能的価値しか反映していない。これが「汗水たらして」の部分である。
しかしながら、サービスに対する人々の価値観は、思い入れによって大きく異なるから、情緒的価値が付加されれば、全体価値=対価は大きく異なることになる。

言い方を変えれば、「汗水たらして」真面目に一所懸命に働いたとしても、それだけでは、その労力は報われない。その真面目さ、真摯さが「対価」という形で評価されるには、情緒的価値を追加することが必要である。

価値意識の転換が必要

冒頭で示したように、閉塞感のある現状を変えていくには、分配だけをいじっても限界がある。根本的な解決には、消費を増やさなければならない。

消費額を増やすには、消費時に、顧客に対して「ワクワク感」を提供し、情緒的価値を高めていくことが重要となる。

これはブランディングと呼ばれる取り組みであり、それを否定する人はいないだろう。

にもかかわらず、地域や事業者においてブランディングが広がらないのは、ブランディングの手法がわかりにくいということもあるが、価格を上げることについて逡巡する意識があることは否めない。

知覚価値が十分に高い状態にあるにもかかわらず、それを価格改定に繋げられていないケースは散見される。そうした事業者からは「価格を上げたら顧客になんて言われるかわからない」といった声を聞くことが多い。

実際、人気のあるサービスの価格を少し上げるとソーシャルで「ちょっと人気が出たからといって勘違いしている」「ボッタクリだ」という言葉が飛び交うことになることは多い。

そうした声は、顧客からだけにとどまらない。少し特別なことをすると地域関係者からは「あいつは調子に乗っている」と言われるし、事業が軌道に乗っていけば「あいつは和を乱している」とか「一人だけ儲けて」といった声も上がっていく。

そうした環境の中で、顧客の評価を得て、しっかりと値付けを行っていくのは、なかなかに難しい。経営者には、強い信念が必要だろう。

しかしながら、日本を覆う閉塞感を解消する、すなわち「消費」を介して「生産」を増やし、その成果として「分配」を改善するには「出る杭」を沢山作っていく必要がある。

事業者も地域も、また、消費者となる人々も、皆、新しいチャレンジこそが閉塞感を打破していくことに繋がるということを認識し、チャレンジャーを評価する社会としていきたいものである。

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