まず、最初に述べておきたいのは、私は日本酒が好きだということだ。

海外にも美味しいお酒は沢山あるが、帰国すれば、やはり日本酒を飲みたいと思う。そのため、自宅近くにある地酒を扱う酒屋は、顔パス状態にもなっている。

この日本酒、海外展開も進められていて、その輸出量は増大傾向にある。
この背景には、関係者各位の尽力があることは間違いない。

出典:SAKETIMES

基本、万国共通の酒は、ワインである。
どこの国の飲食店でも、ほぼほぼ「ワイン」は用意されているし、国際線の機内食でワインが選択肢に無いことは、まず無いだろう。

日本酒を国際的に流通させるということは、このワインの座に食い込む必要がある。

日本酒業界の人達も、それは熟知した上で、多様なチャンネルを使って日本酒というジャンルを、海外の「美食家」に差し込もうとしている。その成果が、輸出量の増大であると言える。

ただ、この取り組みを進めていけば、国際的に認知されるものとなり、バンバン日本酒が海外輸出されていくのかと考えると「微妙」…と感じている。

まずは、ワインの圧倒的なコストパフォーマンスである。
先日のスペイン出張でローカルのスーパーに並んでいるワインは、軒並み、1〜3ユーロ(もちろん、ボトル)。スペインの有名なスパークリングワインであるカバですら、3ユーロしない。
そのため、飲食店でも10ユーロくらいで、いろいろなワインを選ぶことが出来る。

もちろん、これは格付けなど無いような無名ワインとなるが、それでも、普通に飲んで美味しいワインが720mlボトルで、300〜500円で提供できてしまうというのは、圧倒的である。

日本酒でも720mlボトルで500円という製品は、存在しなくは無いが、「美味しい」か言えば微妙だし、これに輸出経費がかかることを考えれば、価格競争力は、ほぼゼロとなる。

一方で、ワインは、格付けがついてくると、それこそ青天井で価格があがる。
つまり、ワインの価格帯は720mlボトルで、数千円、数万円まで広がる。

そもそも、日本酒造家は零細事業者が多く、大量に安価な日本酒を販売することで儲けるということは難しい。取りうる選択肢は、少量生産で高価に販売することしか無い。

そこで、日本酒のマーケティングとしては、より品質が高い数千円レベルで「勝負」と考えるのは必然となる。フランスやイギリスで、日本酒を対象としたコンクールやコンテストを展開しているのは、そのためだろう。

しかしながら、それはワイン醸造家も考えることである。
もともと、ワインは、その歴史の中で、多様でありながら体系化された格付けがプロトコルとして確立されている。

ワイン醸造家は、そのプロトコルに従えば、一定の格付け(=価格)を獲得できるのに対し、日本酒の場合は、このプロトコルを造るところから始める必要がある。

例えば、冬のニセコには、沢山の(富裕層に位置づけられる)外国人が来訪している。そのため、地元のスーパーでは、その5万円を超える生雲丹や、100gで2300円を超える牛肉が売っており、ワインも720mlボトルで2万円超えがぞろぞろ。でも、日本酒は、その2.5倍の容量で1万円がやっとという状況である。

これは一重に、相対的に比較可能な格付けが日本酒にはないためと考えられる。

筆者撮影(2019年3月7日)

醸造酒の中に、ワインのそれと並行するような日本酒格付けプロトコルを確立していくことは不可能ではないかもしれない。
それでも、まだ、日本酒には超えなければならない壁がある。

それは、時系列的な経済価値である。
ワインは、その種類や格付けに加え、保存年数も、その価格に影響することになる。そのため、ワインには「投資」や「資産」という側面も生まれてくることになる。ワインセラーが、金庫のような趣きを持つのは、そのためである。
一方で、日本酒は、一部「古酒」という考え方はあるものの、基本、醸造年が一番価値が高く、数年立てば、価値ゼロとなることが一般的である。

言ってみれば日本酒は「ヌーボー」に該当する商品でしか無い。

「ヌーボー」を考えればわかるが、その価値を高めるには、大量かつ迅速な配信が必要であるため、物流がに大きな負担をかけることになるし、格付けを背景とした価格設定も難しくする。

零細な日本酒造家が多く、それぞれの製造量に限界があることを考えれば、ヌーボー方式は、とても相性が悪い。

サービスとしての輸出

こうしたことを考えると、日本酒を戦略的な輸出品にしていくことは、かなり困難であるように思う。

一方で、日本酒が持つ味わいを国内だけに留めてしまうのは、非常に勿体無い…とも思う。

ここは、製品としての輸出にこだわるのではなく、日本酒を文化、サービスとして輸出する方式に変換することが有効ではないか。

具体的には、日本酒の製法を規格化し、それを海外にライセンスすることで、諸外国でも「日本酒」を製造できるようにする。ライセンス先には酒米を提供したり、醸造プラントを提供したり、杜氏を派遣したり、日本国内での研修(修行)も支援したりすることで、その製造を支援する。
さらに、日本酒のコンテストを国際的に行うことで、高品質な日本酒については箔付けをしっかりと行うことで、その価値形成を支援する。

これらの取り組みを、現地の日本食レストラン、(日本酒に造詣のある)料理人などを巻き込んで展開することができれば、更に、面白い展開となるのではないか。

これは、言ってみれば柔道方式である。

別に、日本人でなくても、柔道を嗜む人々を増やせば、柔道を盛り上げていくことは可能だということだ。

日本酒の物流コストや通関が大きなハードルになっていることを考えれば、消費地に近いところで、生産するほうが効率が良いに決まっている。

また、サービスとして日本酒を捉えるということは、日本酒を単体ではなく、日本酒を飲む経験を売るという選択肢も出てくる。例えば、日本食は既に世界的に地位を築いているし、日本酒の材料となる酒米は日本の農耕文化と密接な関係を持っている。

こうした食事や文化とのマリアージュを進めていけば、日本酒に「酒」以上の意味を持たすことが出来るようになる。

例えば、現在の輸出量2500万リットルは、訪日客3000万人とすれば、1人あたり5合弱の量に過ぎない。これは「物」としての輸出になるが、経験として提供する場合、その価値は3〜5倍に跳ね上がる。なぜなら、飲食店において酒類の原価率は20〜30%位だからだ。
足元の訪日客の消費量を増やすことの重要性がわかる。

そう考えれば、サービスとして日本酒を捉える第一歩は、訪日客にしっかりと日本酒を味わってもらい、そのファンになってもらうことであると指摘できる。日本酒が単なる酒ではなく、それを味わう時間を経験とできれば、日本酒の価値は高まることになるし、その高まりは、海外で日本酒を醸造しようという人々を惹きつけることにもつながっていくことが期待できる。

もっとも、こうした形での国際化は、柔道と同様に、いつのまにか主導権が海外に渡ってしまうリスクも内包している。
また、海外で日本酒がガンガン作られるようになったら、安価な(海外産)日本酒が逆輸入される…なんていう事態が起きるかもしれない。

しかしながら、そうしたレベル感での「競争」環境に持ち込まないと、日本酒の国際化にはつながらないのではないか。

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