ある「高級ホテル」での出来事

コロナ禍も第7波を迎えようとしていますが、世間は比較的冷静のように感じます。

とはいえ、GoToトラベルの再開は見通せず、インバウンドについても強い制限がかかったままです。我が国の観光地、観光産業(ホスピタリティ産業)は、片足を縛られた状況で、夏休み、バケーションシーズンへと突入していくことになります。

こうした状況において、各地域、各施設はともかく集客に注力することになります。これまでのマイナスを取り返すには、多くのお客様に来訪頂き、消費してもらうことが、何より重要となるからです。

これは、当然の取り組みではあるのですが、中長期的な時間軸では注意が必要な部分も出てきます。

先日、あるホテルを利用しました。そのホテルは、いわゆる外資系のバッチを付けており、高級ホテルと位置づけられています。新設ではなく、リノベーションであるため設備には古いところがありますが、その「格」にふさわしい設えを持った施設でした。

その地域においてはオフシーズンだったのですが、その現場は、かなりの混乱状態にありました。

その理由は、県民割を利用し、かなり安価な宿泊プランを展開していたためです。しかも、その宿泊プランには「カニの食べ放題」までついている。それによって、多くの宿泊客が押し寄せる事となったのです。

実質、数千円で高級ホテルに泊まれ、かつ、カニまでついてくる…となれば、そそられる人々は多いでしょう。ホテルは、県民割の分が補填されるわけで、オフシーズンの収益確保というマーケティング視点で見れば成功した取り組みと言えます。

ロイヤルティ確保には繋がらない

しかしながら、その日、そこに訪れた人々の多くは、そのホテルを「高級ホテル」とは感じなかったでしょうし、そのホテルが提供するとしている「宿泊経験」を感じる人も、ほとんど居なかったでしょう。

ホテルやレストランといった施設は、建物や設備などのハードウェアや、スタッフ対応だけで「経験」が成立するのではなく、顧客との相互作用によって作り上げられるからです。これは、高級フレンチ店に、テーブルマナーを知らず騒ぐような顧客が混じっていたら、他の顧客は、その店を十分に楽しむことはできないであろうということを考えれば、わかるでしょう。

結果、県民割を利用した地元客からは「安いホテル」と認知されたでしょうし、県民割を利用せずに正規料金で宿泊した人々には「期待を裏切るホテル」と認知されることになったでしょう。

これは、ブランディングから見ると大きな問題となります。

ブランド毀損が起こす問題

厳しい市場環境において、価格を下げ、マーケットのサイズを拡げることはマーケティング的には、正しい選択です。しかしながら、訪れた顧客に、伝えるべき経験を伝えることができなければ、顧客の心の中に望まないイメージを作り出してしまうことになります。ブランディングとは、顧客に自身を強く認知してもらうための取り組みですが、一度、マイナス方向に作られたイメージを是正することは難しいという側面があります。

これは、「損失回避の法則」「プロスペクト理論」と呼ばれる心理構造に起因します。人は、得をすることよりも、損をすることを避けようとする心理が強く働きます。期待値に対する下振れリスクを強く意識するということです。そのため、一度、マイナス・イメージが形成されてしまうと、そこに肯定的な期待を乗せることはせず、むしろ、価格コンシャスに振れることになります。「がっかり」するとしても、支出が抑えられていれば、心理的に納得できるからです。

そのため、マイナス・イメージを持たれたモノやサービスは、よほど価格が下げられない限り、再購買とはなりません。再購買しないということは、再度の経験が無いということですから、イメージが変容することもありません。

結果、低価格路線を維持し、低空飛行を続けるしか選択肢が無くなってしまいます。

市場縮小期に起きたこと

2000年代、国内市場がどんどん縮小していた時代、多くの宿泊施設が経営危機となり、銀行管理が入り、コストカット、合理化、場合によって破綻したり売却されたりすることになりました。この流れの中で、それまで地域の顔、中心となっていた施設が無くなったり、他の名前に変わったりということが起き、観光地の雰囲気、イメージは大きく変わりました。

例えば、熱海や伊東を代表する宿泊施設は?と聞かれても、答えようが無い状態です。その他、少なくない地域において、一番館、グランドホテルに相当する施設が「一泊二食で8000円」みたいな施設(オペレーター)に切り替わってしまいました。

その結果、客筋は大きく変わりました。余暇に対して、より多くの支出が可能な人々は、(隠れ家と呼ばれるような)新興のアッパー施設に移ったり、海外へと流出し、価格コンシャスな人々に市場の中心が移っていきました。

2010年代、国内需要が下げ止まり、インバウンド需要が上乗せされることで、業界全体を覆っていた経営的な厳しさは解消されていきましたが、従来施設の多くは、あまり価格を上げては来ませんでした。デフレが続いていたということもありますが、もはや価格しか選択可能な競争戦略が残っていなかったということでもあるでしょう。

日本の観光に「マーケティング」という概念が入ってきたのは、2000年代後半、実際には2010年代になってから。2000年代に旅行流通が、それまでの旅行会社主体からOTA主体へと切り替わっていくタイミングと重なり、自力での集客が必要となったことが、マーケティングへの意識を高めたと言えます。

が、マーケティングの実践にはデータ取得、データを解析できる技術、社会環境を洞察する知識、それらを総合的に判断する論理的思考、戦略的発想などなど様々なパーツが必要ですから、「やろう」と思っても、すぐに出来るわけではありません。結果、マーケティング、競争戦略と言いつつ、実際には差別化や集中化戦略を取れるわけでもなく、価格戦略に過度に入り込むことになったわけです。

世界ではブランディングにシフト

更に、厳しいのは、日本の観光分野がようやく「マーケティング」に取り組み始めた頃、既に米国では「ブランディング」に注力が移っていたということにあります。DMOは、マーケティング/マネジメント組織とされますが、2010年頃にはすでに「ブランディングを行う組織」という認知が広がっていました。この背景には、サービス・マネジメントの進化がありますが、要は、市場が飽和している状況においては、新規顧客の獲得よりも、顧客との持続的な関係性を構築することが重要であるという認識の変化があります。

マーケティングとブランディング

サービス経済社会におけるブランディングとは、顧客の経験を通じて、自社(地域)に特別な思いをもってもらうこと(その思いをエンジンに顧客の維持と拡大を図る)です。成果が出るまでは時間がかかりますが、勢いが付き始めると指数的に拡大します。評判が評判を呼んでいくからです。

対して、価格戦略は、瞬間的な価格の安さで需要を寄せる取り組みです。もともと、旅行需要は有限です。特定の週末、連休といった時間軸で切れば、さらに需要量は限定的になります。その限られた需要を、「価格」によって瞬発的に呼び寄せるのが価格戦略。瞬発性はありますが、価格で寄せられた人々に思い入れはほぼ無いので、持続はしません。少し時間が経てば、利用施設の名前すら忘れていても不思議じゃないでしょう。

このようにブランディングと価格戦略は、対局の関係にあります。

本来の「マーケティング」は、ブランディング要素を含むものであり、両者は渾然一体です。

が、日本の場合、マーケティングー>価格戦略となりやすく、結果、ブランディングとは排他関係となりやすいのが実情です。冒頭で述べたホテルの例は、まさしく、その好例です。この構造が、日本のホスピタリティ産業の付加価値を上がらない理由と言えるでしょう。

経験費用についての意識

ただ、ここで一つの疑問も生じます。本来、ブランディングに厳しい外資系でありながら、なぜ、そういう選択をしたのかということです。

おそらくは、コロナ禍での疲弊状態において、背に腹は代えられないということなのだと思いますが、ローカル市場に対しては、ブランディングでは対抗できないという判断もあるのかもしれません。もっと言えば、ブランディングで動いてくれるセグメントは、日本では、とても小さいものであり、それでは箱を稼働させることができないのかもしれません。

もともと、日本社会はモノへの意識は強いですが、サービスの経済価値についての関心は低い傾向にあります。サービス提供にも原価があり、無料で創造されているものではないのに、きめ細かいサービスを対価無しに得ようという意識が強いように感じます。

先のホテルも、高級ホテルでの宿泊経験というサービス価値ではなく、「カニ」というモノを示さないと、市場からは評価をしてもらえないという判断があったのかもしれません。

仮にそういう判断があるのだとしたら…なかなかの絶望感です。

我が国は、マーケティング≒価格戦略である…という構造から抜け出して行けるのでしょうか。

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