著しい非対称性を持つ新型コロナ

3月下旬からの感染症拡大は、抑え込むことが出来た今日このごろ。

話題は、緊急事態宣言の解除後に「どういう世界になるのか」に焦点が移りつつある。

ここで事態を複雑なものとしているのは、新型コロナは、確率的にはさほど驚異となる存在ではないということである。

とんでもない感染となったスペインですら、累積の感染者は人口の0.6%に過ぎない。つまり、国民の99%は感染が確認されていない。日本でいえば、99.9%レベルで非感染者である。

しかも、これは累積の感染者数である。実際には、回復者も相当量いるから、市中に現存する感染者は、更に少ない。5月18日現在のデータで言えば、東京都の累積感染者数は5065名だが、内3632人は既に退院している。

最悪ケースとなる死亡者についても、日本では0.0006%。これは1年間で交通事故で死ぬ確率(0.0025%)よりも小さい。

そもそも、普通、99.9%の確率で発生しない…と言われたら、それは「まず、発生しない」と考えるだろう。コロナに感染する確率は、そのレベルにある。

にも関わらず、コロナ禍が脅威なのは、そのレベルの感染であっても対応できる医療サービス容量が足りず、医療崩壊に至ってしまうためである。医療崩壊が起きてしまえば、救えるはずの命を救えないという事態となる。現実問題として、医療サービスで、全ての命が救えるものではないが、技術的には救えるべき命が、失われてしまうというのは、現代社会に生きる我々にとって許容したくない事態である。

ただ、この著しい非対称性が、コロナ禍への対応を難しいものとしている。

そもそも、99.9%の人々に無縁であるという時点で、確率統計的な手法は意味をもたない。残る0.1%の世界で起こることは、どうしても、例外的な話となるからだ。

現在の我が国の感染症対策において基本となっているのは、クラスタの抑制であり、確認されたクラスタ発生場所の共通項から、3密という特徴を提示している。ただ、これは確率統計的というよりは、事例から導き出された考察である。

例えば、スポーツジムは、2月から3月にかけて、一部施設において、クラスタが確認されたことで「危険な施設」とされている。

ただ、スポーツジムは、国内に無数に存在し、利用者も多い。明らかとなっているのは、その一部施設においてクラスタが発生したという事実だけであり、スポーツジムという形態が危険なのか、そこを利用する人々の問題なのか、それとも、偶然なのかという検証はなされていない。さらに、仮に他施設よりも感染リスクが高いとしても、その「高さ」は、どの程度なのかということも明らかにはなっていない。

とはいえ、3密については、感染拡大のメカニズムを考えれば、他所よりも感染リスクが高いだろうとみなす蓋然性は高い。おそらく、専門家委も、先に仮説があり、クラスタ発生源が、その仮説に適合したことで3密として公表することになったのだろう。

問題は、緊急事態宣言発出あたりから蔓延し始めた「なんでも危ない」という風潮だろう。飛沫感染にしても、接触感染にしても「可能性」だけを考えれば、各所に感染リスクが存在する。通勤電車やパチンコは、3密の特徴から危険性を指摘するのは当然だとしても、他者が近くに来るだけで怖い、他者が触ったものに触れるだけで危ないと考えてしまう風潮が生まれている。そして、そうした感染リスクへの過度な反応は、他者の排除、敵視、偏見を社会に蔓延させることになる。

「可能性がゼロではない」というのは、一見、確率統計的な表現に感じる。しかしながら、「ゼロではない」というのは、ある種の「悪魔の証明」であり、実際には定量的な判断を否定していることになる。

ホスピタリティ産業に求められる対応

さて、こうした構造を踏まえた上で、観光/ホスピタリティ産業は、どのように対応していくことが求められるのだろうか。

既に、感染症対策については、各種のガイドラインが提示されつつある。これらは、合理的に設定されたものであり、これに準拠した取り組みを行うことで、感染リスクは相当量抑えることができるだろう。

まずは、これらのガイドラインに沿った対応をしていくことが必要となる。
もっとも、現状、ガイドラインの内容は「机上の産物」でもあるので、今後、実践の中でブラッシュアップされていく必要はあるだろう。

では、事業者は、このガイドラインに従えば、ニューノーマルへの対応は完璧なのか?といえば、そうとは言えない。なぜなら、これによって「安全」は確保できたとしても、「安心」感を得られるかどうかは別問題だからだ。

「安全」と「安心」は、違う。

「安全」は、理屈、数値で設定し確保することができるが、「安心」は、それを人々が心のなかでどう感じるのかということである。客観的に示せることが安全、主観的に感じるのが安心と整理することが出来る。

観光/ホスピタリティ産業としては、社会的責務として、ガイドラインに基づいて安全を確保することはもちろんだが、観光客、住民、そして、従業員に安心感を持ってもらえなければ、その取組の大部分は無駄となってしまう。

事業が成立しなければ、安全確保する意味も無いからだ。

すなわち、感染症対策というのは、単に実施すれば良いというものではなく、関係者の「心」に響くように取り組む必要がある。

より端的に言えば、「ちゃんとやっている」ということを、しっかりとアピールするということだ。

ただ、感染症対策は、何がどれくらい有効なのかということがわかりにくい。各種のガイドラインも、それをすべて満たすことが必要なのか、アレンジが可能なのか。アレンジした場合、リスクはどれくらい高まるのか、または低下するのかも解らない。

しかも、これらはサービス・デザインよっても変わるはずだ。

例えば、入退場時に、手指の消毒を徹底していれば、接触感染は相当量防げるし、マスク常用を義務付ければ飛沫感染も同様に防ぐことができる。さらに、リスクが高いとされるブッフェも、オペレーションの工夫によってリスクを低下させることが可能となる。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200508/k10012422171000.html

つまり、感染症対策は、個別に評価するのではなく、サービス・デザイン全体、パッケージで評価すべきである。

また、事業者の立場から考えれば、感染症対策は「コスト」となる。もちろん、必須な取組はコストをかけても対応すべきであるが、一方で、顧客の「不安」に無制限に対応することは難しい。事業者側の責務として対応すべき事項と、「不安」に寄り添う事項は区分し、後者については有料対応としていくといった取組も必要となるだろう。

さらに、観光客や住民からすれば、一部の施設だけが高水準の対応をしていても、安心感を得ることはできない。対応が不十分なところで感染クラスタが出来てしまう可能性は低くないからだ。そのため、地域全体で、感染症対策は進めないと効力を持つことは出来ない。

こうした事を考えると、地域レベルで感染症対策についての姿勢を明らかにし、その方針に基づいて、顧客などにわかりやすく対策状況を伝える工夫が必要となるだろう。

例えば、以下のような認証を地域レベルで動かすことを推奨したい。

観光地での感染症対策アピールのイメージ

最も有効なのは「顧客のセレクション」

ただ、振り返って考えてみれば、そもそも99.9%の人々が感染とは無縁の状況にある。補足されていない感染者を10倍としても、99%は無縁である。

そう考えれば、感染リスクの高い1%の人々を「招き入れない」方策の方が、感染予防には有効だろう。例えば、旅行前の2週間程度、ステイホームしている人であれば、感染している可能性は殆どない。

都市部では、居住者や通勤通学者も多いから、「感染リスクの高い人を排除する」ということは難しいが、観光地で考えれば、リスクの高い人々を受け入れる義務は無い。

実際、緊急事態宣言中、地方部は「県外者」の来訪自粛を呼びかけていた。

宣言が解除されても、各所で小規模なクラスタは発生し、その発生場所は人口が多い都市部となるだろう。そのため、「クラスタ発生地域の人々は、全て危険」という現在の認識では、地方部での観光再起動は難しい。

しかしながら、「居住地に関わらず、リスクの高い行動様式の人は遠慮いただく」という考え方に切り替えれば、同じ自粛要請でも事態は変わってくる。

そして、この取組は、ガイドライン的な感染症対策以上に、人々に安心感を与えることになるだろう。

とはいえ、実際に、こうしたセレクションを実施するには、DMOに、非常に高いリーダーシップが求められる。域内の事業者に賛同を得ることはもちろん、住民の不安払拭、そして、顧客(観光客)に対する意識付けを展開していく必要があるからだ。また、行政と「やりあう」交渉力も必要だろう。

これらは、けっして低いハードルではない。

しかしながら、コロナ以前の「観光振興」も、全て、順風満帆であったわけではない。今回のコロナ禍によって、状況が止まったからこそ出来ることもあるだろう。

感染症対策を契機に、今一度、地域における「観光振興」の意味を考えて行きたい。

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