大阪万博2025の開催の決定を受け、祝賀的な話だけでなく、否定的に捉える論調も少なくからず出ています。

オリンピックの時もそうでしたが、今後、こういう指摘は増えるでしょう。
メディアというのは、ある種、バランスを取ろうと動きますし、物事というのは、多面性を持っていて、視座(立場)によって見え方は変わってくるので。

実際、観光分野だけで言っても、オリンピックや万博に、「単体」に観光客の増大があるのかと言えば、極めて限定的。ので、この指摘も別に間違っていない。
私も、仮に「万博だけで訪日客が増えますか?」と聞かれたら、「期間中は増えるでしょうね」と答えるでしょう。

ただ、経済全体を俯瞰すると、話が変わってきます。

実態の経済というのは、皆が今はチャンスだと思えば、投資が進み、経済が動きますが、他方、もうだめだ、先がない、逃げ切ろうと思えば緊縮して防衛に走ることになりますが、得てして、こういう判断は科学的な理屈ではなく、主観的な判断で行われているのが実情だからです。

例えば「オリンピックが来るから、東京の不動産価格が上がる」ってのは、普通に考えたらおかしいわけです。いくらオリンピックが国際的なものだとしても、数日間のイベントのために何十億の投資をする人はいません。
でも、実態は、そう動いている。
東京オリンピック2020の開催が決まったのは2013年の9月ですが、ものの見事に、そのタイミングでリーマンショックを脱していきます。

この地価上昇が、オリンピックだけが理由とは言いませんが、オリンピックの開催を、リーマンショック以降の閉塞的な状態から、前向きな経済状況に変わっていく「きっかけ」だと捉えた人が(少なくても投資家レベルにおいて)多かったということでしょう。

その後、急増するインバウンドは東アジアの経済成長によるものですが、それを(特に東京において)受け止めることができた(=ホテルの客室数を用意できた)のは、オリンピックを理由に多くのホテル整備プロジェクトが動いたためです。2016年くらいには、ホテル不足が叫ばれていましたから、プロジェクトが動いていなければ、受け入れ容量の関係でインバウンド客数は頭を抑えられていたかもしれません(ホテル系のプロジェクトは数年単位の時間が必要)。

余談ですが、大阪は、こうした動きが東京より数年遅れたために、宿泊施設の稼働率が限界を突破。当時、グレーゾーンだった民泊が急増することになります。

この種の大型イベントは、単体での収支を求めるものではなく、ポジティブな雰囲気をどれだけ作っていけるのかということが重要だということです。

前述のコラムのように「海外では万博には注目していない」という指摘も多く出ますが、日本は稟議制(ボトムアップ型)の意思決定であり、金融も依然として銀行融資(特に中小企業)や持ち合いが大きいということを認識しておくべきでしょう。
つまり、プロジェクトを立案する人と、裁可する人が別れています。立案者は、当然、状況を十分に把握して判断しますが、大抵、裁可する人(プロジェクトにGoを出す人)は、そこまでの情報を持たずに、判断することになります。
そういう状況で立案を通すには「わかりやすい」理由があることが重要となります。
そこにオリンピックや万博は効くということです。

おそらく関西圏では、これまで判断が保留されていたプロジェクトの多くにGoが出されることになるでしょう。

これは、合理性から言えば、おかしな話ではありますが、権限や責任、報酬を分散させた日本の分業型社会システムならではの構造であり一概に否定されるものでもないと思っています。対局は、某自動車メーカーのCEOのように強大な権限と責任、そして報酬をを特定の個人に集中させる構造なので。

万博といった集客イベントを通じで、地域開発を行うというのは、かなり使い古された手法であり、社会経済環境が変化した現代において「オワコン」なのではないかという指摘は、その通りだと思います。

しかしながら、経済全体に視野を広げれれば、大阪万博単体のプロジェクトが成功するか否かという話と、関西圏がどうなっていくのかというのは、一定の相関はあっても、一体ではないということがわかります。

オワコンである万博であっても、この開催を「方便」としつつ、どこまでポジティブな「雰囲気」を作っていけるのか。その雰囲気の中で、いかにしたたかに「稼ぐ(=労働生産性を高める)」仕組みを作っていけるのか。2025年までの7年間は、そういうことにチャレンジしていく期間だと思っています。

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