現在、某プロジェクトにおいて、支援いただいているハワイ大学疫学専門家「岡田悠偉人」さんより、観光再開への考え方、留意点について提言をいただきました。
観光関係者にとって、とても参考になる提言と思いますので、当サイトを通じて配信させていただきます。
疫学専門家による観光再開への提言
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が世界中で持続的に感染拡大し、社会構造の再編成が迫られる大きな政治・経済問題となっている。
はじめに
自己紹介
筆者は、現在アメリカ合衆国で働く疫学専門家であり、同じように観光地における感染症管理を支援している。20年前にSARSを封じ込めた世界保健機関(WHO)とアメリカ疾病予防管理センター(CDC)、何よりWHO西太平洋地域事務局でリーダーシップを発揮した尾身茂先生(現新型コロナウイルス感染症対策分科会長)に憧れて、疫学者を志して大学院に進学した。アフリカのサバンナを、文字通り、走り回りながら感染症対策に奔走した後にアメリカの疫学界に拾われて、さらに専門的な教育を受けて、これまで実地疫学専門家として70回以上の国際プロジェクトを最前線で担当してきた。感染症対策の予算が削減された6年前、メンター達から次の時代はゲノムやAIを極めなさいとの助言をもらい、現在はがん疫学を研究している。日本の機関に対してもリモートで新型コロナウイルス対策を支援している。
大きな組織の終焉
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)において、疫学は完全に敗北した。完膚なきまでに叩きのめされて、正直、何も言葉が出ない。輝けるWHOやCDC、各国政府などの大きな組織は、現場を混乱させるだけの大きなガラクタとなり、大きな不確実性の中で世界中の疫学専門家が沈黙している。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の拡大を止められなかった、一人の疫学専門家として、心から謝罪申し上げたい。実地疫学者として、どんな議論を並べようが、結果がすべてである。疫学は完全に敗北したのである。感染拡大という意味では。
残された介入
感染拡大は防げなかったが、だが、まだ救える命はあると信じている。特に、感染症から波及する経済活動の低下については、まだしっかりとした介入を行う余地がある。だから、自責の念を示しつつ、今必要な社会処方を、世界の第一線で戦ってきた疫学専門家として共有したい。丁寧な議論を記述したので長い内容になるが、疫学専門家としての専門的な意見であり、観光再開の第一歩になればと願っている。メディアでコメントしている人材とは、疫学と過ごした時間、現場で流した血と汗の量が大きく異なることを明記しておく。
1.総論:コミュニケーションによる観光世論の成熟
5つの感染予防策
新型コロナウイルスに対する感染予防対策は、非常にシンプルである。たった5つしかない。新規感染者数が、100人であろうが、1000人であろうが、10000人であろうが、この5つの感染予防策を実行し、徹底するしかない。
- 手洗いや消毒にて手指衛生を保つ
- 発熱や症状があれば自宅待機や受診をする
- こまめに換気行い、できない場合は空気清浄機や扇風機を設置する
- マスクや布マスクを着用する(2歳未満の小児は窒息の可能性がありマスクを着用させない)
- 2m、最低でも1mの社会的距離を保つ
マクロな議論は空虚である
メディアを賑わせている、政策やPCR検査に関する議論は幻想であり、どんなに高度な議論をしようが、結局、この初歩的な5つの感染予防対策を徹底しない限り、感染はコントロールできない。空虚な議論をするくらいなら、自分のマスクの位置を確認した方がよほど効果的である。何度も書くが、観光再開も含めて、新型コロナウイルス対策は、感染予防対策の5つをどうやって徹底させるのかという具体的な議論に集約される。もちろん、陽気にシャンパンを回し飲みする人たちにも、この感染予防対策を徹底させる方法のことである。
議論より行動を
もう空虚な議論をするのは止めよう。もう大きな組織に頼るのは止めよう。現場を変えるための具体的な行動をしよう。でないと、冬になっても観光は再開されない。5つの対策を行っても発生する感染は、もはや不可抗力である。感染予防対策を徹底したとしても新型コロナウイルスの特性上、完全には防げないし、遅かれ早かれ日本では、毎日数千人の新規感染者が出て安定化する持続的な感染フェーズ(Endemic)に入ると考えられる。経済を再開してもしなくても、観光を再開してもしなくても、一定数の感染は生じるのが、新型コロナウイルスの特性なのである。
何が問題なのか
では、新型コロナウイルス対策は、なぜこんなにも大きな問題となっているのか。問題の本質は何なのか。それは、ミスコミュニケーションである。政府や専門家がウイルスや検査の議論をしすぎて、世間と直接コミュニケーションすることを置き去りにしてきた。世論のマネジメントという感染症対策の、もうひとつの大きな柱を完全に忘れてしまったのである。その不完全な感染症対策、つまりコミュニケーション不足により、経済再開、特に観光産業が一気に批判の的となり、世間からのバックラッシュを受けている。だから、改めて観光における新型コロナウイルス対策を定義したい。
「新型コロナウイルス対策は、ウイルスと世論との戦いである」
もちろん、「戦い」という言葉は強い言葉であり、あまり使いたくない。本来なら世論に寄り添うべきである。ただ「戦い」という言葉以外に、現在の状況を的確に表現する言葉を知らない。戦いを停戦に持ち込み、和解を行い、共に発展していくのが、紛争マネジメントの原則である。
問題の構造化
少し周り道になるが、現在の問題を構造化して、疫学的な視点から論理的な解決策を提示したい。一般的に疾患は、疾患からの直接的影響と、疾患から生じる生活への間接的影響に分類される。興味深いことに、疾患による直接的な影響よりも、間接的な影響の方が、患者に大きなインパクトをもたらす。例えば、右の足を骨折して入院したとしよう。術後で右の足は痛むし、トイレに行くのが大変になるかもしれない。しかし何より、いつ仕事に戻れるのか、家にいる夫または妻はひとりで子供達の面倒をみられるのか、生活の心配が大きく、その問題を解決するために通常コミュニケーションを行う。
解決策としてのコミュニケーション
「(同僚に)入院中もPCで仕事できるから、資料をメールに添付して」
「(実家の母親に)数週間こっちに来て、こどもたちの世話を手伝って」
これが疾患における本質的な問題と解決である。繰り返しになるが、疾患より、疾患から派生する生活の問題(主に仕事や家族)が実際の大きなインパクトであり、その生活の問題を解決するためには、コミュニケーションが第一の解決策、つまり処方となるのである。新型コロナウイルス対策とは、5つの感染予防対策でウイルス対策を行い、コミュニケーションにより世論と対話しながら、コロナから派生する生活の問題を解決することに他ならない。PCR検査の精度を議論するくらいなら、市民とのコミュニケーションを行う方が確実に感染予防につながるし、生活の問題も解決する方向が見えてくる。
観光再開に必要なのは、コミュニケーションである
新型コロナウイルスに対するワクチンも年内に何本か開発される予定であるが、ワクチン供給スケジュールを考えると、少なくともあと1年弱は、この状況が継続する。観光業界は観光再開のために、5つの感染予防対策を徹底するとともに、コミュニケーションも効果的な感染症対策であると定義し、世論と対話していく必要がある。各行政や業界団体、DMOが、どれくらい新型コロナウイルス対策に関して、直接市民とコミュニケーションしただろうか。コミュニケーションに重点を置かない政府や業界団体に対する市民の信頼は低く、またコミュニケーションなしで世論が自然と観光再開に傾くことはない。日本の観光復興のためには、感染予防対策を徹底した上で、世論を成熟させることが必要であり、そのためにはどうやってコミュニケーションをするかを、観光産業全体として議論し実行する必要がある。
2.マクロ:地域で一貫したメッセージを発信する
では、実際にどのようなコミュニケーションが必要なのか、マクロとミクロに層別化して、まずはマクロなコミュニケーション戦略について説明したい。
Go To キャンペーンの必要性
公衆衛生の専門家としてGO TOキャンペーン は必要であり、いかに感染予防対策を徹底した上で観光を再開するかを議論すべきだと考える。観光が動けば、これをテコとして、移動・宿泊・飲食・購買・施設・体験などの他の産業に波及する。健康は、個人的な因子よりも収入や人間関係などの社会的な因子によって影響を受けることは、社会決定因子(Social Determinants of Health)という理論で確立されている。経済的な困窮は、精神的な要素も含む健康に大きな影響を与え、長期的な社会的負担となる。したがって、コロナ対策と同じくらい経済的な介入を行わなければならない。
決定的なミス
では、Go Toキャンペーン は、なぜこんなに炎上し続けているのか?それは、コミュニケーションが不足し、透明性が担保されていないからである。政府や関連機関は、一方的なコミュニケーションのまま、布マスクを配ってみたり、自粛ビデオを公開してみたり、持続型給付金において不透明な委託をしてきた。そして、Go Toキャンペーン も、感染拡大の可能性がある中で、東京を除外した上で前倒しして、この悪い流れを継承してしまった。実地疫学者として正直、これ以上に意味不明なリスクコミュニケーションは思い当たらない。Go Toキャンペーンは、お盆の移動に向けた計画ありきで、裏で不透明な取引があると世間に勘繰られてもしかたない。今では、Go Toキャンペーン と切り離して観光をプロモーションした方が、世間の支持を得られる奇妙な状況である。
感染症時のコミュニケーション
感染管理とはコミュニケーションである。千葉の田舎出身の筆者が、ハーバードやMIT出身者を差し置いて、アメリカで実地疫学者として最前線で重宝されたのも、コミュニケーションに関する姿勢に他ならない。どの地域に行っても、現地の民族衣装を来て、現地の言葉を学び、現地のテレビやラジオ、病院の会議に繰り出して、自分の顔で、自分の言葉で、毎日市民に状況を報告して、協力を仰いだ。要するに「コミュニケーションの頻度」と「透明性」が市民の信頼を作り出し、感染管理も経済再開もスムーズになるのである。毎日、自分の顔で、自分の言葉で説明することがすべてである。
何を言うかより誰が言うか
この原則に従ったのが、医療崩壊時のニューヨーク州のクオモ知事(Andrew Cuomo)である。毎日決まった時間に顔を出して、自分の言葉で感染者数の推移とベッド稼働状況、経済的な再開の対応について語りかけた。どの州でも、州の疫学専門家や観光担当者、教育担当者などは、毎朝インターネットで公開記者会見を行なっている。もちろん、ネットから直接質問もできる。そういう非常時のプロトコールが確立されているからである。コミュニケーションは、単なる情報ではない。Youtubeライブで語りかける言葉は、インターネットの記事とは立体感が異なる。つまり非常事態には、何を言うかよりも、誰が言うかが大事なのである。透明性を持ってオープンなコミュニケーションをしてくれるのは誰なのか?透明性が最も大切なコミュニケーション要素であり、この点において政府も旅行団体も大きく失敗した。感染症拡大時に信頼を失うと影響は長期に渡り、また産業全体が批判のターゲットとなる。ここまでが疫学専門家から見たGo To キャンペーン の失敗である。コンセプトは正しかった。ただし、コミュニケーションがお粗末だった。そこに透明性はなかった。重ねて伝えたい。
「信頼とは透明性である」
ひとつのメッセージ
では、どうしたら良いのか。もちろん、信頼を回復する方法はある。それは、ひとつの明確なメッセージを、様々な人材から繰り返し伝えることである。もちろん、顔を見せて、自分の言葉で話しかけること。知事、市町村長、業界団体、地域の旅行代理店などが、観光再開について、同じひとつのメッセージを繰り返し、記者会見やYoutube、Instagramにて直接、発信することである。異なる人々が同じメッセージを繰り返し、世論とコミュニケーションする基盤を作る。「お互いにしっかりと感染対策をして、観光や移動を再開させていきましょう」「みなさんを受け入れる用意はできました。感染に気をつけて、豊かな時間を共有しましょう。」感染対策に言及して、なおかつ一緒に進めていくニュアンスを出すことが共感を生み出す。感染症拡大時は、待っていて状況が改善することはない。自分からリスクを背負ってメッセージを発生して、他人を巻き込んでリーダーシップを発揮しなければ、未来はない。
旅行しない人への配慮
特に現在の状況では、地域内で意見が対立することが多い。従って、まずは自分の地域に明確なメッセージを伝えることである。地域には高齢者や持病を持った方が暮らしており、感染リスクが高く自主的に自粛しているのに、観光客が外を楽しそうに歩いていたら、誰でも嫌な気持ちになるであろう。同じように、Go Toキャンペーン を利用できるのは、経済的に安定しコロナの影響が少ない世帯である。コロナで大打撃を受けている世帯からすれば、観光を満喫している人に対して、ネット上でも妬みと怒りの感情が生じるはずである。この地域内と地域外の旅行しない層に関して、何かのプログラムを提供しないと、分断が拡大して、さらなるバックラッシュに陥り、冬にも観光が再開されない世論に導かれていく。
旅行に行ってもよい理由
従って、観光再開に対して統一したメッセージを出すと同時に、観光産業が地域内外の旅行しない人に対して、何かの価値を提供しなければならない。観光に行くことで、その地域を支援できるというスキームである。もちろん、観光以外の産業に関する支援である。観光客が宿泊する度に、地元の医療機関に100円が寄付される。観光客がお土産を買うときに、コロナだけど一緒にがんばりましょうというメッセージが入ったポストカードが高齢者に届けられる。旅行に行くことで、社会的に貢献できるというストーリーを提示すると、旅行に関する風当たりは弱まりかもしれない。必要なのは、分断された社会的なつながりを、もう一度、つなぎ直すことである。多層なメッセージにより、旅行に行ってもよい雰囲気を作り出す必要があり、旅行しない人、旅行できない人に対する価値の提供がその鍵となる。
官民連携で観光再開していく
まとめると、観光再開への第一歩は、信頼の回復である。信頼の回復には透明性を伴うコミュニケーションが必要であり、顔と名前を出して、自分の言葉で話しかける必要がある。地域で連携して、観光再開に向けた統一されたメッセージを官民が連携して、繰り返し提示していく。この状況ですべての意見を丸く収めることは不可能であり、どこかで観光再開と腹を括ってリーダーシップを発揮するしかない。感染が拡大したら、また柔軟に戻れば良い。同時に官民で連携して、旅行にいかない層に対して何か支援する姿勢を示さなければならない。社会的な貢献につながるのであれば、旅行しても良いという世論に導けるかもしれない。ここからは、コミュニケーションやストーリーなどの体験価値提供を専門とする、みなさんで出番である。
3.ミクロ:D2Cでスタッフのストーリーを共有する
最後は、ミクロなコミュニケーションについて提示したい。
ファクトとロジックでは足りない
データの専門家として、データの限界を誰よりも理解してきた。科学とデータに疲れて、データで測れないものに価値を感じ、休みの日には山を裸足で走り、滝に打たれながら、ほら貝を吹き鳴らしている。コンサルが大好きなファクトとロジックは、もはや化石である。大きな遺産が残したが、その時代は過ぎ去った。
物語の手触り
世間に、いくら観光産業の規模や減収の割合、雇用を数値で説明しても、何も生み出さないばかりか、補助金に群れている、がめつい産業と思われて逆効果である。だって、それはあなたの物語であって、わたしの物語ではないからだ。一生懸命働いている医療者の子供は、感染の可能性があるからと保育園で差別され、シングルマザーはコロナで仕事が減り、子供に夜ご飯を食べされてから、雨の中、夜勤のパートに歩いていく。この状況で観光はどんな価値を提供できるだろうか?観光産業が今。世間に提示すべきものは数値でなく、ストーリーなのである。
「ファクトとロジックで人は動かない。共感とストーリーで人の心は動く。」
ただし、観光も同じく厳しい状況である。だから、その物語を、そのまま伝えれば良い。スタッフが、議論しながら受付のアルコール消毒薬を設置するところ、悩みながら椅子の配置を変えるところ、みんなで汗を流しながら手作りのアクリル板を組み立てているところ。すべては皆さんを安全に、安心に、受け入れるために。宿泊客がいること、お土産が売れること、今までいろいろなことを当たり前だと思いすぎていた。もう一回原点に帰ろう。誇張したわけでもない、現在進行形の観光における物語である。
旅の景色
この文脈では、あなたの物語は、わたしの物語である。医療者が仕事で疲れた体を休めるために、こどもと温泉に入るかもしれない。浴場に設置されたアルコールで手を消毒してから。シングルマザーが子供にせがまれて新幹線に乗って、おばあちゃんに会いにいくかもしれない。待合室のやたらと離れた椅子に腰かけて、時間を確認しながら。観光とは、個人のストーリーであり、輝きだったはずである。ファクトではなく、手触りであり、ロジックではなく物語であったはずである。もう一度、観光の本質と価値を再確認する時期に来たのかもしれない。
D2C(Direct to Customer)
何も背伸びする必要はない、ブランディングを気にする必要もない。ただ、今観光業界で悩んでいること、対策をしていることをストーリーとして顧客と直接共有することである。現在アパレルで流行っているD2C(直接顧客とつながり商品を説明し共有すること)が答えの一つになるかもしれない。今まで旅行代理店や予約サイトに頼って、どれだけ顧客と直接コミュニケーションする機会を失ってきただろうか。結果だけでなく、プロセスを公開する透明性はあったのか。綺麗に見せようとして、いろいろと隠していなかったのか。D2Cでは逆に、ラフさが勢いとなり、透明性が個性となり、不完全が共感を呼ぶ。直接顧客とコミュニケーションを行い、顧客とともに自分の地域や施設における観光再開の物語を紡ぎ出す。それはコロナ時代だけでなく、長期的に強いコミットメントを生み出し、多くの人が良い時間を過ごし、結果として観光産業も安定的に栄えていく。
ダイレクト・コミュニケーション
顧客と観光再開に関するストーリーを共有しながら、一緒に次の物語を作っていく。そのためには、マクロなコミュニケーションと同時に、ミクロなレベルで直接、顧客とコミュニケーションを取っていく。世論は観光に厳しいかもしれない。だけど、それがすべて個人の意見ではない。ほとんどは観光したくても、雰囲気に圧倒されて観光できない状況であるように見える。自分の強みとは実際、自分の考えている以外のところにあり、他の人がそれとなく教えてくれるものである。ありのままの現状を見せて、自分たちの悩みも公開して、新しい強みを顧客との直接のコミュニケーションで見つけていく。ダイレクトコミュニケーションにより、コロナ渦だけでなく、次の10年に進む方向が明確になるかもしれない。
最後に
公衆衛生学者としての危惧
最後に、観光産業の公衆衛生的な意義を考えたい。公衆衛生(Public Health)とは、よく生きる(Well-being)ことを目的として、医療だけでなく政治や経済、教育、環境など幅広い視点からシステムを改善していく実践的な学問である。疫学は公衆衛生の一部でしかない。社会が不安定な状況では、その歪みは必ず最も弱い層に影響を与える。しかも、自殺や児童虐待などの残酷な形で。現在の日本を見ていると、感染のみに焦点化されたマクロな議論ばかりされており、精神的・社会的な影響を、長期的な語る専門家は少ない。長期の自粛ムードは、大きな精神的な負荷となり、また人間関係などの社会的な資源も枯渇させていく。収入格差も教育格差も広がるばかりである。旅館でのちょっとした立ち話が、うつ傾向にあった人のこころに触れるかもしれない。和室で一緒に雑魚寝することで、家族の成長を思い出し、こどもへの愛情を強めるかもしれない。観光で救える命も必ず存在する。だから、感染予防対策を徹底しながら、よく生きるために社会を、観光を、再開しなければならない。その扉を開くのがみなさんであると強く信じている。
人生における豊かとは
思えば、コロナにより、ひとりの人間として学ぶことが多かった。アフリカや中東、アジアの過酷な場所ばかりで仕事をしてきたが、こんなにも自分の深い部分で価値観を問われた経験はなかった。コロナにより日常生活で購入していた大半のものがガラクタであったことに気付いた。同時に、外出できる幸せや移動できる自由、友人と外食できる時間は、何にも変えがたいことを知った。いかに当たり前に慣れすぎて、感謝を忘れていたか、今更ながら再認識した。自由に移動できること、好きな人に会えること、新たな土地に繰り出して多様性を学ぶこと、これが人生の豊かさであり、インターネットに変えられないリアルな体験価値であると信じたい。コロナでバーチャルが進む中だからこそ、身体性を伴う観光が人生を豊かにし、観光がコロナで疲れた人々を癒し、新しい体験から多様性への創造力を膨らませて、みなが生きやすい社会になることを願っている。
長文に渡り読んで頂き、感謝申し上げます。
ハワイ大学疫学専門家 岡田悠偉人