2019年12月7日、観光業界に衝撃をもたらすニュースが駆け巡った。
このニュースを受け、翌々日の12月9日は、旅館経営者の永山氏より、観光経済新聞を通じて、反対意見が提示された。
また、同日、カジノ事情に詳しい木曽氏からも、違う視点からではあるが、反対意見が出されている。
これに触発されるように、新聞なども批判的に書き立てるようになっている。
その他、いろいろな論調はあるものの、ともかく、「すこぶる評判が悪い」。
これについては、個人のFBにおいても、少し触れたが、観光振興策についての、いろいろなすれ違いを象徴する事象だと思うので、改めて整理しておきたい。
なお、冒頭でエクスキューズしておくが、私は、この取組について消極的賛成という立場である。かなり危うい部分もあると思っているが、これくらいの事をしないとビハインドは取り戻せないとも思っているというのがその理由である。
Q.なぜ、高級ホテルが必要なのか
まず、議論となるのは「高級ホテルが必要なのか」という話だろう。
否定的な立場の人も、単価アップが見込めるアッパーな宿泊施設が必要ということ自体は、強く否定していないが、ソーシャル上の言説では災害復興の途上なのに、高級ホテル誘致は「脳天気」だという指摘は少なくない。
政府では、訪日客に関する統計を取得しているが、その取得項目には「年収」も含められている。この年収データと、日本国内での消費額の関係性を見てみると、両者には有意な相関が確認できる。さらに、消費項目別にみてみると、宿泊費は、特に強い相関がある。
※なお、以上の分析は、一般公開の資料には含まれず、私が国家公務員時代に生データを取得し、独自に分析したものである。
日本のホテルは、たとえ安価なビジネスホテルであっても、清潔で安全であることを考えれば、「宿泊する」という機能的価値だけでいえば、普及クラスであろうと高級ホテルであろうと大きく変わらない。その中で、高年収な人々が、より高い費用を宿泊に投入するということは、彼らが宿泊サービスに対して機能的価値だけでなく情緒的価値を欲していると考えられる。
この結果は、「高級ホテルが無いと、国内で多額の消費をするような富裕層の誘致ができない」という言説を、一定程度、裏付けるものである。
「明日の日本を支える観光ビジョン」で設定した目標値に対し、人数はともかく、消費額は達成見込みが低い状況を打開するには、消費単価が高い人々の呼び込みが重要であり、そのためには高級ホテルが必要というロジックとなる。
Q.なぜ、地方なのか
高級ホテルは、既に東京や京都、沖縄などでは立地している。それにとどまらず、なぜ、「地域」に高級ホテルの整備を目指すのかという指摘もある。
これは、現在の観光政策(国レベル)が、地方創生の文脈で展開されていることと無関係ではない。地方創生の発端は、消滅可能性都市を指摘した、いわゆる2014年の前田レポートをきっかけとしている。端的に言えば、定住人口が減少することは避けられないから、訪日客を大きな柱とする交流人口によって地方の経済規模を維持していこうということだ。
統計上、地方にも観光客は訪れるようになっているが、その内実を見ていくと、数時間しか滞在せず消費もしないクルーズ客やツアーバス客であったり、宿泊をしても、安価なビジネスホテルなどが主体であったりと、地域経済を支え得る状態にはなっていないことが多い。
政府としては、「明日の日本を支える観光ビジョン」における消費額目標の量的な達成にとどまらず、地方創生の達成のためには、地方部に高単価客を呼び込むことも求められる。
そのための解決策が「地方に高級ホテル」という政策と考えられる。
ただ、これは永山氏が指摘するように、民間レベルで調整されている需給構造を歪めるリスクを内包している。
Q.なぜ、外資系なのか
報道で明示的に示されているわけではないが、今回の政府が言うところの「高級ホテル」とは、国際的にブランド確立されているハイブランド・ホテルとされる。具体的には、フォーシーズンズとか、リッツ・カールトン、パーク・ハイアットなどである。
永山氏が指摘するように、各地に少なくない高級ホテル/旅館は存在しているにも関わらず、外資系のホテルGを想定した施策となった理由は、おそらく、ホテル・ブランドによる集客を想定しているためだろう。
高年収者は、宿泊サービスに対して情緒的価値を求める傾向にあることは前述したが、情緒的価値というのは、顧客と事業者との関係性によって形成される。これは「相性」といった言葉で代用できるかもしれない。
車で例えれば、同じドイツの高級車であっても、メルセデス・ベンツのSクラスと、BMWの7シリーズ、AUDIのA8には違いがあり、それぞれに強固なファンがいて、なかなか「浮気」はしない。ドイツ車であっても「違い」を認識して使い分けられているのに、レクサスのLSを提示しても、ホイホイと乗り換えることは無いだろうということだ。
これは、同じく「高級」であっても、他ブランドでは代替が効かないということにもつながる。
特に、各ホテルGは、CRMを徹底しており、顧客の囲い込みを熱心に行っている。特に高単価となる顧客層の維持については、各G、並々ならない取り組みを行っている。これは、顧客にとっては「心地よさ」につながり、よほどのことが無い限り、自身が選好しているホテルがなければ、そこへの旅行自体を検討しないということだ。
これは、特定の航空会社のマイレージ会員、それも上級会員は、その航空会社の就航先からバカンス先を選ぶのと同じ…と言えば、想像がつくだろうか。
実際、私も、かなり国際ブランドとなっているニセコであっても「フォーシーズンズが無いから行かない」という話を、某国際企業の知人から聞いたことがある。
こういう構造にあると、そもそも、国際的なハイブランド・ホテルがあるかないかで、来訪者がフィルタリングされてしまうことになる。
つまり、外資ブランドのホテルが無い時点で、ある一部のセグメントの人は旅行先から日本を外してしまうということだ。
政府の方針は、ここにリーチしようというものであるが、地方創生を考えたら外資だよりで良いのかという話は厳然と残る。
Q.なぜ、財政投融資なのか
仮に、「地方」に「高級ホテル」を新設することが政策的に有効だとしても、なぜ、それが財政投融資という資金を利用したものとなるのか。それは適切なのか。
まず、ネット上で指摘されている「災害などの復興も不十分なのに、一部の関係者しか恩恵を受けることの無い高級ホテル施策に公金をつぎ込むのか」という指摘であるが、これは、「だからこそ財投なのだ」という理由となる。
なぜなら、財政投融資というのは、(原則として)税金を原資にしておらず、特定の事業のために、国が市場から資金調達をして貸し付けたり出資したりする制度だからだ。
つまり、国としては(現在の多くの観光政策のように)税金を使うという選択肢もあるが、この「地方に高級ホテル」事業については、国が担保となって市場から資金調達をしようとしているのは、税金使途の優先度においても、民間事業に税金を原資としてつぎ込む是非においても不適と判断した結果だろう。
なので、仮にこの政策が走ったとしても、構造的に震災復興事業や、福祉事業、さらには、他の観光政策などの予算が圧迫されることは無い。
ただし、「穴」が出た場合には、一般会計で補填することになるから、完全に独立しているわけではない。
更に、財政投融資は、今まで、その使途や管理、運用について問題視されることが多かった手段でもある。これは税金ではない分、国会などでの管理が弱まる傾向にあるからだ。
もともと、貸付や出資は難易度の高い取り組みである。
例えば、リターンを得ることを前提に組成されている政府系投資ファンドは、投資のプロが投資先を検討しているが、それでも、順調に利回りを上げているとは言い難い。
今回についても、十分な事業性検証がなされないまま融資/出資が展開されるのは論外としても、仮に、しっかりとした事業性検討がなされたとしても、成功するかどうかを見通すことは難しい。
Q.なぜ、競争環境を崩すのか
こうした状況の中で、事業者が強く反発する理由は、政府が融資/出資する高級ホテルが、周辺の純民間事業者による宿泊施設と競合するのではないかという危惧がある。
純粋な民間事業者同士であれば、(そこに法令違反などが無いことが前提だが)その結果は、事業者自身が責任を負うべき話である。しかしながら、財投とは言え、公共系の資金が投下された事業者と、そうではない事業者では、その競争は平等とはいえないだろう。
ここでの論点は、既存施設(事業者)と、政府支援の高級ホテルがカニバル(共食い)のか?ということになる。永山氏は、かつての「公共の宿」を事例にあげているが、政府としては、公共の宿は、国民生活、福祉の向上が政策目標であり、今回のソレとは位置づけは異なるという整理であろう。
確かに、普通に考えると、政府支援の高級ホテルとカニバルのは、同様の価格帯の高級ホテル・旅館となる。そして、政府は、高級ホテルが無い地域に、高級ホテルを立地させることを目的としているのだから、そうした競合となる施設は存在しないということを想定しているのだろう。
が、事はそう簡単ではない。
現在、宿泊事業はダイナミック・プライシングが「当たり前」となっているため、閑散期には、高級ホテルも大幅なディスカウントをすることが往々にしてあるからだ。上位のホテルが値段を下げてくれば、中位・下位のホテルは更に値段を下げざるをえなくなる。
同じクラス、価格帯でなくても、カニバリズムを生じさせる可能性はあるのだ。
なお、ハイブランドのホテルは、ディスカウントすることがブランド毀損につながる恐れがあるため、パッケージ料金にするなどして単価が見えにくくすることも多い。そのため、こうした問題が認知されにくい部分もあるが、宿泊業界では「当然」のことである。
結局の所、カニバルかカニバラないかは、その地域の集客規模が増えるか否かにかかわっている。特に、閑散期が存在する地域においては、大きな影響が出てくることは否定できない。
Q.なぜ50施設なのか
では、なぜ高級ホテルの目標が「50施設」なのだろか。
これが、実のところ、最も重要な点だろう。
現在、訪日客数は約3000万人。2030年目標は6000万人である。
現在、年収2000万円以上は約5%であるから、現状のストックでも150万人分の需要には対応できていると考えられる。
仮に、2030年時点の年収2000万円以上の目標を10%とすると、600万人となるため、差分となる450万人分の需要に対応できるストックが必要となる。
ただ、これらを全て、新規整備しなければならないわけではない。
既存ストックの稼働率を高める余地があるからだ。
すなわち、既存ストックの稼働率アップと、新規施設整備のあわせ技となる。
前者について言えば、リゾートホテルの稼働率は、概ね60%。シティホテルは80%とされるから、仮に、シティホテルレベルの稼働率が実現できれば、現在の150万人分ストックは、200万人に対応できるストックとなる。
よて、新規整備が必要なストックは400万人。
これは年間の実人数であるから、仮に平均6泊(観光レジャー目的者の現在の平均値)とすれば、2,400万人泊。これを単純に365日で割ると、約7万ベッドとなる。実際には、シーズナリティがあるから、稼働率目標80%で割り戻すと、約9万ベッドとなる。
高級ホテルのベッド数は、200(パークハイアット・ニセコ)〜600(ハレクラニ・沖縄)と施設によって、かなりのばらつきがあるが、仮にハレクラニ・クラスの600としても、整備が必要な施設は150にのぼる。ハレクラニ・沖縄は、かなり大規模なので、現実的には、その数倍、数百単位での整備が必要となるだろう。
つまり、政府目標である6000万人を、消費単価向上(15兆円が目標)も含めて取り組むのであれば、実は、50でも「全然」足りないという状況にある。
これは一種のフェルミ推定であるため、細かい数値を論じても意味は無いが、政府目標を前提とするのであれば、2030年までに、数百の高級ホテルが必要となるわけだから、その実現のために、政府支援で50程度のホテル立地を支援するということは、むしろ、「当然」の施策であると考えることもできる。
すなわち、「高級ホテルを50施設整備する」ということの是非は、2030年に6000万人/15兆円という目標をどう考えるかという事によって、大きく左右される。
では、どう考えるのか
以上、見てきたように政府には、政府なりの「言い分」はある。
政府自身が立てた目標達成のために、必要だと考えたことを、自身が実施可能な政策から選択して組み立てて出してきたと見ることもできる。
ただ、地域に、高級ホテルを、財投をつかって、50施設整備することを支援する…という話だけが出てきてしまうと、かなり危うい部分が多く出てくることは否定できない。
特に私が危惧するのは、この政策が動いた場合、政府はおそらく、需要が張り付いていない地域に箇所付するだろうということである。
民間事業者が自立的に投資していく地域を支援する必要は乏しいと考えるだろうからだ。
そもそも、観光客は偏在するものである。また、観光産業は集積の経済が作用するから、できるだけ地域に多様な事業者が集中的に立地していることが望ましい。
これを考えれば、政府が、観光空白地を立ち上げるための手段として、この政策を使おうとすれば、かなり悲惨な結果となるだろう。それは、バブル期の投資を考えれば、容易に想像できるだろう。
むしろ、やるべきことは、それなりの集客規模を持っている二番手グループを、育てていくことだろう。二番手グループの基本的な競争戦略は一番手グループに対するチャレンジャー戦略となるから、そこを支援するということだ。
こうした二番手グループは、既に、それなりの集積が進んでいるから、ポンと政府支援で高級ホテルを一軒つくっても、あまり意味はない。むしろ、前述したようなカニバリズムのリスクも発生する。
そのため、地域の既存事業者と共に、補完・相乗関係が発揮できるような全体計画をつくり、それに基づき、集中的な投資を行っていくことが必要だろう。つまり、単体のホテルのみを投資判断対象とするのではなく、地域サイズで俯瞰して考えるということである。
また、その際、落下傘のように東京の不動産会社が、東京のホテルマネジメント会社に、外資ホテルのバッチを付けて経営する…という形ではなく、地元のホテル/旅館経営者のアップグレードや横展開を支援するという視点があっても良いだろう。
例えば、釧路市の阿寒湖畔においては、鶴雅グループが、横展開を行っている。地域に根ざした一つのグループが横展開することによって、カニバリズムは当然のように回避することができる。同じように、沖縄県では、かりゆしホテルGが、ビジネスホテルからアッパーなブランドホテルまでをフルラインナップしながら、どんどん参入してくる米国ホテルGのバッチをつけたホテル群との競争を行っている。
こうした国内企業を、しっかり支援するということは重要な視点である。
仮に米国ホテルGのバッチが、集客ブランドとして重要だとしても、既存の運営会社はそのままにバッチを変えることも可能である。例えば、沖縄県の恩納村にあるシェラトンは、もともとは、サンマリーナという地場のホテルであり、運営者自体は、大きく変わっていない。投資家が入り、リノベーション投資を行い、経営改革を行った後に、更に付加価値をつけるためにリブランドを行った結果である。そうした支援を行う政策としても良いだろう。
日本の事業者は、これまで日本人を対象としてきたため、高年収者への対応が苦手なことは否めない。そうしたノウハウを持ち、さらに、CRMによって顧客にリーチできる手段をもった米国ホテルGの力を借りることは、否定されるものではない。
ただ、本来の目的である「観光による地域振興」を実現するには、サービスを生み出し提供してく仕組みを、国内や地域でしっかりと作り上げていくことが必要だろう。
それができなければ、例え、観光消費が増えたとしても、住民は豊かにならないという世界から抜け出していくことは難しい。
端的に言えば、地方創生の名のもとに、バラマキ的に使ったり、投資促進という名目で、暴力的な不動産投資を誘発したりということではなく、地域や事業者・産業を育てていくという立場に立って政策を展開していくことが必要だということだ。