カッパーマウンテン

MaaS(Mobility as a Service/移動のサービス化)が、にわかに注目を集めるようになっている。その流れは観光領域にも拡がり、いくつかの事業も動き出している。

MaaSは、2010年台の半ばに形成された新しい概念であるが、5年程度で、一気に世界的な拡がりを見せたのは、それが様々な社会経済環境の変化の時流に乗ったものであったためだろう。

ネットの普及によって、情報や資金に関するボーダーは大きく下がり、音楽や映画、書籍といったかつては「物」として流通していたものが、デジタル化されオンラインで供給されるようになっている。さらに、それらのコンテンツは、サブスクリプションモデルと組み合わされ、一定額を支払うことで、オンデマンドで無制限で利用できるようになった。同時に、需要と供給をきめ細かくマッチングできるAirBnBやUberといったサービスの登場は、少数の人々が専有的に所有していた物を、多様な人々が一時的に利用することが出来るようになった。

こうした環境変化の中で、取り残されていったのが「人の移動」であり、IT・ネットを利用することで、新しい地平線が築けるのではないかと考えるのは、ある意味、当然の帰結と言えるだろう。

それが、移動のサービス化、MaaSだと言うことだ。

ただ、私は、この動きに違和感をもっている。
サービスを成立させるには、需要と供給の2つがマッチングする必要があるにもかかわらず、それが蔑ろにされているように感じるからだ。

MaaSを阻むもの

第1に、需要について考えれば、人々が自家用車ではなくMaaSを選択するかどうかということになる。
車離れは、世界レベルで見られている動きであるが、他方、自家用車は、今なお、非常に高い汎用性と利便性を有している。また、何よりもプライベートな空間と時間を作ることができる。環境問題についてもガソリン車の低燃費化は大きく進んでおり、さらにEV、PHVも実用化段階に入ってきている。今後、自動運転のレベルが上っていけば、運転技術の問題も大幅に解消されていくことになるだろう。
既に実用化されているカーシェアであれば、金銭的な負担も軽減されるし、Uberのようなサービスであれば、プライベート性はやや犠牲になるものの運転の手間すら省くことができる。
その状態で、敢えて、人々はMaaSを選ぶのか、MaaSの方が利便性が高いと感じるのか?ということが第1の疑問。

第2は供給の問題。MaaSを成立させて行くには、鉄道、バス、タクシー、レンタサイクルなどなどの多様な交通サービスを高次に連携させて行く必要がある。ITによるサポートがあるとはいえ、事業者が変わってもストレスや迷いなく交通機関を利用できるようにするのはかなりの難易度だろう。統合されることで全体最適となることは見えていても、参加する事業者(プレイヤー)にとっての個別最適とは必ずしも一致しないからだ。
事業者の枠を飛び越えて…というのは簡単だが、それが容易であるなら、現在のような産業構造にはなっていない。

第3の問題は、地域単位で見た需要と供給の関係性のズレである。
需要については、すべての人が自家用車を持っているわけでも、免許を持っているわけでも無いことを考えれば、MaaSのほうが魅力的と感じる人々は一定の比率で出てくるだろう。これは、人口が多い都市部であれば、一定の「まとまり」となるが、人口が少ない地方部では需要を得難いことを示している。
他方、供給側でみると、需要規模が見込める都市部は、多種多様な事業者が様々な思惑のもとに活動しており、さらに、新しい事業者の参入もあるため、単純に統合することは難しい。これに対し、地方部では事業者の数は限定され、関係者が「見える」状態にあるが、そもそもの需要規模が小さい。
つまり、需要がある地域では供給体制の構築が難しく、供給体制の構築が容易な地域では需要が乏しいというズレがある。これをどのように突破するのかという問題。

第4の問題は、MaaSは、各種の交通サービスを束ねることで利便性を高めるものだが、そのもととなる交通サービスが「粗い」ものであったり、キャパシティが低ければ、束ねたとしても、利便性は高まらないということである。例えば、一日、5便程度しか運行していない路線バスをMaaSで組み込んでも、あまり意味を持たないし、タクシーが配車されていない地域では呼ぶだけで時間がかかる。ミニバスのようなものであれば、乗り切れないという場合もでてくるだろう。
つまり、既存の交通サービスが需要に対応できないリスクも存在している。

第5の問題は、交通は、単に移動できれば良いというわけではないということだ。鉄道や飛行機では、到着時間は変わらないのに付加料金を払ってグリーン車やビジネスクラスを使うのはなぜか。単なる移動だけであれば、軽自動車でもことは足りるのに、なぜ、数千万円もする自動車は売れるのか。時間がかかるのに自動車を使わずにロードバイクで移動するのはなぜか。移動が単なる移動ではなく、そこには楽しみや、求められる振る舞いがある。サービスとして透明化されては利用価値を失う人もいるということだ。

MaaSは、ある種のプラットフォームであるが、プラットフォームが優位性を持つには、そのプラットフォーム上のサービスを魅力と感じる顧客が居り、かつ、そこで提供される関連サービスもシームレスに提供されることが重要となる。
MaaSは、そのいずれにおいても、課題が大きいのではと思うのである。

観光地でのMaaS

こうした問題をふまえた上で、観光地でのMaaSについて考えてみよう。

観光地でのMaaS導入については、2つのアプローチがある。1つは、観光客を基軸に観光客の二次交通、三次交通を充実させていくのにMaaSを使おうというものである。もう1つは、地域交通を基軸に、観光需要をMaaSで取り込むことで需要を嵩上げし、地域交通の存続と拡充を図ろうというというものである。

前者については、二次交通、三次交通の整備は観光地の持続性において重要な課題である。しかしながら、その対応策がMaaSとなるのかどうかは、それぞれの地域で議論が必要だろう。特に第4の問題は大きい。観光需要に対応する交通については、そもそも受け皿、代替となる交通機関がない場合も多いからだ。その場合、MaaS以前の問題として、観光需要向けの交通機関を整備する必要が出てくる。また、第5の問題も観光地によっては、大きく影響してくるだろう。

後者については、率直なところ、かなり難しいだろう。第3の問題が大きく関わってくるからだ。絶対的に足りない需要を観光需要で嵩上げすることが狙いだとしても、通勤や通学、または、通院、買い物といった定住者が生み出す需要に比して、観光需要は季節波動や曜日波動がある。さらに、定住者が使いたい時間帯と、観光客が使いたい時間帯は、必ずしも一致しない。つまり、単純に、観光需要が地域交通に対する需要の底上げにつながるわけではなく、逆に季節や時間帯によっては、過負荷を与えることにもなるだろう。
地域交通を考えるのであれば、むしろ、ピーキーな動きをする観光需要は「脇にのけて」おいて、計算ができる定住者からの需要を元にMaaSを組み立てるほうが近道となるのではないか。

今後の観光地交通

では、MaaSの考え方、取り組みは観光地において、全く意味がないのかといえば、そうでは無いだろう。そもそも、MaaSの考え方は、情報社会における交通のあるべき姿を整理したものであるから否定とか肯定といった次元を超えた概念だ。

ただ、正しい概念だとしても、現実は、すぐにミートできるものではない。何度かの揺り戻しが起こることが常であるし、その揺り戻しの中で、周辺環境の変化にあわせ概念も変化していくことは往々にしてある。

例えば、MaaSの語源とも言えるSaaS(Software as a Service)は、1990年代以前に概念化されていたASP(Application Service Provider)を焼き直したものであり、概念が作られてから「使える」状態になるまで20年以上を要している。しかも、SaaSは、その後、PaaSやIaaSという形でハードウェアも仮想的に提供できる世界へと広がり「クラウド」というより包括的な概念へと転化している。

いわゆるIT、ネットの世界においても数十年の年数を要したわけで、実際の空間や人材、車両のハンドリングが必要なMaaSの世界が一気に訪れ、現在の諸問題が解決されると考えるのは避けるべきだろう。

現場においては、MaaSと大上段に構えるのではなく、利便性だけが価値ではないという観光客特有の視点に立って移動環境の充実を図っていくことを第一に考え、取り組んでいくことが重要だろう。

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