現在、我が国は「観光」を地域振興の手段として活用しようという機運が高まっている。
こういう動き自体は、実のところ、日本だけではなく世界中の国々が志向しているものであり、それ自体に独創性はない。観光やホスピタリティ産業が持つポテンシャルに気がつくのが早いか遅いかという話でしか無い。
ただ、同じモノをみていても(視点)、その立ち位置(視座)が異なれば、違うモノとなる。
参考:理解すると言うこと
また、以前、観光振興を産業振興として考える人と文化振興として考える人が居るという投稿を行った。
これに関して、この頃、思うことがあったので。
観光振興において「マーケティング」が重要だという話は、今や、否定する人は居ないだろう。私は2010年に「観光まちづくりのマーケティング」という書籍を執筆したが、今でも「細々」と売れていることからも、関心の高さが伺える。
マーケティングの必要性を説いてきた私としては、これは喜ばしい状態ではあるのだが、その費用を国が、幅広い地域に対して支出するという事には違和感がある。
なぜなら、マーケティングというのは競争戦略であるからだ。
そして、戦略というのは、自身が持っている経営資源を、目的達成のために、傾斜配分する事である。
少し異質な例えであるが、恋愛を考えて見よう。
「意中の女性とお付き合いしたい」と考えている男性は、その女性から好意を持ってもらえるように、その女性の嗜好に合わせて、服装や髪型に気をつかったり、プレゼントをしたり、笑わせたりといった取り組みを行うだろう。
当然ながら、そうした取り組みには「費用」と「時間」がかかる。
それでも「意中の女性とお付き合いしたい」と考える男性は、バイトをしたり、他の支出を抑えたり、自分の趣味の時間や睡眠時間を削ったりして、費用と時間を捻出し、その女性に振り向いてもらえるように取り組んでいくことになる。
「意中の女性」が、いわゆる「高嶺の花」である場合、ライバルとの競争も激しくなる。
「高嶺の花」側は、「選べる」立場となるから、相手を見極める水準も高くなる。
男性「陣」としては、自分の個性を活かすなど、より高度な取り組みが必要となろう。
人と人の関係なので、最終的に、男性の努力が報われるかどうかは未知数であるが、確率論的に言えば、何もしない人よりも、意中の女性の事を真剣に考え、行動している男性の方が、意中の彼女に振り返ってもらえる確率は高いだろう。
つまり、目標(意中の女性とお付き合いしたい)を達成するために、戦略的に費用や時間を捻出した人々は、それだけ成功確率を高め、そうでない人達は相対的に成功確率は下がるということになる。
これはある種の因果である。
さて、少子化が進んでいる事を受けて、その対策として「希望する全ての男性」に、服飾費やプレゼント代を補助したり、残業時間規制をするといった政策があったらどうか。
カップルの成立数は増大するだろうか?
少し考えれば解るが、そもそも女性の数が限られており、更に、女性の全てが、男性とつきあいたいと思っているわけでもない以上、カップルの成立数には上限がある。
となれば、どうなるのか。
端的に言えば、競争のベースラインが上がることになる。
それまでは、一部の「真剣に取り組む」人達だけでの競争であったのに、補助金が投入されることで、参入する男性が増加するためである。しかも、そうした男性陣は、ボーナスとして得た費用や時間を利用する。それによって、先行者が「やりくりして」確保していた費用や時間というアドバンテージが失われてしまう。
先行者がアドバンテージを保つには、新参者同様にボーナスを利用することが必要となるが、これは、絶対的な取り組み量を増やすこととなる。
つまり、ボーナスによってベースラインがあがり、各男性の取り組み量は大きくなるが、結果としてのカップル成立数は、さほど上がらないだろうということだ。
かなりハイコンテキストな言い回しをしたが、この例はマーケティングの取り組みを示しており、状況を変えれば、観光振興でも同様だという事は察しがつくだろう。
つまり、マーケティングというのは、相対的なものであり、抜け駆けして行うからこそ有効なのである。
さて、我が国の地方自治体は、人口規模などで基準財政需要額が設定されているが、これを上回る税収を上げている地域は少ない。差額は交付税などで補填されるため、各自治体が使える経営資源は、規模に対して比例関係にある。
そうした状況の中で、どんな領域にどれだけの人材や費用、時間を投入するのか(傾斜配分するのか)が、各自治体での基本的な「戦略」方針となる。
もちろん、各要素はトレードオフの関係にあるから、全てに注力することは出来ない。仮に観光に傾斜配分すれば、そのしわ寄せは教育や福祉に行くかもしれない。それでも、将来に向けた投資として、または、地域経済の循環のために、観光に傾斜配分するという選択をするのが戦略的判断である。
幅広い地域に配布される補助金という「ボーナス」は、こうした地域独自の選択をないがしろにすることにもなる。
需要に限りのある中、幅広い供給側に経営資源を投入することは、競争環境のバランスをゆがめてしまう可能性があることを意識しておきたい。
山田さん
いつも大変楽しみに拝見しています。
今回は
>マーケティングは重要だけれども。
皆でやったら、ベースラインが上がるだけ。
というお話。
というお話でまた大変参考になりました。
ただちょっと不思議だったのは、マーケティングは皆でやってベースラインが上がったらあまりいいことではないように、主張されているように思ったのですが(私の読み取りがあまく誤解であればご容赦ください)それはいいことにもつながりませんでしょうか。
皆が「まったく同じこと」をやりだしたらたしかに意味がなくなってしまいますが、みなが地域の特性を生かして独自のことをやって、多様性のある価値が創出できれば多様な需要にも対応できますし、そもそも需要自体が増えるかもしれません。
ベースラインがあがれば、
>少し考えれば解るが、そもそも女性の数が限られており、更に、女性の全てが、男性とつきあいたいと思っているわけでもない以上、カップルの成立数には上限がある。
という与件に影響を与え、男性と付き合いたいと思っている女性が増える可能性は考えられないものでしょうか。
量的変化は質的変化を生み出すともいいますし。
もちろん「悪平等なばらまき予算」じたいが100%いいとは思いませんが、大事なのはそれを何に使うかという中身であり、それこそDMOの役割であるべきですし、それぞれ多様性を持った価値ある観光地が増えればいいのではないか、と考えてみました。
競争優位とは、他社を出し抜くことではなく、卓越した価値と利益を生み出すことであり、戦略とはなにかを「しないこと」というのが、ポーターの理屈だったようにも思います。
そうかんがえると、需要に限りがある、という前提もさることながら、今は需要を創造する行為としてのマーケティングが日本の観光地にあってほしいなあ、と感じました。
いろいろと考えさせられました。
ありがとうございました。
小林さん
コメント、ありがとうございます。
本稿には、3つの背景があります。
まず、1つ目は、私は、供給は需要を増やすことが出来ないという立場をとっているということです。
参考:「経済力×人口が構成する市場」
もちろん、「観光地」がレベルを上げることによって、需要側を刺激し、観光への意識を高める効果はあるでしょうが、マクロ的にみれば、経済要因でほとんど左右されてしまうのが現実です。
戦後、国内での観光需要が高まった2回(レジャーブームとリゾートブーム)は、いずれも空前の好景気であり、その時期であれば稚拙な観光供給でも大入りだったのに対し、70年代後半のディスカバージャパンや、90年代後半以降の観光まちづくりの取り組みが、業界的には評価されながら、市場獲得に至っていないことも、それを肯定しています。
この現状に立脚すれば、マーケティングというのは、需要を生み出すものではなく、シェアをどう高めるか(旅行先として選んでもらえるか)という取り組みになります。
私がマーケティング戦略を競争戦略と呼ぶ理由でもあります。
そのため、「皆がマーケティングに取り組む」という事は、かなり根源的な部分で矛盾を抱えることだと思っています。
※競争優位の考え方は、差別化の先にあるもので、隔離システムやブランディングにつながるものですが、話が複雑になるので、今回は意図的に省いています。
なお、需要を創造には経済要因の打破が必要なので、例えば、「住宅減税」のような需要側に対する優遇措置が有効でしょう。
第2に、マーケティングの原資が国の補助金等であるという事です。
マーケティングのベースラインが上がることは、供給側にとっては負担ですが、需要側にとってみれば質の向上に繋がります。質の向上は、観光地としての戦闘力があがることであり、競合先を海外リゾートと考えれば、将来的な訪日客獲得に繋がっていくことも期待できます。
その意味で、多くの地域がマーケティングの必要性に気付き、対応していくことは悪い事ではありません。
ただ、「国の補助金等」というのは、基本的に、ある枠にはめられた資金です。
一定の様式に基づき、補助申請を行い、一定のルールによって審査され、実施中も実施後もチェックを受けます。
また、基本的に単年度予算であり、リードタイムを考えると、実質的に事業を展開出来るのは半年程度でしかありません。
これは公金として、当然のプロセスであり、仕組みでありますが、マーケティング資金との相性は最悪です。
本稿であげた例で言えば、「プレゼント用の花束購入費を補助します。希望者は、3ヶ月前までに申請書をあげてください。ただし、赤いバラに限ります。また、昨年度の申請者は対象になりません。」みたいな感じです。
DMO等が独自の取り組みを行う事は、好ましいことですし、そうあるべきですが、交付金や補助金での対応は「大変難しい」のが実状でしょう。
※海外のDMOでも、補助金系を主体にしている所は、日本の観光協会等と活動内容はそう変わりません。
結果、補助金や交付金が持つ各種の制約条件を満たす取り組みとして、どうしても「同じような取り組みが大量に並ぶ」ことになります。
それでも、市場調査のような基礎的な取り組みが充実するのであれば良いのですが、得てして、麻薬的な取り組みに向かいがちです。
それが、「割引」です。表面的な割引だけでなく、モニターツアーやチャーター便への支援など、形態は様々あります。
価格戦略は極めて強い影響力を持っていますが(<−需要側の経済要因を崩せるため)、ロイヤルティの形成には繋がらないため、瞬発的なカンフル剤にしかなりません。
これでは、質の向上には繋がりませんし、むしろ、真面目にやっていた地域の取り組みをつぶすことになりかねません。
なお、前述した需要側での割引と、ここで言う着地側での割引は、同様に割引による需要創造ですが、マーケティング的な意味合いはまったく異なります。
需要側の割引は、全体の需要規模を増大させる効果がありますが、その需要がどこに向かうかは、各地での競争によって決まります。
他方、着地での割引では、その地域に向かう場合のみ割引となるため、単に価格競争力を低下させるだけとなります。
第3に、閾値を超えなくなるということです。
マーケティングは相対性です。
例えば、以前からマーケティングに取り組んでいる先行地域のマーケティング投資を50、その他地域の投資を10としましょう。
この段階では5倍の差となり、先行地域は「選ばれやすい」状態にあります。
ここに補助金などで30の追加投資が入ったとしましょう。その結果、先行地域では80、その他地域は40となります。こうなると、両者の差は2倍まで圧縮されてしまいます。
先行地域からしてみれば、差が詰められる事になり、優位性は大きく損なわれますが、他方、その他地域も相対的に選ばれるようになったとは言い難い状態です。
これでは、消耗戦となってしまいます。
マーケティング的には、支援先を絞り込み、一気に国際競争力を持てるような投資をすべきですが、政策的には難しいという矛盾がここにも出てきます。
各地が創意工夫し、費用や時間を捻出して行う分には、なんの問題もありません。
が、それを国等が地域振興政策として全面的に支援しよう…となると、いろいろと矛盾も出てくるなぁと思っています。
※自分へのブーメランとなっていることは重々承知しています。
山田さん
お忙しい中、ご丁寧なお返事ありがとうございました。とても感謝しています。
ご紹介いただきましたブログも含めて、
>供給は需要を増やすことが出来ないという立場をとっているということです。
というご主張は、基本的にマクロ視点での話である、と理解しました。
企業にとっては、あるいは観光地にとっては、自らが生き残るためには、マクロ環境がどうであれ、マーケティングという市場創造の行為を「するしかない」ですし、供給、つまり生産行為をやめるというのはつまり企業であること、観光地であることをやめる、ということにほかなりません。つまりこれはミクロの話ですね。
企業や観光地は、どう生き残っていくか、ということを自らのこととして考えていますのでで、その視点からするとすこしご主張に違和感を感じたのかもしれません。
補助金や交付金が使いにくい、というのはそのとおりかもしれませんね。観光に対する税金の使われ方にもっと理解が広がるといいですね。
マーケティングが相対性、という点はすこし難しい話のように感じました。
一般論として理解するならば、最近のマーケティングでは必ずしも相対ではないようにも感じています。私が旅行者なら、およそすべての観光地を比較検討することはできないので、自分が行きたいとおもえばそれが(絶対的な価値として)選ぶような気がします。
相対性と絶対性、という話は難しいですね。
マーケティングが個々にとって必要なことは間違いないです。
そうでなければ、生存に必要な「シェア」を確保出来ないからです。
ただ、その原資を、自身の経営リソースではなく、外部に頼るという構造が問題だと思っています。
なぜなら、ミクロで正しい事が、マクロでも正しい事ではないです。
なぜなら、「合成の誤謬」が生じるからです。
例えば、かつて、製造業の誘致が地方振興の要だと見なされていた時代があります。これはミクロとしては正しいですが、高度成長期ですら製造業の規模には限界があり、結果、多くの工業団地が「造成されるだけ」に終わりました。
また、バブル期のリゾート開発も、都市住民の余暇需要という側面で見れば、間違っていたわけではありません。それが大きな傷となったのは、需要を考えず、一時期に大量供給されたことが大きな原因でしょう。
観光に限らず、ミクロでやるべきことは、自分たちの懐の中でやる。マクロからは、マクロとして有効なことをやる。という切り分けが重要だと考えています。
なお、観光政策について言えば、国レベルで行うべき事は、ビザ緩和や空港整備といった訪日対策と、国内向けの需要側に対する助成事業だと思っています。
※いずれも、需要拡大に対する施策です。
なお、相対性については、以下の「相対性に対する認識」で整理していますので、ご参考まで。
https://resort-jp.com/2017/09/30/%E7%9B%B8%E5%AF%BE%E6%80%A7%E3%81%AB%E5%AF%BE%E3%81%99%E3%82%8B%E8%AA%8D%E8%AD%98%E3%80%80%E3%80%9C%E6%88%A6%E7%95%A5%E7%AB%8B%E6%A1%88%E3%81%AB%E5%BF%85%E8%A6%81%E3%81%AA%E8%80%83%E3%81%88%E6%96%B9/