Discussion of Destination Branding.

プッシュモチベーションとプルモチベーション

旅行動機には2種類ある

観光地マーケティング(デスティネーション・マーケティング)は、詰まるところ観光客を自分の地域に呼び込む取り組みだが、そもそも、観光客が旅行に出かけようという動機には大きく2つの種類がある。

それは、プッシュモチベーション(Push Motivation)、プルモチベーション(Pull Motivation)の2種である。

前者は、旅行に出かけようという動機。後者は、どの地域に出かけようかという動機である。
旅行に対するより根源的な欲求は、プッシュモチベーションだと言える。プッシュモチベーションが無ければ、旅行需要自体が存在し得ないからである。

プッシュとプルとは何か

このプッシュモチベーションは、例えば、「疲れているので、ちょっと、のんびりしたい」とか「家族や恋人との時間を過ごしたい」「体を思いっきり動かしてスッキリしたい」と言ったものとなる。つまり、プッシュモチベーションは、各人の日々の暮らしや、他者との関係性、自身の趣味嗜好から生まれる旅行に対する欲求である。

これに対し、プルモチベーションは、旅行先を選ぶ際の動機となる。「あそこには温泉があるから行こう」とか「素敵な旅館があるので」「有名なレストランがあるので」といったものとなる。観光地が働きかけることができるのは、このプルモチベーションとなる。

人は、常に目的を明示的に意識している訳ではないが、無意識的に自身の行動を選択しているとされる。これは「手段目的連鎖モデル」と呼ばれている。
つまり、実際に起こした行動は、その人の目的に応じたものであるということだ。

旅行の場合で言えば、プッシュモチベーションが目的であり、プルモチベーションは、その目的に対応した手段であり、選んだ旅行先は、潜在的な旅行動機に従ったものであるということになる。

例えば、同じ温泉地に出かける場合であっても、「疲れているので、ちょっと、のんびりしたい」というプッシュモチベーションに基づいていれば、スパやエステが併設されている旅館を選び、ヨガや森林浴といった体験プログラムに関心を示すことになる。他方、「家族や恋人との時間を過ごしたい」と思っていれば、家族風呂のある旅館を選び、家族や恋人が関心を示すであろうアクティビティや娯楽を楽しむことになるだろう。

プッシュモチベーションが決める市場規模

こうした構造から見えるのは、市場規模はプッシュモチベーションの出現量によって規定されるということだ。観光地マーケティングといったところで、人々の心の中で生じるプッシュモチベーションを左右することは難しく、出現したプッシュモチベーションを対象に、自地域に対するプルモチベーションを喚起することで、集客を図っていくに過ぎない。

…のだが、これではあまりに市場が不安定である。

そもそも、プッシュモチベーションは当人も明示的に意識していないようなフワフワとしたものであり、さらに、仮にプッシュモチベーションが生じたとしても、旅行という行動につながらない場合もあるためだ。例えば、「疲れているので、ちょっと、のんびりしたい」場合、何も、温泉地に出かけなくても、自宅の近くのエステや、日帰り温浴施設などでも、その欲求を満たすことはできる。

更に言えば、日々の生活が向上すれば、疲れなくなるかもしれないし、家族や恋人などがいなければ一緒の時間を過ごしたいという欲求自体が出てこない。体を動かすことを億劫だと思う人だっているだろう。

一定程度の人口と経済力があれば、一定規模の旅行需要が創出されることは、経験則的に分かっているが、同時に、それが移ろいやすい需要であることも分かっている。そこに、多額の投資を行いながら対応していくことは、事業としての難易度が高すぎる。

プッシュモチベーションを創る取り組み

この問題に対応する方策として、特に米国で発達したのが「ミーティング」「コンベンション」、つまりは「会議」である。

経済活動が行われれば、そこに各種の会議需要が生まれる。
この会議需要を、地域の会議施設につなげば、旅行需要を創造することができるようになる。

この場合、プッシュモチベーションは業務であるから、本人の意思にかかわりなく発生する。さらに、プルモチベーションは、その会議がある場所に直結することになる。つまり、会議を誘致すれば、後は自動的に、その参加者が来訪してくることになる。

これは、余暇的欲求に基づくプッシュモチベーションとプルモチベーションとの関係性に比べて、はるかに安定的で強固である。そして、何より、プッシュモチベーションを「創る」ことができるため、市場規模自体を増大することができる。

こうした関係性をもった取り組みは、ほかにも、イベントや展示会、報奨旅行などが存在し、2000年代に入ると、これらの取り組みを包括し「MICE」と称されるようになった。

MICEでは、地域側が開催時期を設定できることもポイントとなる。そのため、よくデザインされたDMOであれば、一般的な観光需要(=余暇的欲求に基づく需要)が落ち込む時期にMICEを呼び込むことによって、宿泊施設の稼働率を安定的なものとしていくことも可能となる。これは、労働生産性の向上にもつながることになる。

また、MICEは「伝統的な」プッシュモチベーションではないため、対応するプルモチベーションも観光のそれとは違う。そのため、従来、観光的なプルモチベーション喚起のネタを持っていなかった地域でも、交通サービスや会議施設、宿泊施設などを用意すれば取り組みができるという利点を持っている。

大都市の観光振興においてMICEが大きな存在感を示してきているのは、そのためである。

日本で芽生えたさらなる取り組み

プッシュモチベーションを創るという視点で考えると、興味深い動きが聖地巡礼に代表されるコンテンツツーリズムである。
※カタカナ語だが、現時点では和製英語であり、国際的に通用する用語とは言えない。

映画やドラマのロケ地となった場所に人が訪れるという現象は、以前から顕在化していたが、多くはプルモチベーションとして存在していたと整理できる。

例えば、「友人とたっぷり時間を過ごしたい」ー>「旅行に行こう」ー>「話題になったところに行けば、会話も弾むだろう」ー>「ドラマの舞台に行こう」といった感じである。

これに対し、21世紀に入ってから国内で顕在化してきたのは、架空の世界であるアニメの題材となった場所を「聖地」に見立て、そのアニメファンが訪れるという現象である。この場合、「聖地に行きたい」というのが、プッシュモチベーションであり、地域に「聖地」があることがプルモチベーションとなる。

こうした現象に注目し、出版社やアニメ制作会社と地域とが連携し、当初から聖地巡礼を創造することを念頭に置いた作品作りを行うケースが出てきている。勝率は、さほど高い訳ではないが、旅行市場の形成という点では、大きな意味を持っていると思っている。

聖地巡礼「者」の統計資料は少ないが、「アニメ聖地巡礼に関する調査研究(堀内・小山, 2014)」によれば、20代、30代の男性が主体であることを指摘されている。同行者についての分析はないが、おそらくは多くがひとり旅であろう。

男性のひとり旅は、増大傾向にあるとは言え、宿泊旅行の1割程度にすぎない。さらに、その多くは旅行経験を積み上げた一定の年代の方々であることを考えれば、若年層の男性がひとり旅に出かけるというハードルは高い。おそらく、聖地巡礼という機会がなければ、彼らは、旅行に出かけることはなかった(プッシュモチベーションを持っていなかった)だろう。

つまり、聖地巡礼は、需要をゼロから作り出し、市場の外にいた人たちを旅行に連れ出すだけの力を持っているのである。
しかも、その旅行先は、従来の「観光地」であることを前提としない。

これは考えてみれば、ものすごいパワーである。

マーケティング的にいえば、聖地巡礼は、ブルーオーシャンでもある。

プッシュからプルを紡ぎ出す

聖地巡礼の場合、プッシュは、アニメの世界に浸りたいというものであり、これ自体は、旅行需要とは無縁の世界にある。これが、聖地というプルに繋がり、旅行需要を生み出している。

サイクリングやジョギングも同様の構造だと言えるだろう。もともと、日常生活圏で楽しんでいたものが、魅力的なサイクリングコースや、注目されるマラソン大会といったプルと繋がることで旅行需要へと繋がっていく。これは、スキーやゴルフ、スキューバダイビングのように、(都市住民にとっては)楽しむことと旅行とが一体的な関係にあるものとは異なる構造である。

また、近年、盛り上がっているインスタ映えも、もともとは、日常生活圏の中で楽しんでいたものが、インスタ映えするスポットというプルと繋がったことで、旅行需要に広がったものと考えられるし、グルメ旅行も都市部での高品質な食事を楽しんでいる中で、地方部の食というプルに繋がったと考えることができる。

こう考えると「日常的な趣味」は、何かしらのプルと結びつけることによって旅行需要、それも特定地域に紐付けされた需要を創造できる可能性を持っていることになる。趣味の世界は、距離を超えるというわけだ。

顕在化している既存の旅行市場に注目し、その需要獲得を目指すというのが、観光地マーケティングの基本形である。しかしながら、それは物量での勝負ということにもなる。後発組やニッチャー戦略を狙う地域においては、こうした新しいプッシュ・プルの関係にも注目していくと面白い世界が広がってくるのでは無いだろうか。

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