感染は自己相関する

3回目となる緊急事態宣言が、各地で発出、延長されています。

私の推計では東京都、大阪府は6月上旬に安全域まで収束できる見込みですが、北海道などは、波が遅れてきたために、収束には時間がかかる見込みです。

6月以降は、平均水蒸気圧も上昇するため、自然増は抑えられる見込みですが、昨年、夏がそうであったように、また、この春に大阪府を始め各所で感染が吹き上がったように、社会増はちょっとしたキッカケで生じます。さらに、コロナ禍が始まって1年余り経ったことで、ベースとなる陽性者の絶対数が増えています。

そのため、僅かに感染拡大傾向が拡がるだけで、陽性者数は短期間で大きく増大することになります。

現在(t)の陽性者数Y(t)は、過去(t-n)の陽性者数Y(t-n)に依存するからです。

式に書くとこんな感じになります。
 Y(t)=a(t-n)×Y(t-n)
 ※aは、感染率(何人に感染させるか)を示す

私は、nを2Wをして、2W前比でaを設定しています。
※より厳密に言えば、1Wの移動平均の比

つまり、現在の陽性者数Y(t)は、過去の陽性者数Y(t-n)と、感染率aによって規定されます。

感染は蓄積されていく

感染率aは、気象条件(平均水蒸気圧)と、社会の行動様式(展開されているニューノーマルの水準)で規定されると考えられます。

気象条件については、どこでも平等に影響を受けますが、行動様式については、地域差がかなり出ています。この1年余りの推移をみると、札幌市、大阪府、福岡市、那覇市などは、かなり吹き上がりやすい傾向にあります。

さらに、過去に吹き上がりがあると、市中の陽性者数の絶対数(Y(t-n))が増大することになります。そのため、少しaが増えるだけで、Y(t)がドンと増大します。

例えば、Y(t-2w)が100のところと、10のところがあった場合。aが2.0と吹き上がると、前者の地域は2W後には、一気に200まで上昇しますが、後者の地域では20にとどまります。どちらも、感染拡大という点では事態は同じなのですが、前者のほうが、より深刻な事態として捉えられることになります。

さらに、一度、吹き上がると、陽性者数が従前の水準に戻るまでに1〜2Mという時間を必要とします。

これは、社会が「感染が拡大している。やばい」と認知した時点で、その感染拡大は2Wくらい発生しているからです。そのため、「やばい」と思って、緊急事態宣言などで社会を止めても、その結果が出てくるのは、さらに2W後となります。この2Wの間、aは増大し続けますから、当然、陽性者数も増大を続けます。緊急事態宣言などを受け、社会増にキャップがかけられたとしても、2W前比が1.0以下にまで下がるまで陽性者数は増大を続けます。どこまで2W前比が吹き上がっていたかによりますが、ピークから1.0以下にまで下がるには、さらに2〜3Wかかります。2W前比は1.0以下に下がって、始めて陽性者数が減少していきますが、その時点で1000人水準であれば、仮に0.5まで下がり、それが維持できたとしても4Wで250。100人台まで落とすには、さらに2Wが必要となります。

まとめると、
「やばい」と気がついてから、感染拡大がピークアウトするまで2W。
そこから、2W前比が1.0を割り込むまで2〜3W。
さらに、そこから一定数以下まで陽性者数が低下するには4〜6Wくらい。
合わせると11W、「やばい」となってから、収束するまでには2〜3Mくらいかかるわけです。

蓄積された感染がもたらすもの

つまり、現在の日本社会は、陽性者数が増えやすい環境(特に過去の感染拡大地域)にあり、かつ、一度増えてしまうと、その調整に月単位の時間が必要という、非常に危うい状況にあります。

これを抑えるには、行動様式の水準をより高めることが有効と考えられますが、それは、マンボウや緊急事態宣言クラスの行動抑制を継続的に行うということにも繋がります。

こうした状況は、観光にとっては最悪と言って良いでしょう。端的に言えば、このまま推移すれば、かなりの確率で夏休みが、去年、同様に「自粛」社会となるということです。

現在の感染抑止対策であるマンボウや緊急事態宣言は、社会全体に網をかけ、社会全体の動きを低下させることで感染拡大を防ぐやり方です。現状、「これしかない」とされますが、市中感染といっても、1万人に1人といった水準でしか陽性者はいません。つまり、1人の陽性者からの感染を抑止するために、9999人が我慢している(我慢するよう要請される)というのが、感染症対策です。

しかも、一定期間「我慢」したとしても、ウィルスが消え去ることはなく、どこかしらに潜伏し、しばらく経てば、またジワジワと感染拡大していきます。さらに、前述のように、波が繰り返されるたびに、陽性者数のベースラインがあがり、波と波の間隔が狭まり、医療機関への負荷も大きくなり、社会の閉塞感、ストレスが高まっていきます。

その結果が、「今」であるわけです。

安全に観光を動かすためには

このままで行けば、高い確率で、夏休みも大きな影響を受けることになるでしょう。

この事態を突破していく方法は、おそらく、1つしかありません。

それは、「感染していないと合理的に推測できる人達の移動は、制限しない」ということです。

我々にはPCR検査/抗原検査(以下、PCR検査等)という武器があります。

既に、PCR検査等は、民間ベースにおいて「研究用(=医療用ではない)」として、2000〜3000円程度の費用で実施できるようになっています。検査場所は「都会」に限定はされていますが、郵送での検査も可能となっています。つまり、コロナであるか否かを、検査するハードルは大幅に下がっているのです。

この環境下において、「検査を受けてから、旅行に出かける」ということは、現実的な選択肢となっています。仮に、これが習慣化されれば、感染していない人々を主体に旅行市場が形成されるようになり「旅行が感染を拡大させる!」という懸念に対抗できるようになります。さらに、多くの人が、健康診断前には摂生するように「検査を受ける」ことがわかっていれば、その前から、節制した行動を行うようになるでしょう。

もちろん、懸念材料もあります。

まず、PCR検査等といっても完璧ではないということ。感度(陽性者を陽性者として識別する確率)は70%程度とされているので、3人に1人は見逃すことになります。特に、COVID-19は、潜伏期間があり、その初期段階では陽性確認が更に難しいという問題を抱えています。

2点目は、事前検疫を強制することはできないということです。PCR検査等が安価になったとはいえ、面倒な作業です。性善説だけで対応することは難しいでしょう。

3点目は、陰性確認した人々が「自分は大丈夫」と、自信を持ち、旅行先でルーズな行動をしてしまい、感染拡大リスクを高めてしまう可能性です。

PCR検査等だけでは埋められない、これらの「穴」を塞ぐ方策を並行させる必要があります。

事前検査だけでは不十分

その一つが、「バブル」概念です。

COVID-19は、人と人のコミュニケーションで感染拡大しますが、当然ながら、ウィルスを持っていない人同士が交流しても、感染は拡大しません。そのため、日常的にコミュニケーションを取っている間柄内であれば、感染は拡大しにくい。ので、その範囲内で行動するようにしましょうというのが「バブル」という概念です。

観光に置き換えれば、同居している家族での旅行は、安全だけど、帰省で親族や故郷の友人と合う(VFR)は、リスクが高いということです。

実のところ、これは「外食」でも同様なのですが、旅行とか外食は、一律で良いとか悪いとかを論じる話ではありません。自宅で日常的に食卓を囲んでいる親子が、ファミレスに出かけたとして、そこで親子間で感染するというのは、考えにくいからです。もちろん、店員や隣席の人からの感染リスクはゼロではありませんが、それは、日常生活全般を通じて指摘できることでしょう。

事前検査に先立ち、より安全な行動単位としての「バブル」概念を広め、それに基づいた推奨/非推奨を伝える、発信することが必要と考えます。

その上で、事前検査を、有効に機能させる仕組みの提示。単に、「旅行前の検査に協力ください」では、当然、対応しない人々が多くでてきてしまいます。これでは実効性を失いますし、なにより、協力しているくれる人、地元の住民から、事前検査という対応そのものに対する信頼を失わせることになります。

実際、すでにANA/JALでは安価にPCR検査できるサービスを走らせていますが、ほとんどの人は知りませんし、それを求めている地域も(私が知る限り)ありません。

よって、この事前検査「要請」を行う場合には、単に「お願い」するのではなく、実効性を担保する施策を走らせる必要があります。私は、当初、「検査済みの人は、現地で特典を受けられる」ということでいけるのではないかと思いましたが、それでは難しいかも…と思い始めています。既に検査を受けている人は、訪問先への思いがあって受けているものであり、旅行先にあからさまに特典をもらおうとはしないだろうと思えますし、その人達にとっての脅威は、おそらく、旅行先へのリスペクトを持たないルーズな他の旅行者だろうと思えるからです。もちろん、特典はあって良いと思いますが、そういう十分条件的なものだけでなく、事前検査しないと不利益となるといった必要条件的なものも設定することが必要でしょう。

これは、現状の法制度下では、とても難しいのですが、私は、1年前に投稿した以下の取組を、今こそ実施し、必要であれば、宿泊施設の判断によって、事前検査の状況を元に宿泊拒否できるようにすることが求められていると考えています。

様々な事情がありますから、一律で、入域拒否、宿泊拒否をする…というのは、さすがに乱暴だとしても、個々の施設において「客を選べる」ようにすることは、顧客に対するメッセージとしても有効であり、より安全な顧客の獲得につながっていくことが期待できます。

最後に、施設側における外形的なニューノーマル対応の徹底。ディスタンシング、換気性能などは、数値として物理的に測定できるものです。既に「ちゃんとした」施設では、徹底されているこれらの対応ですが、現状は、そうした施設も、そうでない施設もひとまとめに飲食施設、商業施設とくくられています。これでは、「やらない」施設の方が、有利となってしまいます。

「やらない」施設には、それをリスクと感じない顧客が集中することになりますから、リスクは二重三重に高まることになります。

これを防ぐには、個店レベルで、しっかりと感染症対策の取り組みを確認し、それに基づいて営業制限を含む判断をしていくことでしょう。いわゆる「山梨モデル」は、その一つですが、民間事業者側から、こうした制度の創設と展開について声をあげていくことが重要な局面に至っているのではないでしょうか。

「元」には戻らない

私は、昨年4月末の時点で、以下の投稿をしています。

実は、今回の投稿の内容は、この1年前の投稿内容とほぼ変わりません。PCR検査等が身近になったということを利用しようというだけです。

ウィルスの撲滅が難しいことは、以前より見えており、人の移動がやり玉にあがることもわかっていました。が、これに対し、この1年余、観光の供給サイドでは、積極的な安全確保策メッセージは出せずにきています。

その結果、観光が感染を拡大させたエビデンスは無いにも関わらず、観光が元凶であるかのように論じられ、GoToトラベルも休止となりました。その後、その矛先は、飲食店、イベント、商業施設へと向かっています。

敢えて、乱をおこさず、首をすくめて嵐が過ぎ去るのを待つのも、一つの選択ではあるでしょう。

ただ、そうやってコロナ禍を切り抜けたとしても、観光は「元」には戻りません。

なぜなら、我々が毎年、歳をとっていくように、コロナ禍の間にも、市場の変化は連続的に起きているからです。むしろ、従来からの惰性が無くなる分、変化は早いと考えるべきでしょう。そのため、量的な側面だけでいえば、2~3年が経てば、2019年状態に戻ってくるかもしれませんが、その中身は変わっており、新しい市場環境となっています。

コロナ禍に依って、その変化が見えにくくなっているだけであり、着実に、環境は変化しています。

それが、ポスト・コロナです。

市場の変化を展望し、ポスト・コロナの環境に適応していかなければ、コロナ禍が収まったとしても、ポジションを得ることは出来ないのです。

コロナ禍にあっても、ポスト・コロナを展望し、市場から支持を得るように動いていくことが必要だと言うことです。

事前検査をお願いし、より安全な観光地を目指すという目標を、地域・施設・顧客で共有することは、ポスト・コロナに向けての第一歩となるでしょう。

この夏休みの集客を、できるだけ確実に展開するということは、ポスト・コロナに向けた基盤を作ることになると考えていきたいところです。

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