前回の投稿において、サスティナブル・ツーリズムが、1990年代にマス・ツーリズム対抗の概念として出てきたことを整理しました。
約30年を経て、サスティナブル・ツーリズムが再び、表舞台に出てきているわけですが、これには以下のような大きく3つの変化があると思っています。
- コロナ禍によって、観光と地域(コミュニティ)との関係について再考する時間が訪れた
- 消費者の環境に対する意識が変化してきた
- 投資においても、環境に対する意識が変化してきた
まず、1点目は、コロナ禍前の過熱気味(オーバー・ツーリズム)な状況から、一転して、観光客がウィルスを媒介する存在とされてしまったことで、各地で大きな混乱が起きました。観光に関連性の薄い人から見れば「自由な観光交流」は、地域に対する脅威と見えるし、観光事業を営む人から見れば、生活の糧を失うことを意味しました。各国はロックダウンを含めた感染症対策を行いながら、様々な支援措置で経営や就労、生活を支えましたが、観光交流によって動いていた資金や労働のリングは崩れ、経済システムも大きく傷つくことになりました。
こうした状況の中で、果たして、従前と同じように観光を再起動してい良いのか。反省すべき点はなかったのかという議論が地域において生じることは当然の帰結でしょう。
観光サイドとして、コミュニティの支持を得ていくには、コミュニティが抱く不安や不信に寄り添い、よりスマートな形での観光再起動が必要となってきていると考えられます。
2点目は、デジタル・ネイティブとなるミレニアム、Z世代が社会の中心になってきているということ。彼らは、ネットによって世界中の情報と繋がっており、環境問題もより「自分事」として捉える傾向にあります。フェアトレードのような概念が広まってきたのも、その一つの現われでしょう。ネットによって、物事、社会の裏側まで認知できるようになった彼らは、表面的な効用だけでなく、その商品やサービスが生み出されている背景まで含めて「気持ちよく」消費したいと考えるようになっています。
そうした機運を後押ししているのがSDGs。実際に、SDGsが何を示したものなのかを認識しているか否かに関わらず、多面的な要素に渡って「持続可能性」を高めていくことが重要だという雰囲気を高める効果を持っています。
さらに、欧州では氷河の後退という形で、地球温暖化は「見える」存在となっており、その危機感は高まっています。自身の行動に責任を持つことは、感度の高い人々にとって重要な取り組みとなっています。
特に、こういう傾向は、高学歴(≒たいてい高収入)であり、これは(サスティナブル・ツーリズムの初期整理で提唱された)アロ・セントリックな人々と重なる事になります。
つまり、より活動的な市場セグメントを得ようと思えば、彼らが「気持ちよく消費したい」と考える価値観に寄り添う必要があり、それが、環境問題を主体とする「サスティナブル」な取り組みとなっていくということです。
3点目は、2点目とも重なりますが、消費者の意識がそのように変わっていくと、投資の世界も変わっていきます。単純に「儲ければ良い」という投資ファンドも多くありますが、安定的な運用や経営を目指すファンド、企業では、社会的な支持も重要となるからです。先日、石炭火力発電への投資を行っている企業などに環境団体から非難が寄せられました。現時点では、これらの非難は、大きなウネリとまではなっていませんが、将来的には、環境に対する配慮が乏しいファンドや企業は、不買運動などの対象にすればなりかねません。
実際、ESG投資(Environment/Society/Governance)という言葉も出てくるようになっています。今後、ESG対応している方が、資金調達面で有利になることは、ほぼ既定路線でしょう。
こうした3つの変化を考えると、ポストコロナでの観光再起動において、サスティナブル・ツーリズムを選ぶというのは、かなり合理的な選択だと思います。
意味合いの変化
こうした状況を整理するとサスティナブル・ツーリズムの位置づけが、1990年代はじめに定義づけされたものとは大きく変わってきていることがわかります。
サスティナブル・ツーリズムは、本来、マス・ツーリズムに対するアンチテーゼであり、既存の観光地ではない新興地域での概念でした。
しかしながら、今日のサスティナブル・ツーリズムは、むしろ、既存の観光地が社会的責任を果たすものと捉えられている、というか、既存の観光地が自身の今後の方向性として積極的に、このワードを使うようになっています。現在のサスティナビリティ・ツーリズムは、マス・ツーリズムと対を成す概念ではなく、マス・ツーリズムをもドライブさせる哲学となってきています。
その理由は、前述したように、観光が置かれている環境が大きく変化したことがありますし、社会で使われる「サスティナビリティ」ワードが、SDGs的な用法に転化したことも影響しているでしょう。
観光に限定されず、社会全体が自然環境やコミュニティ、文化について配慮することが一つの行動規範として求められるようになったということでもあります。ESG投資なんかは、まさしく、その軸線上にあります。
従来のマス・ツーリズム対抗としてのサスティナビリティ・ツーリズムから、SDGs的概念を取り込み、好むと好まざるとにかかわらず展開が求められるサスティナビリティ・ツーリズム2.0とでも呼ぶべきものへと転化しているわけです。
ブランディング的な意味合い
SDGs的なサスティナビリティへの対応は、いずれ、ほとんどの観光地や事業者が配慮すべき要件となっていくでしょう。
ただ、サスティナブル・ツーリズム2.0への対応は、そうした「必要だから」に留まるものでは無いと考えています。
それは、ブランディング的な意味合いです。
日本最大、世界でも有数のトヨタ自動車は、脱炭素に消極的な企業というイメージが付きつつあります。実際には、プリウスを始めとしたハイブリッドシステムを全面的に採用しており、驚異的な低燃費を実現しており、脱炭素に向けた具体的なソリューションを提供しているにも関わらずです。
これは、BEVに対する姿勢の見せ方において、欧州メーカーに劣後したことが原因でしょう。今後、トヨタもBEVを展開してくるでしょうが、一度ついたイメージを挽回することは、なかなか難しいでしょう。事実よりも印象が左右するのがイメージであり、ブランドであるからです。
そうした前例を考えれば、サスティナビリティ・ツーリズム2.0は、敢えて、早く、かつ、大げさに始めることが有効となります。そうすることで、サスティナビリティに取り組んでいる地域というイメージを広めることができるからです。
あるキーワードから想起する商品やサービスを、ブランド想起と呼ばれますが、紐付けられる先は3つ程度しか無いとされます。その3つに入らなければ、顧客に商品やサービスをキーワードとつなげて覚えてもらうこと(連想してもらうこと)が出来ないわけです。
もう一つ。サスティナビリティに積極的に取り組んでいるというイメージが打ち込めると、それに反応する顧客が集まってきてくれるという効果が期待できるようになります。
マーケティングというのは、事業者が商品やサービスをターゲットに合わせ調整し振り向かせるものですが、ブランディングは、商品やサービスの個性を際立たせることで、それに反応する顧客が寄ってくるという効果があるからです。
サスティナビリティに関しても同様です。サスティナビリティに積極的に取り組んでいるというイメージをもった地域になると、当然、顧客もサスティナビリティに関心がある人々となります。観光活動は顧客と事業者・地域との相互作用ですから、顧客の意識が高ければ、それだけサスティナビリティを展開しやすくなります。
逆に、イメージを打ち込めていない地域には、サスティナビリティに関心がない、または、それを疎ましく思う人々が集まることになります。それは、必要以上にサスティナビリティの取り組みの難易度を上げることになります。
例えば、SDGsといえば北欧が有名です。一方で、スペインやイタリアは、SDGsの取り組みは相対的に遅れています。こういう状況において北欧に出かける人々は、環境などへの負荷を下げる行動を取れる人々となるでしょうし、どんちゃん騒ぎしたい人はスペイン、イタリアに向かうでしょう。
レスポンシブル・ツーリズムとの接続
そう考えれば、サスティナブル・ツーリズム2.0に取り組んでいることを「声高に叫ぶ」ことが、自律的な顧客を呼び込むレスポンシブル・ツーリズムに繋がるということになります。
好例は、ハワイでしょう。ハワイは、ダイヤモンド・ヘッドやハナウマ湾を事前予約制にし、料金も大きく上げました。これを「えー、ひどい」と思う人と「よくやった」と思う人に市場は分かれることになりますが、後者の人々は、自身が「気持ちよく」消費するために、一定の負荷を負うことを許容できる人達、すなわち、「レスポンシブル」な人々となります。
また、スイスやオーストリアの一部リゾートも、大きくSDGs系に振った取り組みを展開してきています。そのコストは、宿泊税などで賄われており、旅行者も負担している事になります。それでも、人々は、その環境を楽しみに来訪している。これも「レスポンシブル」の一つでしょう。
社会正義的なサスティナブル・ツーリズムではなく、ブランディングとして活用し、もって、地域のサスティナビリティを高めていくための手段としてのサスティナブル・ツーリズムを考えていくことも重要なのではないでしょうか。