新年、明けましておめでとうございます。

今年はオリンピック・イヤー。個人的には、ここ数年、取り組んできた観光財源系の取り組みが、実を結ぶ年にしたいなと考えているところ。

観光とツーリズムは違う

「観光振興」は、国際的に大きな注目を集めているが、実は、この「観光」の捉え方は、国内と海外ではズレがある。

我が国において、「観光」が何を指すのかという事についても、学術的に幅広い了解を得ている定義はない。このこと自体が、観光研究の幅広さと曖昧さを象徴しているが、一般に3つの整理が用いられる事が多い。一つは、語源に求めるもの、もう一つは観光政策審議会の定義に求めるもの、そして、旅行需要の性格からの区分である。

語源については、いくつかの説が提示されているが、「観光」の語源は『易経』の観卦の爻辞「六四、観国之光 利用賓于王」の「観国之光」であることが‘確からしい’とされ、18世紀頃から朱子学の関係者で利用されるようになった。この語源は「観光」が、地域(国)にまなざしを向けるという意を持つものと解釈することができ、観光を文化的な側面から捉える際に引用されやすい傾向にある。例えば、京都市が2016年に新京都市観光振興推進計画では、冒頭にこの語源を提示し、京都市での観光振興が単なる産業振興ではなく、文化都市京都としてのミッションであることを提示している。しかしながら、国の光とは何か、観るということは何かという事自体が、時代と共に変化しうるため、語源だけで観光を定義することは難しい。

これに対して、観光客の活動形態からの定義もなされている。例えば、高度成長期の真っ只中には、「自己の自由時間のなかで、鑑賞、知識、体験、活動、休養、参加、精神の鼓舞等、生活の変化を求める人間の基本的欲求を充足するための行為のうち、日常生活圏を離れて異なった自然、文化等の環境のもとで行おうとする一連の行動」(観光政策審議会, 1969)とする定義がなされる。この定義は、「今後の観光政策の基本的な方向について」(観光政策審議会, 1995)において「余暇時間の中で、日常生活圏を離れて行うさまざまな活動であって、触れ合い、学び、遊ぶということを目的とするもの」と再定義されている。

この定義は、「観光」を、対象となる時間が「余暇時間」であること、旅行先が「日常生活圏ではないこと」、旅行目的が「生存や生理活動、業務に関するものではない」といった3つの面から規定している。この定義は、一般の社会において観光施設、観光旅行、観光客といった用語から想起する「観光」のイメージに近いものだと言えるだろう。

さらに、溝尾(2008)は旅行需要は業務出張、親族友人訪問(VFR:Visiting Friends & Relatives)、観光、レクリエーションの4つに区分され、観光政策審議会の定義する観光は、レクリエーションと観光の複合体であると主張している。これは、前述した観光の文化的な側面を重視すると「人間の気晴らしという変化欲求」であるレクリエーション、すなわち、保養休養、遊興、スポーツといった活動を包括することが難しく、それに対応する概念として別途、レクリエーションという概念を提示しているものと考えることが出来る。

この他にも、観光の定義は複数存在するが、多くの整理において「観光」は、余暇時間を対象としている。

これに対し、千(2004)によれば、海外における古典的な「ツーリズム」の定義は、「滞在地に一時的に滞在している人と、その土地の人々との間の諸関係の総体」(グリュックスマン, 1935)、「外客がその滞在中なんらかの継続的ないしは一時的にせよ主要な営利活動を実行する目的で定住しない限りにおいて、その外客の滞在から生じる諸関係および諸現象の総体概念」(クラップ, 1942)とされる。これらの定義には旅行者の「動機」は触れられていない。

さらに、観光消費による経済波及効果を国際的な枠組みで統計整備する取り組みであるTSA(United Nations. Statistical, 2008 )では「ツーリズム」を、以下のように定義している。

” Tourism is more limited than travel as it refers to specific types of trips: those that take a traveler outside his/her usual environment for less than a year and for a main purpose other than to be employed by a resident entity in the place visited”

このTSAの定義では、1年以上、または、出稼ぎを目的とした旅行以外の非日常圏への旅行をツーリズムとしている。これは、溝尾の示した旅行需要(業務出張、VFR、観光、レクリエーション)の全てを網羅する概念である。つまり、ツーリズムでは対象となる時間が余暇時間であるかどうかを問わず、非日常生活圏への旅行であるかどうかのみに注目している。

また、英語圏における一般的な教科書では、ツーリズムを以下のように訪問客(Visitors)と地域の各主体との関係性やそこから生じる相互作用全体がツーリズムであるとしていると定義している(Goeldner and Ritchie, 2009)。

”the processes, activities, and outcomes arising from the relationships and the interactions among tourists, tourism suppliers, host governments, host communities, and surroundings environments that are involved in the attracting and hosting of visitors”

例えば、エコツーリズムやグリーンツーリズムは、単に自然地域や農山村への旅行を示すのではなく、地域の自然環境や文化風習を活かした魅力によって、訪問客を呼び込み、その訪問によって生じる経済効果を、地域の雇用につなげ、もって、自然環境や文化風習の維持保全につなげていくという考え方をもっている。

こうした認識の差が、顕著に現れるのがMICEやビジネス・ミーティング誘致である。これらは海外DMOの重要なミッションであるが、日本だと、観光政策として、いまいちピンとこないのが実情だろう。

「観光」の「ツーリズム」化

なぜ、我が国において「観光」が、単なる旅行ではなく、内面的な動機に注目したものとなっているのかという理由は判然としない。しかしながら、定義されたタイミングが高度成長期のレジャーブーム、バブル経済時のリゾートブームと重なることが一つのヒントとなろう。すなわち、東京を中心とした大都市圏に多くの人口移動が起こり、都市化に伴う多くの問題が指摘されていた時代であったということだ。それにより「国民の心身の健全化に寄与する」という部分に高い注目が集まっていたからではないか。

いずれにしても、日本では観光を需要側の動機面から捉えていたのに対し、海外では供給側となる地域との関係性から捉えた定義となっていたという違いがある。

ただ、21世紀に入ると、我が国においても「観光」の捉え方は、「ツーリズム」に近いものとなっていく。

例えば、2000年の「21世紀初頭における観光振興方策について」(観光政策審議会, 2000)では、「いわゆる『観光』の定義については、単なる余暇活動の一環としてのみ捉えられるものではなく、より広く捉えるべきである。」とし、需要の内容だけでなく、対象となる時間や旅行有無に対しても規定しなくなった。

同答申ではまた、「観光まちづくり」の概念も提示されている。
観光まちづくりとは西村(2002)によれば「地域が主体となって、自然、文化、歴史、産業、人材など、地域のあらゆる資源を活かすことによって、交流を振興し、活力あるまちを実現するための活動」とされ、多くの地域が目指すべき地域づくり手法として位置づけられている。

これは、20世紀前半にグリュックスマンやクラップが定義した「ツーリズム」の概念に近いが、日本的な観光概念が加わることで文化性や地域振興面を強化されたものとなっている。
「観光」を需要側の概念として残しつつ、「観光まちづくり」という形でツーリズム(着地での相対的な相互作用)の概念を持ち込んだと考えることができる。

「観光」を、需要側ではなく、より地域振興政策に整理したのが「国家的課題としての観光」(松橋委員会, 2002)である。同委員会では、観光をツーリズムと同意であるとした上で、観光活動を維持させる社会システム全体を観光(=ツーリズム)とし、そこには、空港や道路といった社会資本および、休暇制度や税制といった施策も含まれるとしている。

このように21世紀に入り、「観光」の概念が、「ツーリズム」に近づいたのは、政策面において「大都市住民の福祉」という側面が薄まり、(インバウンドによる)経済振興のための手段という側面が強まってきたためと考えられる。

希薄なホスピタリティ・マネジメント概念

観光概念のツーリズム化については、観光に単なる旅行を超えた意味を含意させていた観光系研究者からの批判も少なくない。しかしながら、観光が、地域振興の手段として認知され、政策展開される中では、必然的な変化だと考えることもできる。

ただ、そうした概念変化が起きても、日本において広がりがでてこないのが「ホスピタリティ・マネジメント」である。

ホスピタリティ・マネジメントは、ホスピタリティ産業の経営学であり、海外、特に米国において確立された概念となっている。
扱っている領域(視野や視点)は「観光(およびツーリズム)」に近いというか重なる部分も多いが、視座は大きく異なっている。
これについては、既に、何度か整理しているので、以下を参照いただきたい。

観光を地域振興の手段として利用するのであれば、その原動力となるのは、ホスピタリティ産業である。よって、素直に考えれば、この産業を強化する、すなわち、ホスピタリティ・マネジメントを普及、高度化していくことが、合理的な方策であろう。

しかしながら、我が国においては、この領域の取組は進んでおらず、いわゆる舶来物としての「外資系」ブランド移入が促進される傾向にある。例えば、昨今、賑やかになっているIRであるが、サービス経済社会に向けた国家的なプロジェクトであるにも関わらず「外資」との連携が前提となっている。

他方、所有と経営を分離するなど、国際的なビジネスモデルで展開する国内チェーン・ホテル・グループに対する風当たりは強い。
海外では当然のもので、海外ブランドが取り組むのは評価するが、国内ブランドが同様に取り組むと否定的に捉えられる…という状況にあるわけだ。

この構図は、米国の自動車産業が圧倒的に強者であった1930年代に、工業技術は50年は遅れていると言われながら、国産化に取り組んだトヨタ自動車が銀行から冷遇されていた構図に似ているのではないか。
そして、そうした事業環境の中でも、トヨタ自動車が「ふんばって」自動車産業を立ち上げることが無かったら、今の日本経済は存在しないことを考えれば、我々は、大きな選択ミスをしているのではないか。

ホスピタリティ・マネジメントを盛り上げるには

観光に注目が集まりながら、ホスピタリティ・マネジメントに注目が高まらない理由はわからない。ただ、いくつかの背景は指摘できる。

まず、20世紀の「観光」概念の存在である。
前述したように20世紀の「観光」概念では、需要側の動機に焦点が当てられている。これは国民(旅行者)の心身の健全化に視座があり、営利的、事業的な側面は弱い。21世紀に入って展開された観光まちづくりの概念においても、同様である。

観光関係者においては、営利的、事業的な側面は弱いだけでなく、むしろ、それを否定的に捉える論調も多い。これは、レジャーブームやリゾートブーム時の狂乱的な乱開発に対する反省もあるだろう。多額のカネによって、地域の文化や景観が無秩序に破壊された/喪失してしまったという「事実」は、反省すべき事項だからだ。

さらに、日本の文化では、金銭的な話をするのはタブー視される傾向にある。特に「汗水たらして」という精神論が評価される風潮が強い日本社会では、頭脳労働的な経営については、避けられやすい。

今でこそ、MBAを始めとする高等教育機関での経営人材育成は、一定の社会的プレゼンスを有しているがサービス業、特にホスピタリティ関連については、その限りではない。

もう一つの問題は、ホスピタリティ関連事業者の多くが、中小零細企業であるということがある。そのため、産業の高度化においては、企業再編が避けて通れない。これは、出血を伴う改革となるから、地方創生とは相性の悪い部分がある。

おそらくは、これらが複合的な理由となって、観光(ツーリズム)への注目が高まるのに対して、ホスピタリティ・マネジメントへの注目、ホスピタリティ産業振興への関心が高まらないのだと考えられる。

ただ、これは、かつてのトヨタ自動車が直面していた構造も同様だったのではないか。

我々は、時代の転換点にいる。
過去の常識ではなく、サービス経済社会に対応した新しいパラダイムで考え、行動していきたいものである。

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