日本経済は、90年代後半以降、低迷期へと突入し今日に至っている。

この原因は様々に指摘されているが、私は本サイトで再三指摘しているように、サービス経済社会への適応が遅れていることが原因だと考えている。

日本においても、サービス業(第3次産業)がGDPや就業者の過半となっていることが示しているように、サービス業はすでに経済の主体である。これは国際的に見ても同様であり、第1次産業や第2次産業が主体となっている国や地域は限られている。

そのため、世界の国々や地域はサービス業、サービス産業を主体に経済を回していくことが求められている。この波にうまく乗れているところは堅調に推移することができるし、乗りこなせないところはジリ貧となっていく。ある意味、とてもシンプルな構造だ。

ただ、ここで一つ疑問も出てくる。日本も第3次産業主体になっているにも関わらず、なぜ、「イケて」ないのかという話である。

私は、この理由を第3次産業が、製造業社会の時と変わっておらず、 新しい時代に対応して経済を牽引するような産業(事業者)が育ってきていないからではないかと考えている。

宿泊業でのサービス経済化

例えば、宿泊業を考えてみよう。

もともと、宿泊業は第3次産業にカテゴライズされる業種であるが、1980年代くらいまでは、観光地や都市に不動産を持つ人々が施設を建設し、運営するというパターンが一般的だった。このモデルは、農地を開拓し農産物を生産する、工場を建設し製品を製造するという事業モデルと大きな違いはない。

しかしながら、1990年代くらいになると「それまで常識」と思われていた「施設」を手放す事業者が出てくる。コアコンピタンスに代表される経営手法の視点から経営資源を見直した結果、施設(固定資産)を事業上の重荷とみなし、これを切り離すことで、宿泊事業経営の幅を広げようとしたのである。

さらに、固定資産となる不動産についても、証券化という事業手法が展開され「相応の利回りが期待できる」のであれば、資金を集めることが容易となった。固定資産を切り離し、経営・運営に特化した事業者は、そうした「利回りへの期待」に応える事業を行うことで、一気に、自身が運営する施設を世界中に広げていくことになる。

そうやって大量の施設を展開し、一定のクオリティで宿泊サービスを提供することで、利用者からの認知を高め、利用者からの「選択される」ことを目指すようになっていく。

2000年代になってくると「宿泊サービスで市場から認知されたのであれば、その対象はいわゆるホテルにとどまらず、もっと広げられるのでは?」という話が出てくる。そうやってブランド力をもったホテル・オペレーターは住宅系不動産「コンドミニアム」の運営に乗り出していく。さらに、近年では、賃貸を想定していない個人住宅(いわゆる民泊)のオペレーションにも乗り出すようになっている。

https://www.travelvoice.jp/20190507-130494

押し寄せるコモディティ化

2000年代以降、同時並行で起きたのがOTAの登場である。それまでは旅行会社が宿泊施設を選び、利用者に選択肢として提供していたが、OTAは、利用者が宿泊施設を選ぶという形態に変化させた。前述のようにブランド化された施設は、その中でも選択的に選ばれるが、それ以外は、その他大勢の施設(コモディティ)としてデータベースの波に飲まれ、利用者からみれば「どれでも良い」透明的な存在となる。

こうした宿泊施設のコモディティ化は、宿泊施設と住宅との違いについても透明化させていく。宿泊さえできれば良いとなれば、宿泊サービスのために特別に用意された施設である必要ですらなくなるからだ。

「資産」のサービスとしての調達

さて、こうした状況において宿泊サービスにおいて「新しい時代に対応して経済を牽引するような産業(事業者)」は誰かと考えれば、ブランド化に成功した一部のホテルチェーンと、OTAなどのプラットフォーマーの2種であろう。

これらに共通するのは、固定資産を経営資源の核においていないということだ。
宿泊事業において、固定資産は必須であることに変わりないが、ファンドや不動産会社に所有させ(売却し)、それを借り受けるという流れが常道となっている。また、従来の旅行会社ではホテルの客室を仕入れていたが、OTAなどのプラットフォーマーは、仕入れをしないで成立する事業モデルを構築している。

つまり、「持っている物」で勝負するのではなく、「顧客経験につながるサービスを生み出す仕組み」で勝負している。

こうした自身が持っている物に(過度に)依存しない動きは、様々に広がっている。例えば、人材は派遣社員や契約社員などによって長期に渡って保有するのではなく必要に応じて確保するようにしたり、資金についても自己資金(負債を含む)にこだわらず、ファンドからの出資など多様化している。

実は、こうした動きは、宿泊事業のようなサービス業に留まらない。例えば、アップルは製造業に分類されるが、自身では製造工場をもたないファブレス企業であり、物は持っていない。また、製造工場を持つ企業であっても、人は派遣や契約として抱え込まず、減産や工場閉鎖が容易にできる体制としている。また、スタートアップに象徴されるように、自己資金がなくても、魅力的なビジネスモデルがあれば出資を得られるような環境も整ってきている。

業種に限らず、自身で囲い込むことが求められた経営資源を、サービスとして確保することが可能となったわけだ。抱え込むのではなく、サービスとして必要な時に必要なだけ利用できるようにすることで、自身が持つユニークなビジネスモデルの強化に取り組むとともに、環境変化への対応力を大幅に高めて行くことができるようになってきている。

私は、こうした社会構造が「サービス経済社会」だと考えている。

サービス経済社会での地域と産業の関係

こうした変化は、地域振興における、地域と産業(事業者)との関係性も大きく変化させることになる。

従来であれば、有形の人・物・金を集めることが経営の基本であったから、地域に産業を興せば、必然的に、その地域に人・物・金が集積した。つまり、人口を増やし、固定資産を増やし、住む人や設備投資に関連した消費や投資が相乗的に増えていくことになった。

が、今日の経済を牽引しているのは、無形の仕組み(知財)を持っている産業・事業者であり、彼らは、必ずしも人・物・金を固定的に保有しようとはしない。

例えば、国際的なホテルチェーンのホテルが、地域に進出して、そのホテルが黒字を出したとしても、その黒字は「仕組み」によってもたらされたものであるから、その仕組みを持つオペレーターや、建物を提供している不動産会社のものとなる。黒字になったからと言って、必ずしも、そこで働く人の収入が増えるわけでもない。仮に増えたとしても派遣/契約などが主体であれば、その働く人と地域との接点は細いものとなり、例えば、「ここで暮らすからマイホームを建てよう」という話にはつながらない。結果、地域に固定的に入るのは固定資産税程度となってしまう。

サービス経済時代の地域振興

法人(企業)も個人も、従来のようにあらかじめ抱え込まなくても(所有しなくても)、オンデマンドに近い形で各種資源を調達できるようになると、調達がより確実にできる場所が嗜好されるようになる。これは、結果として大都市への集中を加速させることになる。

その意味で「都市」がサービス経済社会の中心となるのは、確定的である。対する地方は、この動きをかいくぐる対応が必要となる。

前述したように、牽引力のある事業者は、地域が提供する資源も「サービス」としか捉えない。そうした事業者を、自身の地域に深くつなぎとめるには、地域自身がユニークなサービスを生み出せるようになっていくことが重要だろう。

例えば、地域の歴史文化、自然環境をわかりやすく伝えることのできるインタープリターや、地域の天候や地形、リスクを熟知しエンターテイメントに変えることができるインストラクターといった存在は、その地域での滞在経験の付加価値を高める「サービス」であり、代替が効かない資源である。

空港などからの2次交通、域内の3次交通などの交通もサービスの一つであるし、多言語対応できる医療施設、人材を持続的に輩出する高等教育機関、働く人たちが安心して子供を預けることのできる保育施設や学童施設なども地域だからこそ効率的に事業者に対して 提供できるサービスである。

また、治安や用途地域、景観規制、路上喫煙規制、プラスチックの利用規制などは来訪者や企業の自由な行動を抑制するものであるが、これも、地域でなければサービスの一つと考えることができる。強めの規制は高質で落ち着いた雰囲気を形成することにもつながるからだ。

これらの「サービス」は、互いに絡み合っており、それが相乗効果をあげるようになるまでには時間もかかる。しかしながら、そのハードルの高さそのものが、その地域でなければ提供できない「サービス」となり、事業者を地域に呼び込み、かつ、浮気を防ぐ力となっていくだろう。

そして、「サービス」を地域自らが主体的に設計し、実装することで、サービスからの収益を地域に還元することも可能となってくる。事業者にとっては自身のために調達したくなるサービスであり、価格競争を回避できるからだ。当然、事業者と地域との関係性も持続性の高いものとなる。

「○○がある」で留まるのではなく、どうしたら、地域魅力を高めたり、事業者の生産性が高まるような「サービス」を地域全体で提供していくことができるだろうか。そういう検討を行っていくことが、サービス経済社会での生き残りにおいて重要なのではないだろうか。

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