Discussion of Destination Branding.

消費の背景にある動機

薄れた「階層的な」消費行動

「いつかはクラウン」

この、一世を風靡した名キャッチフレーズが使われたのは7台目クラウン(1983)

カローラから始まり、コロナを経てクラウンへというわかりやすい流れは、先日の「経産省若手レポート」でいうところの「昭和の人生すごろく」そのものだったのかもしれない。

一方、90年代後半以降、国内においては、こうした「階層的」な消費形態は敬遠されるようになり、個人の自主性が重要だという考え方が主流となってきている。実際、クラウンは「ピンクのクラウン」を出すくらい全く異なる商品ポジションに飛んで行ったし、シャネラーヴィトラーなどブランド信仰の高い人を揶揄するようになっている。

バブル期に対するアレルギーのためか、高級・豪華なモノやサービスについては「バブリー」というネガティブな評価がつくことも多い。

「ブランド」に振り回されるのは、賢い消費行動とは言えないので、消費者が自らの価値観で選択していくという事は有意義だろう。
ただ、人によって選択はそれぞれなので、自分の価値観と合わないからと言って「バブリーだ」とか「もう、そういう時代じゃない」と思考停止してしまうことも、また、同時に不適切である。

特に、マーケティングを行う人間は、自身の価値観に関わらず、他者である顧客の価値観を理解する努力をすべきである。

例えば、自動車は、クラウンどころか市場そのものが縮小しているが、国内における外車の販売台数は増加傾向にある。また、鞄やバックの市場規模も低下しているが、個人向け高級品市場は堅調である。

更に言えば、国際的には自動車市場も、個人向け高級品市場も拡大している。

消費行動の背景にある「動機」

もともと、「観光」は、生きるために必要な活動ではなく、所得と連動した「上級財」の性格を持っている。全体の市場規模が限定される中でも、アッパー市場が堅調であることに加え、国際化によって、普通に経済発展している世界が市場となっていることを考えれば、マーケッターは、「バブル的な行動」について、個人的なバイアスを持たずにとらえていく事が求められるだろう。

人は、社会的な動物であり、その行動の背景には他者との相対的な関係性が強く影響する。その顕著な例が「承認欲求」である。承認欲求には、他者に認めてもらいたいという「他者承認」と、自分自身がこうなりたいという「自己承認」の2つがある。これは、マズローの5段階欲求説で言えば、社会的欲求や尊厳欲求が他者承認、自己実現欲求が自己承認となる。

承認欲求は、各種の行動に当たっての基礎的な動機(モチベーション)となるが、観光行動を念頭に、他者承認欲求と自己承認欲求の高低で整理すると、4つのゾーンに整理できる。

この4つのゾーンに、当方で名付けしたものが以下である。

図 行動に当たっての承認欲求別消費パターン

まず、他者からの視点ばかり気にして、自己承認(自己実現)欲求は低い消費は「ディスプレイ消費」と名付けた。これは、いわゆる「見栄」をベースとした消費行動だといえる。

この対極にあるのが「ライフスタイル消費」と名付けた消費行動である。自身で「やりたいこと」が明確にあり、他者の視点は気にせず、選択的な行動を行っているものである。

ディスプレイ消費とライフスタイル消費の双方を受け継ぐのが「ステータス消費」である。自身が「やりたいこと」がベースにあるが、他者の視点も配慮し、他者からも認められるような行動を選択的に行うものである。

一方、いずれの承認欲求に基づかない行動は「コモディティ消費」と名付けた。

マーケティング的には、いかに自身の製品やサービスのコモディティ化を防ぐかということが重要である。そのため、多くの事業者が行っているマーケティングは、実のところ、ディスプレイ/ライフスタイル/ステータスのいずれかの領域に、製品やサービスを置くことを目指していることが多い。

その中でも近年の主流は、ライフスタイル消費に寄り添う展開である。

例えば、「アンダーアーマー」は、スポーツのあるライフスタイルをより魅力的なものとしていくというストーリーを拡げることによって、近年、急速にそのポジションをアップさせている。これは、「健康的で活動的な生活を送れる人になりたい」という顧客の自己承認(自己実現)欲求に寄り添っている。

英会話学校とか料理学校のような「お稽古事」や、ライザップのような痩身ジムもライフスタイル消費の一つと言えるし、いわゆる「オタク趣味」のように、ともすれば周囲から白眼視されるような行動も、ライフスタイル消費の一つと言えるだろう。

近年の消費の多様性を生み出す源泉は、このライフスタイル消費が拡がってきているためだと考える事が出来る。これは、自己承認(自己実現)意識が、社会の成熟化に伴い広まってきたからだと考えることも出来る。

一方で、ディスプレイ消費も、脈々と続いている。顕著な例は、インスタグラムなどSNSへの投稿だ。「リア充」という言葉があるように、SNSは「素敵な自分」を演出する場ともなっている。

ただ、以前は高級車を持っているとか、宝飾品を身につけているというように「モノ」の所有や利用だったものが、友達とわいわいしているとか旅行しているというような「コト」に焦点が変わっているのは、時代の変化だろう。

ステータス消費は、ライフスタイル消費とディスプレイ消費の両面を持っている。

例えば、健康増進のためにジョギングなどを始めたとしよう。ライフスタイル消費として考えれば、服などは機能性さえあれば特にノーブランド品でも構わないし、有名な大会などに参加する必要も無い。ただ、ジョギングをしていることを他者にも知ってもらい「健康増進に取り組んでいる自分」を評価して欲しいという欲求も出てくると、名の通ったブランド品を選択したり、アイコンとなるような大会にも出ようとするだろう。

ディスプレイ消費からステータス消費に変わっていくこともあるだろう。ジョギングの例で言えば、「周りがやっているから」ということで、ブランド品で用具を固め、形から入ったものの、やってみたら楽しくなり、自分自身のために継続していくといったパターンだ。

特に自己、他者の承認欲求を伴わない行動については、コモディティ消費と名付けた。生活のため、または、なんらかの目的のため消費行動はするものの、自身にとってこだわりはなく、意識する必要性も感じていない分野である。

例えば、ファッションにこだわる人(ライフスタイル消費)や、意識することが重要だと思っている人(ディスプレイ消費)は、何をどこで買うかということは重要だが、そういうこだわりや意識が無い人にとっては「服としての機能があればよい」ということになる。家電や自動車など幅広いジャンルでこの領域は広がっている。

動機を行動に繋げる触媒となる「マーケティング」

この例示が示すように、表面的に見える行動は同じでも、背景となっている動機は人によって異なっている。

マーケティングの基本的な目的の一つは、自身の製品やサービスを選択的に選択してもらうことにある。これは、自身が差別化されているということであり、コモディティ消費の対象では無いということである。そうでなければ、価格でしか製品やサービスが評価されなくなるためである。

それをふまえ、より端的にマーケティングの意味を言えば、人々の製品やサービスに対する動機をコモディティ消費からライフスタイル消費、ディスプレイ消費に如何に変えるのかという事になる。

例えば、ディスプレイ消費について言えば、「それが流行っている」という情報を流すことで、「乗り遅れちゃ行けない」という意識を持たせるというのは古典的だが基本的な取り組みであり、現在でも続いている。
冒頭の「いつかはクラウン」は、このタイプだし、B1グランプリや、ゆるキャラ、各種のグルメなど、いわゆる「ブーム」の類はこのタイプだといえる。「いつかはクラウン」と異なり、動くのはマスではなく、一部のセグメントではあるが、本質的には変わっていない。
ただ、情報伝達のルートは変わってきている。かつてはマスメディアであったものが、現在では、ネットやSNSの影響が大きくなっているからだ。ネットやSNSの普及は、消費者に情報アクセスの多様性をもたらしたが、他方、「取り残される恐怖」も指摘されるようになっており、ディスプレイ消費を生み出す原動力ともなっている。

他者ではなく、自己に注目するライフスタイル消費は、スタートが自己なので、一見、外部からの関与幅は少ないように思える。ただ、実は、自己承認欲求はコンプレックスと密接な関係にあるため、古くから商売のネタになっており、「儲美頭健信」という言葉も生まれている。
また、前述のアンダーアーマーの成功例は、自身の製品サービスから入るのではなく、その背景となるストーリーから攻めるものであり、今日的なブランディングの基本形である。

ライフスタイル形成に繋げる取り組みへ

このようにコモディティ消費からのディスプレイ消費、ライフスタイル消費へと向かわせるマーケティング手法は、これまでにいくつも実践されてきている。他の業界に比べ遅れていると言われる観光業界においては、そうした動静を見ながら、対応策を考えて行くことが重要だろう。

特に、今後も増大が予想されるインバウンド対応においては、彼らの欲求を取り込み、ディスプレイ消費やライフスタイル消費、または、ステータス消費として顕在化させるように取り組んでいかなければ、単なる「近くて安い」デスティネーションとなるだけである。

ただ、マーケティングは、見方を変えれば消費者の心理的な隙間につけ込むものともなる。前述の「儲美頭健信」はその好例だし、「取り残される恐怖」を利用するのもその一つだろう。

個人的には、マーケティングといっても、過度に商業主義に走るのではなく、地に足のついた「ライフスタイル」形成に繋がっていくようにライフスタイル消費を促していく事が重要ではないかと思っている。それが、他者評価も伴うステータス消費へと拡がり、地域は確固たるブランド力を獲得する事になるのではないだろうか。

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