一般的には、マーケティングの主要な要素であるのに、なぜか、観光の現場で、あまり語られない要素の一つに「顧客の所得階層」があります。

例えば、来訪者アンケートを実施している地域は数多いですが、その項目に本人や世帯の年収を入れ込んでいるところは少ないですし、ターゲッティングにおいて所得階層を意識しているところも少ないのが実情です。

この背景には、お金の話をするのは「はしたない」とされてしまう日本ならではの意識とか、マーケティング重視と言いながら「誰でも来てくれれば嬉しい」という意識があるように思いますが、所得は、人々の行動を規定する大きな要素です。特に、観光は上級財(所得が上がるにつれて消費が増える)であり、経験財(経験することで価値評価ができるようになる)であるため、所得は大きな意味を持つことになります。所得が低ければ、消費対象とならないし、消費=経験したことがなければ、その認知や価値評価も高まらないからです。

そこで、所得階層によって旅行の状況がどう変わるのかということについて、簡単な整理をしておきます。データは、公益財団法人日本交通公社の旅行者調査(2016−2019年の旅行実績)を使っています。

旅行費用の違い

所得と観光との関係と聞いて、まず、想起されるのは旅行時の消費額。

そこで、世帯年収と1回の旅行時の費用(1人あたり)について整理すると、以下になります。

所得(世帯年収)が上がるにつれて、1回の旅行費用(1人あたり)も増大していく傾向にあることがわかります。これは、観光が上級財であることを示しています。

来訪回数

次に、旅行先への来訪回数について尋ねると、以下のようになります。

全体的に世帯年収が高いほうが、来訪回数も高くなりますが、特に、世帯年収が500万円を超えてくると、その傾向が顕著となっていることがわかります。

前述したように、観光は経験財であり、経験量によって、価値評価が変わっていきます。所得が高い人々は、それだけ旅行の経験数が多く、その中で評価した地域については、再訪する機会も増えていくという関係があることが伺えます。

泊数

泊数との関係を見てみると、これは所得階層と、あまり大きな関係はないことがわかります。

ただ、800万円以上では、泊数が増える傾向にあり、400−800の間では1泊から2泊へのシフトが、ごくわずか起きています。

泊数については、先日投稿の別コラムのように、高所得者において泊数が伸びる傾向にありますが、それだけではないということが伺えます。

着地型ツアー

最後に、着地型ツアーの実施率との関係。

旅行費用でも明らかですが、オプショナルとなり(必ずしも安価ではない)着地型ツアーは、世帯年収が高まることで、その参加率が高まっていきます。

所得に注目する意味

以上、見てきたように、所得が高い人は、それだけ旅行を実施し、多く消費し、(気に入った所には)何度も足を運び、興味を惹かれるアクティビティがあれば現地で滞在することになります。

これは地域が取り組んでいる「観光地域づくり」の取り組みに反応してくれる人々は所得が高い人々である、より具体的に言えば、世帯年収800万円以上のような人々あるということを示しています。

ここまでは、まぁ、そうだよねぇという話でもあるわけですが、問題となるのは、所得分布です。厚労省の資料を参照すれば、世帯年収の中央値は437万円、平均で552万円。平均以下の世帯が61%という所得分布となっています。

2019年 国民生活基礎調査の概況(厚労省)より

もともと、コンスタントに宿泊観光旅行を行っているか否かのボーダーは世帯年収500万円程度にあります。が、それ以下の人々が旅行をしないわけではなく、頻度は下がる(数年に1回)ということになります。結果、宿泊観光旅行をしているのは、国民の5割となるわけです。

その中でも、800万円以上というのは、更に、絞り込まれていくセグメントとなります。

漫然と「高額所得者に来てほしいなぁ」と思っているだけで、獲得できるものではありません。彼らに関心を持ってもらい、来訪につなげるには、相応の取り組みが必要となります。

その第一歩は、顧客の年収に興味を持つことです。「はしたない」と目をそむけていれば、そこに切り込むはできません。

ライフスタイルかディスプレイか

もう一つ注意が必要なのは、最終的には「思い入れ」が重要だということです。

私は、消費パターンを次図に示すように4つのパターンで整理しています。

多くの商品サービスは、コモディティ消費の対象となっており、価格競争に巻き込まれることになります。そこから離脱するには、消費者(顧客)が、その商品サービスを消費する(経験する)ことが、自分にとって特別なことであるということを認識することが求められます。

その「特別」を、承認欲求という形で整理したのが、以下の図となります。

行動に当たっての承認欲求別消費パターン(筆者作成)

所得が高くても、必ずしも高額の商品サービスを消費するわけではありません。「十分な所得がある」というのは、高額の支出における必要条件であって、実際の支出額は、顧客が感じる「特別さ」が鍵となります。

ただ、所得は、多くの人にとって積分的な意味を持ち、また、観光サービスが上級財であり経験財であります。同じ年収800万円でも、20代で800万円と、徐々に所得を上げたことで50代で800万円では、それまでの経験値は大きく異なり、結果、観光に求めるものは異なってきます。

自身が築いてきた経験に基づいたライフスタイル消費なのか、収入が増えたということを確認し示すためのディスプレイ消費なのか。それによって、志向される経験の中身も変わってきます。

それらを理解する上でも、所得というのは、大きな意味を持つのです。

階層意識が希薄な日本だからこそ

総中流社会ではなくなったと言われて久しいですが、一方で、欧米のような階層が明確にできている社会ともなっていません。階層というのは、所得だけでなく、特定のライフスタイル、行動様式、規範が紐付けされることが必要ですが、そういう状態にまでは至っていないからです。

とはいえ、冒頭で示したように所得というのは、個々人の行動を左右する要素となります。さらに、それが経年で積分されていくことで、観光サービスに対する欲求も評価点も変わっていくことになります。

「階層」が明確ではないからこそ、所得を鍵に、分派していくそれぞれのライフスタイル、行動様式をイメージし、マーケティングに活かしていくことが重要となるのではないでしょうか。

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