先日、知人のFBにおいて多くのレスがついた投稿があった。
端的に言えば、以下のような論点。
- インバウンド客が増えている日本というのは、海外の資本から見ても魅力的。
- だが、そうした資本が投資をしようと思っても、その事業を回してくれる日本人スタッフを確保できない。
- それは、ホテルなどの事業経営の基本形を英語で理解し、運用できる人材が乏しいからだ。
- そのため、投資自体を躊躇するか、他国から人材を連れてくるかといった対応となる。
- 日本にとって、せっかくのチャンスであるにも関わらず、また、日本人であれば、そう難しいはずもないのに、なぜ、人材育成が進まないのか。
これについて、色々な議論が交わされたが、その中で散見されたのは、観光は地域密着なのだから、必ずしも英語で流通している知見を理解し、国際標準で進める必要はないという意見である。
実は、こういう国内と海外とのギャップは、私、個人も15年くらい前から指摘している話であるが、遅々として変わらない状況にある。
その原因は、観光(研究)と、ホスピタリティ・マネジメント(研究)とが峻別されていないところにあると考えている。
「ホスピタリティ産業と観光産業の違い」でも整理したように、観光とホスピタリティは、重なる部分は多いが、別物である。すなわち、観光は人の移動に焦点を当てるが、ホスピタリティでは自由時間(余暇時間)の使い方に焦点を当てる。
「人の移動」というのは、「そもそも、人はなぜ旅行するのか」というように、その対象は社会的、文化的な側面が広がることになる。これはこれで、幅広く、奥深い世界である。これが「観光」を対象とした研究となる。
対して、ホスピタリティというのは、宿泊とか飲食と言うように、具体的に顕在化している行動を対象としたものであり、これにマネジメントがつくことで、自由時間に対してサービス提供をする事業を、どのように経営するのかと言うことになる。これがホスピタリティ・マネジメントの研究である。
なお、ホスピタリティを「おもてなし」と訳し、ホスピタリティ・マネジメントを「接遇管理」と考えている人もいるが、それは、全く、異なる解釈、理解である。
モータリゼーションで例えてみると
両者の関係を、20世紀に生じた「モータリゼーション」を使って整理してみよう。現在の世界的な旅客増、国際観光の進展はモータリゼーションと類似点が多いからである。
モータリゼーションは、自動車の普及によって生じた社会構造の変化である。
例えば、高速道路が作られたり、大型ショッピングセンターが作られることで町の形が変わり、貨物列車からトラックへと輸送が変わることで物流の流れも変化した。また、安全対策として歩道の整備や、交通ルールの策定、教育といった取り組みも必要となり、さらには、環境対策として排ガス規制なども行われていくことになる。そして、これらの変化に伴い、自動車メーカーやディーラー、整備工場、ガソリンスタンド、さらには、スキーキャリアやカーナビといった自動車用品、保険、教習所といった各種の「新規事業」が生まれることになる。
こうした一連の社会経済の変化に対するアプローチは大きく2つある。
1つは、社会学的な視点で捉え「人が自動車というモビリティを得たことによって、どういった行動をとり、社会が変わっていくのか」ということを考えるというもの。
もう1つは、経営学的な視点から、「モータリゼーションによって、新たに生まれた事業のあり方」を考えるものである。
観光研究は、前者のアプローチであるし、ホスピタリティ・マネジメント研究は後者のアプローチとなる。
こうした対比をさせればわかるように、どちらも重要なアプローチであり、排他的な関係ではない。
ただ、ここで留意すべきは、前者、すなわち、人の移動は、地域の社会や文化との関係性が強いが、後者、すなわち、宿泊や飲食といった事業については、普遍性が非常に高いと言うことである。
モータリゼーションは、その進展のタイミングや変化内容は国によっても違う(例:日本にはアウトバーンは無い)が、走る車は、全世界で基本的に同じだということを考えれば、理解しやすいだろう。
実際、我々が海外旅行にいく際、その行き先によって目的は様々であっても、ホテルやレストランなどに求めるものは、さほど変わることはない。
インターネットの普及と知識経済
ここにインターネットの普及が拍車をかける。
インターネットの普及は多くの変化をもたらしているが、その一つに知財の重要性が増し、知識経済化を促進したということがある。物理的な「モノ」の性能ではなく、デザインやソフトウェアが価値を生み出す世界に転化したということである。
インターネット上で、膨大な情報がやりとりされ、そこから様々な知見が創造され、有為な知見は、世界中で共有され、それをベースにさらなる知見が生み出せされていく時代へと突入したわけだ。
これによって、ホスピタリティ・マネジメントの分野でも、特に普遍性の高いホテルの経営学は、飛躍的に進歩するようになる。
「観光」はともかく、「ホスピタリティ・マネジメント」の分野においては、日々、膨大に積み上がっていく普遍的な知見にキャッチアップできないと、事業上の競争力を維持することができない構造となっている。
これはモータリゼーションと国際化の結果、自動車メーカーが、事実上、アメリカ、フランス、日本、中国の4カ国のみしか生き残っていないことからも想像がつくだろう。
これに合わせ、北米では、ホスピタリティ・マネジメント学部の強化が進む。また、日本を除く東アジアでも観光学部のホスピタリティ・マネジメント学部への転換が進むことになる。学生の就職ということを考えれば、観光を社会学的に捉えるよりも、経営学的に捉えた方が、より直接的に雇用に繋がっていくからだ。
英語で国際的な知見にアプローチ
で、日本は残念ながら、ホスピタリティ・マネジメント分野に出遅れた状態にある。国際的には90年代の後半から、サービス経済分野が大きく発展し、各種の事業形態も大きく変化したが、日本はデフレ経済とぶつかり、また、バブル期のリゾートブームに対するトラウマもあり、事業転換が進まなかったためである。
さらに、海外で流通している知見は、ほとんどが英語で整理されているため、ネットがあったとしても、日本語だけでは、その存在すら認知ができない。
結果、普遍性の高い分野であるホスピタリティ・マネジメント分野の人材が決定的に不足しているという前述の話になるのである。
モータリゼーションを事例に整理したように、本来、社会学的なアプローチも、経営学的なアプローチも、どちらも有意義であり、かつ、排他的な関係にはない。一つの事業を、どの視座で捉えるのかという違いでしかない。
ただ、付加価値を生み出すのは社会ではなく、個々の事業である。その事業に対する知見を持った人材が不足し、資本の呼び込みにおいてハードルとなっていることを考えれば、経済政策としては、国際的に「英語で」流通している知見にアプローチし、それを取り込み、実践できる人材を育てていくことが重要だろう。
人を育てるには10年はかかることを考えれば、この出遅れは深刻だが、「今日が一番、若い」という永六輔の名言に従い、できることを進めていきたいところである。
海外と日本で それぞれ10年以上ホスピタリティ投資と経営をしてきた自分がずっと感じている違和感の正体が、おかげさまでクリアになりました。
観光研究とホスピタリティ研究を明確に区別して取扱うこと。その上で個別性の強い「観光」という素材を、普遍性の強いホスピタリティ研究/経営で美味しい料理に仕立てることが必要だと感じました。
コメントありがとうございます。
参考になり、幸いです。
観光経営という言葉があるから分かりにくくなるのではないでしょうか?
社会学的なアプローチに加えて行政学的な側面も多い【観光研究】と世界を相手にガチンコで戦うグローバルな【ホスピタリティ(ビジネス)マネジメント】をきちんと区別しつつも対峙はさせず、個々人が自らの仕事の内容によってどうバランスを取るかが鍵でしょうね。
さすがの指摘ですね。
さらに、面倒というか事態を複雑にしているのは、デスティネーション・マーケティングの存在。これは観光地を対象としていて、一見、観光研究の分野なのですが、実際の内容、研究体型はホスピタリティ・マネジメントに近い。
「世界を相手にガチンコで戦う」という目的も同様。
他方、マーケティングと対をなすデスティネーション・マネジメントは、対象とする概念が幅広く観光研究そのものであることも多い。で、マネジメントを経営と訳してしまうと、観光地経営となってしまう。マネジメントを「管理」と訳せば、大きな違和感は無いのですが。
ご指摘のように、対峙させるのではなく、バランスを取ることが重要だと思っています。